毎日ではないけど・・・

2000.10.31 以前の日記・報告 2000.12.31 以前の日記・報告 2001. 1.31 以前の日記・報告 2001. 3.31 以前の日記・報告
2001. 5.31 以前の日記・報告 2001. 6.30 以前の日記・報告 2001. 7.31 以前の日記・報告 2001. 8.31 以前の日記・報告
2002. 4.30 以前の日記・報告 次へ



2002年12月31日 火曜日 23:06:09
 今日は大晦日、大掃除も何もしないで一日ボーっと過ごしていました。 友樹のお墓参りに行って・・・ 娘に化粧品などの頼まれものを送って・・・
海外に留学中の娘は冬休み帰ってきません、ホームステイ先のお宅や、友人たちと、クリスマスを楽しく過ごし、お正月も向こうで過ごすようです。こちらに帰ってきても何もしてあげられないので、何もかも忘れて楽しく過ごしてほしいと思います。先日も向こうの国内旅行を楽しんできたようです。娘からの楽しげな報告を聞くのが楽しみな日々でした。 でも、被害に遭って地元で暮らさなければならない被害者・家族・遺族はクリスマスもお正月もありません。 世間が楽しそうに浮かれていれば浮かれているほど、取り残されたような気持ちになります。そのような方々がたくさんらしゃることを知ってほしいと思います。 平凡な生活がいかに幸せだったか、今になって改めて感じています。


2002年12月30日 月曜日 1:01:05
 今年も残すところあとわずかになりました。 遠くから友樹に会いに来てくださった方々、各地から・海外から応援してくださった皆さん、本当にありがとうございます。皆様に励まされ、一年過ごすことができました。 
振り返れば色々なことがあった一年でした、NPO法人アピュイを立ち上げ、学校などにも講演に行かせて頂きました。 法務省矯正局と協議を重ね、少年院にも講演に行くことができました。 一日・一日は長かったけれど過ぎてみるとアッという間だったように思います。 
本来ならば、お世話になった方々に年賀状を出させていただくべきところですが、心情をご理解いただければ幸いです。


2002年12月25日 水曜日 0:01:01
 今日はクリスマス? 冬至も知らないうちに終わってた。知人から、「かぼちゃ食べました?」 「ゆず湯入りました?」と聞かれ、そういえばそんな習慣があったなぁとカレンダーを見た。 
今日もいつもと何も変わらない。街のイルミネーションが、華やかさが、うとましい。
友樹がいて、プレゼントをねだられていた頃が懐かしい。みんなで食卓を囲んでいた頃が懐かしい。
加害者達は、何もなかったかのように以前と同じ生活を送っているのだろう。クリスマスもお正月も以前と何も変わらない生活・・・

 今年も年賀状を書く気になれませんでした。まだ 『事件』 は終わっていない。お祝いの言葉を口にするのも、聞くことにも抵抗を感じます。


2002年12月22日 日曜日 1:17:43
 この季節、被害者・家族・遺族にとっては一番つらい季節です。街はイルミネーションが輝きクリスマスソングが流れています。最近普通のお宅でも庭の木々にイルミネーションが飾られています。 幸せそうだな・・・ フッとうらやましく思ってしまいます。

 皆さんにお願いがあります、appui の募金箱を作りたいのです。できればアクリル製で中が見えて繰り返し使える物を探しています。予算がないのでできるだけ安価で作っていただけるところを紹介していただけないでしょうか? 同時に募金箱を置かせていただけるところも探しています。ご協力お願い致します。


2002年12月20日 金曜日 23:02:55
 昨日19日、大津の青木さんと小田原少年院に行って教官の方対象に講演させていただきました。午後3時過ぎ少年院に着くと次長さんが待っていてくださいました。「職員対象なので、あまり緊張せず話してください。」と言ってくださいましたが、やはり緊張しました。10名の教官の前で30分ずつ話させていただきました。被害者の話を聞くのは始めてということで、皆さん真剣に聞いてくださいました。 講演のあと次長さんの部屋で 「重たい話しを聞かせていただきました。」 と涙ぐみながら感想を言っていただきました。 次長さんとお話させていただき、少年院の教官の方々も大変だと初めて知ることもたくさんあり、勉強になりました。 
友樹の死を絶対無駄にしないためにもこれからも頑張って活動していきたいと改めて思いました。旅費もバカにならないので普通電車に揺られながら、伊豆に車で家族旅行に行ったとき小田原を通過した事を思い出し、涙が出そうになってしまいました。すでに真っ暗になった窓の外に顔を向けて帰ってきました。


2002年12月19日 木曜日 0:11:40
 TOPページでも紹介させていただきましたが、12月17日火曜日「ニュースステーション」 にて友樹の事件、アピュイの活動・少年院での講演などが放送されました。ニュースステーションのホームページ「ディレクターズカット」で放送し切れなかったたくさんの映像や、農芸学院での講演の内容もすべて載せていただき、編集後記も載せていただきました。是非ご覧になってください。
ニュースステーションのホームページ http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/index2.html
 19日には、小田原少年院へアピュイの会員2人で行って、教官の方対象にお話しさせていただきます。


2002年12月17日 火曜日 0:29:11
 日付が変わってしまったので昨日になりますが、山梨県大月市内の中学校に appui のメンバー3人で講演に行かせていただきました。朝3人で電車に乗っていると隣に座っている方が読売新聞を広げて、ちょうど私共の写真入りの記事を読んでいらっしゃいました。その方は写真の本人が隣に居ることに気付かないようでしたので、少し安堵しました。 中学校では、弟さんを亡くされたお姉さんの話し、交通犯罪で息子さんを亡くされたお父様の話し、そして私が話させていただきました。皆さんは真剣に私達の話を聞いてくださいました、中には泣きながら聞いている子もいました。 みんな素直な心を持っています、私達の悲しい経験がお役に立つことを願ってやみません。
 みさこさん、講演依頼をいただけるようでしたらどこにでも行かせていただきます。宜しくお願い致します。


2002年12月14日 土曜日 22:56:16
 今日は友樹の月命日、昨日とうって変わって穏やかな天気になりました。日中、読売新聞本社社会部の方が取材に来てくださいました。皆さんは読売新聞の社会面・安全メルトタウン 第4部 「少年事件の闇」 というシリーズをご存知でしょうか?今まで起きた少年事件を検証しています。そのシリーズの中で、先日贖罪教育の一環として行った茨城農芸学院の「授業」の様子を記事にしていただけるということです。16日朝刊の予定です。是非ご覧になってください。
 夕方北海道から娘と同い年の会員さんが来てくれました。16日に山梨県内の中学校に一緒に講演に行くため、少し早めに来ていただきました。弟さんを少年犯罪で亡くされています。2人で外食に行きました、娘といるようでとても楽しくおいしく食事をすることができました。


2002年12月14日 土曜日 1:40:42
 ゲートボール場にお線香をあげに行ってきました。昼間冷たい北風が強く吹いていたのに、風が止んで星が綺麗に輝いていました。草むらだった土には、一面霜柱が立っていました。時の流れと、季節の変わりを改めて感じました。
 さとこさんのメールを読ませていただき、改めて警察の捜査・報道のあり方を考えさせられました。これ以上被害者を増やしたくない。悲しい想い・悔しい思いを味わってほしくない・・・ おつらいと思いますがどうか頑張ってください、私にできることがあれば協力させてください。

 延期になっていたテレビ朝日 「ニュースステーション」 にて友樹の事件とアピュイの活動が特集で放送される日が決まりました。 17日(火)です。 お忙しいとは存じますがご覧になっていただきたくお願い致します。大きな事件が起きないことを祈っています。http://www.tv-asahi.co.jp/n-station/nid/frmain.html


2002年12月7日 土曜日 18:03:37
 昨日の「ニュースステーション」の特集が延期になり、見てくださっていた皆様には大変申し訳ありませんでした。 まだはっきり放送日が決まっていない状況ですので、連絡が入り次第、ご連絡させていただきます。


2002年11月28日 木曜日 16:08:11
 この11月はとても忙しい月でした。
19日にお邪魔させていただいき、私の拙い話を聞いてくださった立教大学の学生の皆さんありがとうございました。
20日には、少年院茨城農芸学院で少年22名対象に、贖罪教育の「授業」としてアピュイの会員2名で行きお話しさせていただきました。被害者が少年院で少年に直接話をするのは、全国でも始めての試みということで大変緊張いたしました。 
23日には、全国被害者支援ネットワークのボランティアの方対象に会員4名で行き、被害者の置かれている現状をお話させていただきました。
24日は、アピュイの平成14年度通常総会を都内で開催しました。初めてのことで要領が分からず苦労しましたが、会員さん方に支えられ無事総会を終了することができました。

無事総会を終えた安心感と、茨城農芸学院の院生が私達の話を真剣に素直に受け止めてくれたことを聞いた安堵感からか、風邪を引いてしまいました。大分良くなったのですが、明日から開催される「生命のメッセージ展」 in 秋田 に行くのは残念ながら諦めました。

TOPページにも紹介させていただきましたが、12月6日(金)テレビ朝日 「ニュースステーション」 にて友樹の事件とアピュイの活動が特集で放送されます。お忙しいとは存じますがご覧になっていただきたくお願い致します。


2002年11月14日 木曜日 20:50:29
 日中友樹のお墓参りに行ってきました。 風もなく穏やかな日でした。 友樹の遺体が発見された日はどんな天気だったのだろうと考えてみました、雨は降っていなかったけれど、晴れていたのか曇っていたのか天気までは思い出せません。 友樹の遺体の状況と、その時間、その時間のことは忘れることができません。 あの日のこの時間、友樹の司法解剖が終わり友樹が帰ってくるのを、今か今かとお布団を敷いて待っていた時間です。


2002年11月14日 木曜日 2:01:14
 先ほど、ゲートボール場と新古河駅にお線香をあげてきました。風が冷たく吹いていた分、星がとてもきれいに見えました。
もう何回目の月命日がきたのか・・・ここのところマスコミの方が一緒に行ってくださることが多かったので、久しぶりに一人で行って寂しい気持ちになりました。 私達は最初の報道で傷つくことがたくさんありましたが、今信頼できるマスコミの方に出会うことができ、勇気付けられています。
このホームページをきっかけとして色々な方とめぐり合うこともできました。 
 13日福島県の中学校のテレビ電話を使った授業に参加させていただきました。先生が友樹のHPを見てくださり今回の授業になりました、生徒さんは全員HPの内容やビデオを使って予め授業を受けていたので、質問を受ける事になりました。友樹の性格についてや暴力を振るうこと・心の傷について質問を受けお話させていただく中で、「京子さんがもう一度友樹くんに会えるとしたら、何をしてあげたいですか?」と聞かれ、思わず、「辛かったね。と思い切り抱きしめてやりたいです。」と答えました。もっともっと色々してあげたいことがあるのに、とっさにその言葉が出てしまいました。


2002年11月9日 土曜日 21:39:15
 「このところ日記の更新がないので心配」 というメールを頂き、皆さんにご心配をお掛けしたこと申し訳なくまた、たいへんありがたく思い、ご報告をさせていただきます。
 今月 1日には刑事裁判傍聴に行きました。今年六月に埼玉県春日部市で当時15才の少年が公園で遺体で発見されるという、少年による集団暴行事件がありました。8人逮捕され、内2人が逆送になりました。昨年4月少年法の一部が改正され「16歳以上原則逆送」となりましたが、一年数か月してやっと、埼玉県で初めて集団暴行事件で逆送の決定が出されたのです。
この日の刑事裁判は朝10:30〜18:00、(もちろん昼食休憩一時間半・午後も休憩を挟んでですが) 加害少年の親の証人尋問、本人達の証人尋問がありました。いずれも母親からの虐待、教師からの虐待を受けていたようです、少年側の弁護士はそのことを強調し、「恵まれない家庭環境だったこと」を言い訳にしているように感じられました。 少年達への尋問では「死ぬとは思わなかった」とウチの加害者と同じようなことを繰り返し言っていました。ご遺族に対して謝罪の言葉はないのか?との裁判官の質問に対しても、「今言うんですか?」といった態度でした。
 3日は猪野詩織ちゃんの追悼式 「ひまわりの会」 に親しくさせて頂いている仲間と行ってきました。詩織ちゃんのお友達もたくさん来ていました。
 4日は横浜で10:00〜12:00 神奈川被害者支援センターの電話相談員・臨床心理士などの方々に、アピュイのメンバー3人呼んでいただき、自分たちの体験したこと、被害者支援センターや電話相談員に望むことなどお話させていただきました。その後昼食を取りながら、意見交換ができ私達にとってもとても有意義な一日を過ごすことができました。
 5日は、法務省矯正局から紹介された少年院へ、アピュイのメンバー3人で行きました。なぜ私たちが少年院で少年達に話がしたいのかを次長と庶務課長にお話させていただきました。結果については後ほどアピュイのホームページでご報告させていただきます。
 7日・8日は、全国犯罪被害者支援ネットワーク主催の 「全国犯罪被害者支援フォーラム2002」 という、全国に28箇所ある被害者支援センターの方々、警察・検察関係者・弁護士・臨床心理士の方々が集まる中、アピュイを立ち上げた経緯や問題点などを友樹の事件概要も含め、報告させていただきました。2日間ともとても有意義に過ごすことができました。
 連日のように飛び回っていたので、日記を更新することもままならず、お心配をお掛けいたしました。
アピュイの 「名誉会員」 全国犯罪被害者支援ネットワーク会長の山上先生から、「アピュイは良いね、みんな前向きに活動している」 と言われたことがとても嬉しく思えました。 友樹の死を絶対無駄にしないようこれからも頑張りたいと思います。
また、友樹のホームページをご覧になった方から、アピュイへ寄付をいただきました。お一人お一人にお礼のメールが出せず申し訳ありません、この場を借りてお礼申し上げます。ありがとうございます、皆さんの善意を無駄にしないよう有効に使わせていただきます。


2002年10月27日 日曜日 18:53:41
 今日ある方のご好意でチワワを譲っていただきました、クリーム&ホワイト・ロングコートの女の子です。数ヶ月前からブラック&ホワイト・スムースコートの女の子が居るので、にぎやかになりそうです。動物には本当に心を癒されます・・・


2002年10月20日 日曜日 23:14:10
 誠意とはなんだろう?さんちゃんさんからメールをいただきました。交通死亡事故でも被害者に対して誠意を持って対応している加害者は少ないようです。むしろ、警察・検察のいい加減な捜査・対応により苦しんでおられる被害者の方が多いのが現状です。目撃者を自ら探しだし、署名活動を必死で行い検察に持って行っても 「不起訴処分」 とされる。交通死亡事故での起訴率は非常に低いのです。 「死人に口無し」 でいい加減な捜査、処分となってしまう現状は少年犯罪と問題点が似ているような気がします。
 どんな犯罪であろうと、人の命を奪うという最大の罪を犯した加害者・家族は、二度と元の生活に戻ることのない被害者・遺族に対して一生誠意を持って接してほしい。たとえ 「二度と顔を見たくない」 と言われても、そのことを言い訳にしてほしくない。 誠意があれば、何度でも 「お線香をあげさせてください」 と被害者のお宅にいけるはず、ひっそりお墓参りだってできるはず。 


2002年10月13日 日曜日 22:29:46
 久しぶりに友樹が呼び出されたコンビニに夕飯用のお弁当を買いに行った。友樹と同級生だった女の子がレジでバイトをしていた。「今どうしているの?」 と聞くと 「大学行ってます。」 と笑顔で答えてくれた。13日の午後10時過ぎ。今この時間友樹は小学校で暴行を受けていた。そんなこととは知らず私は娘とパソコンをいじっていた・・・ 今夜またゲートボール場にお線香をあげに行く、生きてさえいてくれたらもっともっと色々なことをしてあげられるのに・・・
 5日、6日とお世話になった長野の皆さんありがとうございました。「生命のメッセージ展」 プレ展示会場で友樹に会いに来て下さった長野東高校の生徒さん、ありがとう、とても嬉しかったです。お世話になった長野被害者支援センターの皆さんありがとうございました、研修中私達の話を涙を流しながら聞いてくださった事、研修が終わってから連れて行っていただいた戸隠高原で見たきれいな紅葉、お蕎麦のソフトクリームの美味しい味、忘れません。


2002年9月30日 月曜日 0:39:44
 28日、29日と東京駅八重洲中央口を出たところで 『犯罪被害者支援キャンペーン』 が行われ、連日行ってきました。 理不尽に命を奪われた方々が楕円形のボードに写真とメッセージを載せ、静かに命の尊さを訴えていました。 友樹も参加させていただき、28日には10分間のお時間を頂き、足を止めてくださった方々にお話させていただきました。 交通事故で娘さんを亡くしたお父さんによる生演奏。 遺族を失った方々の生の声。 きょうだいを失った 『きょうだいの会』 の涙の訴え。 できればもっとたくさんの方に足を止めてゆっくりメッセージを聞いてほしかったと思います。 


2002年9月22日 日曜日 22:18:49
 用事 (勉強会) があって大阪に行ってきました。久しぶりに会えた犯罪被害者の方々と色々お話できて知らなかったことを学ぶことが出来ました。同じ立場の人と会っていると話が尽きず離れがたい気持ちになります・・・。

 友樹のことを心に留めていただき、本当にありがとうございます。 「たった15年しか生きられなかったけれど、何人かの方の心に 友樹が生きた証が残された」 と思うことが出来ました。友樹の為に泣いてくださった方に感謝いたします。
友樹が入学した高校は、確かに成績は良くありません。不良と呼ばれる生徒もいたようです。しかし、全員がそうではないことをご承知置きください。 主犯の少年Aも同じ高校に入っていたことがあったようです、一年で自主退学したようですが・・・その時の担任が数年後、偶然友樹の担任になったのです。 ずっと後になってから、先生が話してくれました。事件のことを聞いた時殺された生徒が自分のクラスの生徒であり、主犯が少年Aと聞いた時 「あの時もっとしっかりを指導していたらこんな事件は起こらなかった」 とご自分を責めたそうです。 先生は毎月の月命日には必ず花を買って、友樹の為に用意してくれた机に供えてくださいました。卒業式には行けなかったけれど、先生がお墓に 「卒業おめでとう」 と書かれた胸に付けるリボンを供えてくださいました。担任の先生には本当に感謝しています。


2002年9月20日 金曜日 0:29:03
 18日の放送では、HPを開設している事には触れていなかったと思いますが、たくさんの方に訪れていただき感謝申し上げます。 「決して忘れない」 と言ってくださり、皆さんの心の中で友樹が生き続けていけることにお礼申し上げます。 今回もメールを頂いた山崎さんとのメールのやり取りが、結果としてスタジオ出演ということになったのです。
 山崎さんは、友樹と同じ誕生日でした、それが縁で私も 「会って話をするだけなら」 と思い何度か番組担当者の方と会いました。 収録が14日、18日放送と決まっている中、私はなかなか決断できなくて、一旦は辞退させていただきました。しかし、14日友樹の月命日以前からアピュイの活動を追って下さっている局の方から取材の約束があったのですが、カメラクルーが外国に行かなければならなくなったので月命日の取材を10月に延ばしてほしいと言われました。そこに今回のTBSのお話が来たのです。 月命日の取材が延期になっていなければ当然お断りしていました。
 何か不思議な縁を感じてしまったのです。 スタジオに行くことは怖いけれど、友樹が 「ママ、伝えて」 と言っているようにも感じられたのです。
「ギャング、暴走族、一般的に不良と呼ばれてる様々な子供達から『テレビ見て泣いた。暴力は恐いと思った。今まで簡単にアイツぶっ殺すとか言ってたけどとんでもない事だと思った。スゴク考えさせられた』等、山崎さんの携帯が鳴りっぱなし」 とお聞きして、友樹や犯罪で命を奪われた子供達がスタジオで一生懸命メッセージを送っていたのだと思います。 一般的に不良と呼ばれてる様々な子供達も基本的には素直な心を持っていると思います。 あの時スタジオにコメンテイターとして出演されていた大竹まこと氏は、交通事故犯罪で一人の命を奪っています。その事も私の心にあってなかなか決断出来なかった・・・当時彼は被害者の方に誠意を尽くされたと聞きましたが、今は被害者・遺族に対してどう思っているのかお聞きしたかった。彼の口から 「じゃあ、殺せばいいじゃない」 といわれた時、ショックで返す言葉が見つからなかった・・・


2002年9月19日 木曜日 2:10:29
 ホームページの開設も、テレビに出ることも、色々な意見があることは覚悟のうえでのこと。スタジオに来ていた若者達を見たとき自分の子供と重なって、「いとおしさ」 が感じられ、「絶対罪を犯してほしくない」 と思いました。 伝えきれない気持ちはたくさんあり、特にテレビはこちらの言った事すべてを放送してくれるものではなく、作り手と伝えたい側でのギャップを感じることもしばしば有ります。今回 TBS の番組も再現VTRに真実とは違う部分が多々あり、スタジオでの会話も大分カットされていました。 同じ立場の方が2人出てくださって、それぞれの思いを話してくださったのに、すべてカットされていたことは残念でたまりません。お一人は息子さんを集団リンチで殺され、もう一人の方は弟さんを殺された20才の方でした。「きょうだい」 を殺された立場での発言を是非取りあげて欲しかったと思います。

 誰も好きでメディアに顔を出している訳ではありません。後悔と自責の念の中、「同じ思いをして欲しくない」 という想いで取材を受けます。取材を受けた次の日は、疲れて一日中体を横にしていなければならない状況になることもあります。 それでも、一人でも良いから 「命の大切さ」 を伝えたい。友樹のような事件は二度と起きて欲しくない。私達夫婦を反面教師にしてほしい、心からそう思います。


2002年9月13日 金曜日 22:49:46
 集団暴行で息子さんを殺された被害者遺族のお母さんが亡くなり、今日お通夜に出席させていただきました。理不尽な暴力と警察の不適切な対応により愛する息子を奪われ、その後食事がのどを通らず栄養失調になり寝返りをうっただけで骨折してしまったとのこと。その後は一日6回食事を取るようにしてご夫婦で力を合わせ加害者や県警を相手取り民事裁判で頑張っていらっしゃったのに・・・
彼女が体調を崩した時、私はすぐ側にいました。先月の 「生命のメッセージ展」 栃木開催ということでとても生き生きと、受付で来場してくださった方々に笑顔で挨拶をされていました。 あの時の笑顔は絶対忘れません。
 今頃は殺された息子さんと再会してたくさんの会話を交わしていらっしゃるのかも知れません、とても穏やかなお顔でしたから。
でも、残されたご主人や娘さんのことを思うと言葉がありません。
事件さえ起こらなければ、もっともっと健康で長生きできたはず・・・ あまりにも不公平で悔しいです。


2002年9月12日 木曜日 21:34:15
 フジテレビ 「スーパーニュース」 の放送が13日に変更になりました。時間帯は同じです。どのような放送になるのか不安がありますが、宜しかったら見てください。


2002年9月12日 木曜日 3:27:35
 本日(12日)フジテレビ 「スーパーニュース」 18:20頃からの放送で友樹の事件が取り上げられる予定です。首都圏のみの放送になるようです。放送されるたび、色々なご意見が来ることは分かっています。もっとしっかり子供を見ていたらこんなことにならずに済んだ。あの時必死に探しに行っていたら・・・後悔することばかりです。
 先日もあるテレビ局から取材の依頼がありました。スタジオに悩みを抱えている少年少女達30人が集まる中、私にもスタジオに来て欲しいということでした。友樹の事件から、「命」 をテーマにそれぞれが意見を述べるようです。 胸の中に思っていることはたくさんあっても、スタジオで 「言葉」 にして伝えることが出来るのか悩みました。一旦は 「辞退させていただきたい」 と連絡したのですが、局の方の熱心な説得を頂き、同じ立場の方数人と一緒に出演するということで、お引き受けすることになりました。 どんなやり取りになるのか、どんな意見が出るのか、正直怖いです。 でも、もう私達のような思いをして欲しくない。 子供を守ってやれなかった駄目な母親を反面教師にして欲しい。 そして、何より 「命の大切さ」 を若い世代の方達に分かってほしい。 18日放送予定です。 今から緊張しています。


2002年9月5日 木曜日 23:59:34
 先月末から一時帰国していた娘を成田空港へ車で送って、先程帰ってきました。高校や短大時代の友人と毎日のように会っていたようです、19時発の飛行機で、またホームステイ先へと帰っていきました。 またしばらく寂しくなりますが、ホームステイ先の御家族がとても良いかたで、楽しくやっているようなので安心しました。
 娘に日本食を食べさせたくて、毎日あれこれ考え一緒にたくさん食べたので、私も少し太った気がします。お菓子もアイスクリームも、一人では絶対食べたいと思えないのに、娘と一緒に買い物に行くとついつい色々なものを買って一緒に食べてしまいました。
娘には絶対幸せになって欲しいと思います。


2002年8月29日 木曜日 1:18:02
 24日、25日と泊りがけで宇都宮へ行ってきました。 「生命のメッセージ展」 で受付を手伝わせていただいている時、何人かの方から 「テレビで見ました、頑張ってください。」 と声をかけていただきました。 ありがとうございました。

 26日月曜日は、NPO法人アピュイの活動の一環として、法務省矯正局へ会員6名で行ってきました。 今の少年院の教育の中で一番大切なことが抜け落ちていると感じていました。それは自分の犯した罪と向き合い、心から反省すること。 矯正施設 (刑務所・交通刑務所・少年院) などへ出向いて、被害者の心情・現状を知ってもらうことで、心から反省するきっかけになって欲しいのです。 まずは職員の方に話を聞いて欲しいと思いました。現場の職員の方は日々加害者と接する中で、加害者に対して必要以上の感情移入がなされているのではないかと思います。被害者・遺族の生の声を聞くことによって、公平な目で見て欲しいのです。 行政が、今までにないことを行うことは大変なことだとは思いますが、矯正局の方が直接会ってこちらの要望を聞いてくださったのは、大きな一歩だと思いました。 これからも諦めず交渉していきたいと思います。 皆さんの中で賛同してくださる方は、是非アピュイのHPからメールをください必要性を訴えてくださいお願いいたします皆さんの声をまた、矯正局や法務大臣に伝えることで大きな力となると信じています。

 27日火曜日は法務省・関東地方更正保護委員会に会員7名で行ってきました。更正保護委員会は、刑務所・少年刑務所の仮出獄、少年院の仮退院を決定する機関です。 何を基準に決定を下すのか、何をもって更正したと言えるのか、聞きたいこと、聞いて欲しい事がたくさんありました。 今回出席してくださった方々は、私達が指摘する矛盾を素直に認めていました。 少年Aが保護観察中にウチの事件を起こしたこともあり、謝罪の言葉もいただきました。 でも、もう友樹は帰って来てくれません。保護観察所の職員・保護司の研修の場に呼んで頂きたいと思います。

 今日 (28日) は、横浜で行われている 「世界精神医学学会」 に 「生命のメッセージ展」 の関係で行って来ました。
何日かHPを更新できず、ご心配をお掛けしてしまってごめんなさい。 連日動き回ったので少し疲れました、明日はゆっくりしようと思います。


2002年8月24日 土曜日 0:15:39
 23日から25日まで、宇都宮市の 「とちぎ福祉プラザ」 にて 「生命のメッセージ展」 が行われています。友樹も参加させていただいています。お近くの方是非お立ち寄りください。


2002年8月21日 水曜日 1:13:05
 今古河警察から帰ってきました。嫌がらせの手紙を送ったと思われる人物から頻繁に電話が入るようになり、精神的にも恐怖を感じ相談に行きました。古河警察の方は夜遅くにもかかわらず良く話しを聞いてくださり、直接相手に電話を掛け 「今後一切メールや電話をしないこと」 を約束させてくださいました。 事件が起きてからでないと動いてくれないと思っていましたが、事前に対処してくださったことに感謝しています。「今後も何かあったらすぐ連絡ください」 とも言ってくださいました。 全国の警察官がこのように対処してくれたら今後犯罪も未然にふせげるケースも増えるのではないかと思います。
皆さんに色々御心配をお掛けして申し訳ありませんでした。 これから相手がどのように出てくるか分かりませんが、今夜はぐっすり眠れそうです。 


2002年8月17日 土曜日 0:38:22
 しばらく日記が書けず、御心配をお掛けして申し訳ありませんでした。 お盆も終わりました、結局加害者からは何の連絡もありませんでした。 7月の末から何通か嫌がらせの手紙が届きました、ホンの数人しか知らない住所宛で・・・差出人の見当はついています。
応援してくださる方がたくさん居てくださるので、負けません。 食事もきちんと取るようにしています、友樹に心配掛けないよう頑張ります。


2002年7月29日 月曜日 23:35:53
 中山様へ、記載されていたアドレスへメールさせていただきましたが、エラーで戻ってしまいました。再度ご連絡ください。
毎日暑い日が続いていますが、頑張って食事を取るよう心がけています・・・


2002年7月25日 木曜日 0:20:53
 皆様にはいつも御心配をお掛けして申し訳ありません。 世間は夏休みに入ったのですね・・・。
友樹が通っていた北川辺高校野球部が今年も初戦敗退とテレビで放送されたようです。 野球部が頑張っていることは良いことだけれど、昨年の夏にも少年犯罪で逮捕者を出した高校が、たとえ関係の無い野球部の取材であれ 「受ける」 という判断を下した校長の姿勢には疑問を持たずにはいられませんでした。 
 今日の御意見の中に死刑制度に対する御意見がありました。 私個人としては 「死刑制度」 は必要だと考えます。自らの意思で暴力を加え命を奪った加害者には、命で償って欲しい。 「死刑」 と宣告された時、初めて自分の罪の大きさに気づく者もいるでしょう。初めて 「被害者が味わったであろう恐怖」 を味わうのだと思う。 生きていて欲しくない・・・


2002年7月22日 月曜日 20:55:49
 サキちゃん、皆さんありがとうございます。 一方で訳の分からない脅迫めいたメールがあり、どうして良いのか分かりません。 今日も眠いです。頭がボーッとしています。 皆さんのお知恵をお願いいたします。


2002年7月21日 日曜日 16:48:01
 今日も暑い一日です。普段眠れない私が、ここのところ一日中眠くて眠くて何もやる気になれませんでした。昨夜もわりと早く寝たのに、起きれたのは午後3時を回っていました。 今も眠いです。 頭がボーッとしていてお返事も書けず、ごめんなさい。


2002年7月17日 水曜日 0:52:00
 16日(火)から21日(日)まで、川崎市教育文化会館にて 「生命のメッセージ展」 が行われています。初日行ってきました。台風の影響か来館者は少なかったです。友樹も参加させていただいています。 お近くの方は是非行って見てください。 「理不尽に命を奪われし者からのメッセージ」 を聞いてください。
 なお、フジテレビ 安藤優子さんのFNNスーパーニュース7/17関東の放送で「青木 悠君の特集」。 テレビ朝日 ニュースステーション7/18 「青木 悠君の特集」が放送される予定です。事件概要ついてはリンクページからご覧になってください。


2002年7月14日 日曜日 3:06:46
 今日は友樹の月命日、いつもならゲートボール場に行くのですが、明日 アピュイの「第一回被害者交流会」 を都内で行うため、遠くの役員さんが事務所に泊まってくれています。 色々な話をゆっくりと話すことが出来ました。
ホームページを公開して、丸二年になりました。 いつも応援いただきありがとうございます。
明日の、交流会のためにも早く寝ます。


2002年7月12日 金曜日 23:54:04 
 長野市長野東高校にアピュイのメンバー 3 人でお邪魔して、先生・全校生徒さん・御父兄の皆さんの前でお話させていただきました。皆さん真剣に私たちの拙い話を聞いてくださり、感謝の気持ちでいっぱいです。特に今回生徒会の皆さんが中心になって企画し、校長先生はじめ各先生方が生徒さんの自主性を尊重されていて、とても温かい印象を受けました。生徒会の皆さんの一生懸命な姿が頼もしくもあり、また自分たちの子供と重なりいとおしくもあり、彼らを通して自分たちの息子を見ていたように思います。 お招きいただいたこと、本当に感謝申し上げます、ありがとうございました。
 昨日33歳の男さんからメールをいただき、名前も住所も教えていただきました、とても温かい方でした。色々御事情がお有りになりそれを掲載するかはお任せしますとありましたが、私の判断で掲載を控えさせていただきました・・・


2002年7月11日 木曜日 1:23:53
 たくさんのご意見ありがとうございます。台風で被害に逢われた方々に心から御見舞い申しあげます。 これから関東に接近するようですので、進路に十分に気をつけてください。 
 今まで、友樹に会いに来てくださった方々、お墓参りをしてくださった方々、お供え物を送ってくださった方々、本当にありがとうございます。 今までの方は、まずご自分の住所氏名・電話番号など明記の上メールをくださいました。 被害者は人を信じることに、非常に神経質になります、まして相手の顔が見えない声も聞けない状況では、「もしかしたら、加害者側の人間ではないか」 と疑ってしまうこともあります。
 33歳の男さん、あなたはこのホームページを全部ご覧になったのでしょうか? 少年法に関しては、自分なりに意見を述べているつもりです。 主人や娘に対する気持ちを、氏名・住所も書いてない方にお返事を書く気にはなれません。申し訳ありませんがご了承ください。


2002年7月9日 火曜日 3:33:20
 このところ暑い日々が続いています。 食欲も余計なくなりますが、友人が食事に誘ってくださったり、皆さんに励まされたり、本当にありがたく思っています。 実はスーパーテレビ放送終了後、一人の加害少年から連絡があり、金曜日の夜自宅へ来ました。 今年に入ってから来なかったことについては、「仕事が忙しかった」 と言ってました。「彼女とは会ってないの?」 と聞くと 「会っている」 とのこと。 「彼女と会う時間はあっても、日記を書く時間はないんだ。」 と言うと、「仕事が忙しいことを、自分の中で言い訳にして逃げていたと思います。 しばらく間があいてしまったので、飯島さんに何を言われるか怖かった。 自分が悪いことをしたのだから、何を言われてもしょうがないと思っても、怖かった。」 「でも、自分で約束したことだから、また日記をつけて来ます。」 と言っていました。
事件のことを聞くと、「もう三年前のことだから、良く覚えていない」 という答えが返ってきます。彼らの中では確実に 『過去のこと』 になっていることを改めて思い知らされました。 
 他の加害者も何人かは見ていたと思いますが、連絡をよこしたのは彼だけでした。
「自分にもまだ良心が残っているから、テレビを見て電話を掛けたいと思えた。 その心に逆らえなかった。」 とも言っていました。 彼の誠意を見て行きたいと思います。 許すことは出来ないけれど・・・


2002年7月4日 木曜日 23:55:25
 また色々なご意見をいただきました。今回の取材を受けるにあたって顔を出すか出さないか、随分と悩みました。そのことで撮影スタッフの方々には大変ご迷惑をお掛けいたしました。 顔を出さないほうが楽です。 遠くへ出かければ誰も私を知らないから・・・大阪へ娘と出かけた時も、地元にいるよりずっと気が楽だった。 下を向いて歩かなくて良いから、サングラスや帽子で顔を隠さなくていいから・・・ 被害者遺族は皆そうやって小さくなって生きているのです。 それは、一番悪いのは母親である私だと思っているから・・・誰に言われなくても母親は皆自分を責めています。 責めて悔やんで、亡くなった子供に謝り続けています。 でも、これ以上同じつらい思いをする人が出て欲しくないから、自分たちの過ちを繰り返して欲しくないから、動こうとしているのです。 本当は何もしたくない、何も食べたくない。 でも、子供の死を絶対無駄にしたくないから・・・ どうかご理解ください。


2002年7月4日 木曜日 1:54:58
 たくさんの方から御意見をいただき、本当にありがとうございます。お一人お一人にお返事が出せず申し訳ありません。 このホームページが少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。 私は霊感がまったくありません、姿を見たくても見えない、声を聞きたくても聞けない。それでも友樹の存在を身近に感じることがあります。 母親想いの優しい子だったから、私のこと心配でたまらないのでしょう、友樹になるべく心配掛けないよう注意しながら、頑張りたいと思います。
私は、たまたまテレビ局の方に取り上げていただきましたが、同じように、私以上に、苦しい毎日を送られている方が、たくさんいらっしゃることをご理解いただきたいと思います。声を上げたくても上げる場所が無いのです。 もし、学校などへ呼んでいただけるようでしたら、どこにでも行かせていただくつもりです、宜しくお願いいたします。


2002年7月3日 水曜日 2:06:15
  まだ一部しかアップできませんが、たくさんの方々から励ましのメールをいただきました。ありがとうございます。皆さんの優しさに支えられ、これからも頑張るつもりです。宜しくお願いいたします。
また、スーパーテレビ製作スタッフの方々には、心から感謝とお礼を申し上げます。


2002年7月1日 月曜日 0:34:12
 先日少年犯罪被害者のお母さん3人で会って話す機会がありました。皆同じように子供たちの存在を感じています。山田さんのおっしゃるように見えないだけで、傍にいてくれているのだと思います。 子供たちと一緒に、時には背を押されながら、皆がんばっています。 時には落ち込みながらも・・・


2002年6月30日 日曜日 0:55:08
 先日 Rie araki さんが帰国して、友樹に会いに来てくださいました。友樹の大好物を持って・・・お会いできてとても嬉しかったです。友樹もきっと喜んでくれたとおもいます。ありがとうございました。
もうすぐ 7月 1日、日テレのスーパーテレビで友樹の事件を取り上げてくださいます。ぜひご覧になってください。


2002年6月24日 月曜日 0:46:13
 横田さん、ありがとうございます。母子でこのHPを応援してくださっていることに感謝申し上げるとともに、過去のことにならないよう、後世に残るよう、論文で友樹と私達家族の苦しみを伝えてくださる事。嬉しく思います。是非頑張ってください、お願い致します。


2002年6月22日 土曜日 1:07:22
 今までたくさんの方から、励ましの御意見をいただきました。皆さんには本当に感謝申し上げます。
アメリカに留学中の yuko miki さんから 「我慢しなくていい。泣いたっていいじゃないですか」 とメールいただき、涙がポロポロこぼれました。 娘の前では絶対泣くまいと我慢してきました。 事件概要を聞いていただく時も、泣いていたら話せなくなってしまうから、必死で涙をこらえて話をしてきました。 これから学校などで講演をさせていただく時も、泣かないで・泣かないでと自分に言い聞かせ、話を聞いていただくことでしょう。 
でも、やっぱり一人になると友樹がいない寂しさと、友樹を助けてやれなかった申し訳なさで、つらくて悲しくなってしまうのです。 「泣いたら息子さんが悲しむから・・・」 そう言われ続けてきました。 でも、やっぱり無理です。泣きたい、思い切り泣きたい・・・ yuko さん、ありがとう。 勝手に和文に直してしまいました。違っているところがあったら遠慮なく言ってくださいね。
 金曜ドラマを、何故か久しぶりに見る気になって見ていました。「バスジャックに遭い、犯人を正当防衛で殺してしまった」と思われていた事件が、「実は15年前我が子・孫を轢き逃げで殺された被害者達が執念で犯人を見つけた末の計画殺人だった」という内容でした。被害者役の方が、「15年経っても傷は癒されない、あの時こうしていたら・ああしていたら、 と自分を責めつづけて生きてきた、なのに加害者は何も無かったかのように平然生きて笑っている姿を見て許せなかった」 と言っていました。 最近のドラマも被害者の気持ちを表現してくれているんだと自分を重ねて、泣きながら見ていました。


2002年6月20日 木曜日 23:40:26
 昨日の日記で皆さんにご心配をお掛けしてしまい、申し訳ありませんでした。 
はるか遠くに住み、まだ一度もお会いしていない友人からお電話をいただきました。彼女は私の心のうちを本当によく理解してくださり、二時間以上も話し込んでしまいました。お陰で少し心が軽くなれたように感じます。
NPO法人の運営を素人が、被害者自身が行うことの難しさは、最初から分かっていたはず。覚悟の上で立ち上げたはずなのに。 皆さんに支えていただきながら、無理をせず頑張って行こうと思います。 時には弱音を吐きながら・・・


2002年6月19日 水曜日 23:40:57
 このところ 『なるべく早く寝よう』 と努力しています。 食事も一日最低二回はきちんと取るよう心がけています。 世間はワールドカップで盛り上がり、一方で相変わらず少年事件が起きています。
 NPO法人を立ち上げたものの、やはり素人で運営は難しいです。 皆をまとめていく力は私には無いように思えて、落ち込んだりします。 すべてを投げ出して誰も知らないところへ行ってしまいたくなる時があります。 寂しくて寂しくて、誰かに側にいて欲しいと思うときもあります。 家族はバラバラになりました・・・ もう元には戻れません。 気持ちの浮き沈みが激しくて、自分で自分が分からなくなります。 本当は何もしたくないのかもしれない。 


2002年6月18日 火曜日 1:57:29
 友樹はとても優しい子でした。私に対しても、そして多分友達に対しても・・・ 私にとって頼りがいのある存在にもなっていました。 将来の夢に向かって努力もしていたのに・・・ 生きたくても生きられなかった友樹の分もRISAさん、皆さん、どうか夢を抱いて生きてください。 自分を大切にして目標を持って歩んでください。命の重さと、自分がいかに周りに愛されているかということに気付いて、一日一日を精一杯生きてください。 私も友樹の死を無駄にしないよう頑張って生きていこうと思っています。


2002年6月17日 月曜日 1:10:01
 香織さん、言葉足らずのためあなたを傷つけてしまいました。ごめんなさい。以前はダイレクトメールに対し無性に腹が立ちましたが、今は友樹宛にお手紙やメールを頂くと嬉しいのです。友樹も私と一緒に手紙やメールを見てくれているような気がして・・・だから嬉しかったのです。これからも友樹にメールをくださいね。
 祐美さんありがとうございます。私もどんな理由があっても、暴力を振るっていいという理由にはならないと思っています。いじめや暴力のない社会にしていきたいです。ご自分を大切に、周りの人を大切にしていってくださいね。


2002年6月16日 日曜日 0:33:12
 ゆうこさん、私信ありがとうございます。掲載できないのが残念ですが、加害者に対する私の気持ちを理解していただき、嬉しかったです。
香織さん友樹にメールいただき、ありがとうございます。 事件後友樹宛に届くダイレクトメールに無性に腹が立った時期がありました。何処から入手したのか分からない名簿に基づき送られてくる教習所や専門学校からのダイレクトメール、教材の勧誘の電話。 でも今は、それらの手紙も 「友樹手紙が来たよ」 と仏壇の脇に供えています。


2002年6月14日 金曜日 22:55:41
 今日は友樹の月命日、午前一時頃ゲートボール場と新古河駅にお線香をあげに行きました。いつもは空を見上げると星が輝いているのに珍しく見えませんでした。帰途についたとたん雨が降り始めました。友樹のお通夜・告別式の時と同じような小雨でした。小雨が降るたび、お通夜と告別式の光景が目に浮かびます。「涙雨だ」 と実家の母に言われたのが昨日のことのように思い起こされます。
 日中取材を兼ねて、テレビ局の人と再び現場とお墓に行きました。小雨が降ったり止んだりしていましたが、お線香を上げる時には気にならないくらいに止んでくれました。
奇しくも今日から、「ありがとう日本ドットコム」というサイトで、NPO法人appui が紹介されました。チャリティークリックを行った人には負担がかからず、代わりに選んだ企業がNPOに寄付をしてくれるというサイトです。毎日でもクリックできますので皆さんのご協力をお願い致します。


2002年6月10日 月曜日 0:20:58
 8日土曜日大阪で 「日本被害者学会第13回学術大会」 があり、学者の先生方の個別報告などを傍聴させていただきました。被害者支援への取り組みがなされていることに感謝をするとともに、これからは 「当事者の声をもう少し反映させていただければ」 と感じました。 でも、色々な方と出会うことができ大阪まで行って良かったと思います。
 翌日9日、和歌山駅前で、児島ケント君の署名活動をお手伝いさせていただきました。たくさんの方が快く協力してくださいましたが、中でも茶髪・唇にピアスなど一見不良っぽい少年が快く署名してくださり少年達の心の優しさに触れることが出来嬉しく思いました。友樹と同じ年位の子に署名していただき、思わず「髪の毛触っていい?」 と聞いて触らせてもらいました。懐かしい感触が手に残りました。 署名に協力してくださった皆様ありがとうございました。


2002年5月30日 木曜日 4:20:05
 しばらく更新できず、皆様にご心配をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。
友樹の命日や、その他色々あって少し疲れてしまいました。 でも、娘も無事海外留学に出発し 「学校も楽しい。もう友人ができて一緒に映画を見てきた。 ホームステイ先の方も優しくしてくださる」 と電話があり、一安心しています。 娘が短大を卒業後入居していたマンスリーマンションにまだ娘の荷物が残っていたので、泊りがけで後片付けに行き、昨夜車で荷物を持って帰って来たところです。
 やらなければならない事がたくさんあるのに、気ばかり焦って身体がついていきませんでした。 もう暫く忙しい日が続きそうです。


2002年5月16日 木曜日 2:39:30
 命日前後、加害者側からは本人からも親からも何の連絡もありませんでした。 何を思っているのか知りたい、友樹に対してどう思っているのか聞きたい、真実を知りたいです。
 日曜日に来てくれた友樹の友人だったM.君・N.君O.君には友樹宛に手紙を書いて欲しいとお願いしまた。 N.君が携帯電話からメールをくれたのですが、文字化けしてしまいましたので本人に修正して欲しいとお願いしました。


2002年5月14日 火曜日 3:43:45
 丸三年、一日一日は長くても過ぎてみるとアットいう間だったようにも感じます。 先ほどゲートボール場・新古河駅にお線香を上げに行って来ました。 友樹が置かれていた新古河駅西口の壁際の草むらは、草の丈が50〜60cmになっていて、この草むらに置かれていたのでは絶対人目に付かないと確信しました。 息は白く見えます、薄手のジャンパーを着ていても寒いくらいでした。 空には星が輝いていました・・・


2002年5月12日 日曜日 23:39:45
 昨日、いつもお花を買いに行くお店に友樹に供える花を買いに行ったら、奥さんが 「これ、息子さんの代わりに私からプレゼントです。」 と言ってカーネーションの鉢植えをくださいました。 思いがけないことで涙があふれ、カーネーションに顔をうずめて泣いてしまいました。 友樹が、優しい友樹が、お花屋さんの奥さんの身体を借りて私にプレゼントしてくれたように感じてとても嬉しかった・・・
 今日は、主人の妹や私の母親が来てくれ、数日前から帰っていた娘と一緒にお墓参りに行きました。 夕方には、M.君・N.君・O.君の三人が来てくれました。M.君は専門学校、N.君・O.君は社会人になっていました。久しぶりに見る彼らは一段とオトナぽくなっていました。成長する彼らを見るのは正直複雑な気持ちですが、友樹のことは一生忘れないで欲しいと願うばかりです。


2002年5月9日 木曜日 2:48:41
 命日が近づくにつれて三年前のその日その日のことがよみがえります。 もうあれから三年、周りだけ勝手に時が過ぎているような感じがしてならない。我が家の心の時計はあの日で止まっている。 「友樹君が悲しむから泣かないで」 「お母さんの笑顔を友樹君は一番喜んでいるから」 何度、何人の方に言われた言葉だろう。 励ましてくださっているのは分かる、励ましてくださるのは嬉しい。でも感情が追いつかない。 憎い加害者が平然と生活をしていると思うと許せない。 
 命日、加害者は来るだろうか・・・