毎日ではないけど・・・
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2001年1月30日 火曜日 23:43:09
今日は天気も良く風も穏やかだったので、約 1週間ぶりに友樹のお墓参りに行ってきました。雪はだいぶ解けていましたが、冷たい墓の中でどんな無念を抱えているかと思うと、かわいそうでなりません。加害少年は、社会復帰して家族の中でぬくぬくと生活している者、主犯格の少年院に入っている者も暖房が効いた部屋で日常生活を送っています。
栃木リンチ殺人の主犯格少年の控訴審で、無期懲役が確定したと聞きました。それでも親御さんとしては、納得できないと思います。どんな罰を受けようとやがては社会復帰し、何事もなかったように生活していくのですね。私たちの息子は二度と戻ってこない こんな不公平なこと・・・
先日のテレビでクローン人間の研究が始まるようなことを放送していました。倫理的に反対されることとは分かっていても、亡くなった息子のクローン人間を加害者側に作ってほしいと思ってしまいました・・・
2001年1月29日 月曜日 1:28:45
27日大雪の中、岡山県や関西から、被害者の会で知り合ったお友達が来てくださり、都内に一泊して夜中まで話し込んでしまいました。HPの更新ができず、お心配・ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ありませんでした。
2001年1月27日 土曜日 0:42:55
海さん、卒業論文作成にHPがお役に立てるようでしたら、どうぞ使ってください。
ハムラビ法典さん、「殺人事件です。」と言い切ってくださリ、内容を要約してくださり、ありがとうございました。
>このHPを世界に向けて発信されては如何でしょうか?
私も、できればそうしたいと思っています。どなたか翻訳を手伝ってくださる方々のご協力をお願いいたします。
27日28日と被害者の会で知り合ったお友達数人で会います。お互いに抱えている問題などを当時者同士で話しことも、心の支えになります。
2001年1月25日 木曜日 3:53:07
もうすぐ四時、なかなか眠れません。夜になると、時間を見るたび、今ごろ友樹はって考えてしまいます。最近少しずつテレビも見る気になれたのですが、ニュースでは幼児虐待で殺してしまったとか信じられない事件ばかりです。結局大人になりきれていないまま親になってしまっていることにも原因があるのでしょうか?
ドラマを見ても、やたらと暴力を振るう場面が目にとまります。友樹もこんなふうに殴られたのか、こんなふうに暴力を振るわれたのかと友樹がダブってしまって、結局見るのが辛くなってしまいます。
2001年1月24日 水曜日 1:51:09
有坂さんのおっしゃるとおりだと思います。私は後悔することばかり、友樹に申し訳ないと思うことばかりです。このHPをご覧になった方には、そのことも伝えたかったことの一つですし、HPの中にも込めたつもりです。若い方には、
「命の大切さを・・・」 「他の人を思いやる心を・・・」 「親が子供を想う気持ちを・・・」
子育て中の方には、私を反面教師として子供さんに接してほしいと思います。
そして、現役の警察・検察関係者、法曹界の方々には、「こんなずさんな捜査も、現行少年法を悪用することによって通用してしまっている現状をどう想っているのか?」
お聞きしたい。
あいりすさんのように、「常識的に見て加須警察の捜査は、おかしい。」
と声を大にしてくださる方が今後も増えてくださることを望みます。
飯田 啓子様、さち さんからは個人的にメールをいただき、お互いに誤解があったことが分かりました、今も個人的にメールのやり取りをして私の愚痴などを聞いていただいています。
2001年1月21日 日曜日 23:41:08
友樹・・・
何年かぶりに見る函館はどうですか?
夜景はきれいに見えた? 家族で行った時のこと思い出すでしょう?
あの時も一面銀世界で、サラサラの雪に大喜びしていたね。 友樹の楽しそうな笑顔が思い出されます。
2001年1月21日 日曜日 1:51:27
今、こちらでも雪が降っています、友樹が産まれた日も雪でした・・・
今日友樹の高校の同級生たちが修学旅行に行きます。どうか無事に楽しい思い出を作ってきてほしいと想います。
皆さん、いつもたくさんの御意見ありがとうございます。励ましのお言葉、とても嬉しく想います。ただ、皆さんが私のために
「言い争い」 のようなことになるのは残念です。 被害者・遺族の心境は複雑です。大きく揺れ動きます。皆さんお一人お一人の心のこもったメールも時には悲しく感じることもありますが、「多くの方に励まされ、支えられている」
と感謝しております。
2001年1月19日 金曜日 23:57:38
夕方友樹の高校の担任だった先生が来て下さいました。あさってから函館方面へ修学旅行だということを友樹に報告に来て下さいました。友樹の写真を持って、「飯島君も一緒に連れて行くつもりです。」
とおっしゃってくださいました。友樹も家族で行った函館を、同級生と一緒になつかしく思いながら見て回ってくることと思います。生きていたなら、「ここ小学校の時来たよ」
と自慢げに友人に話していたかもしれません。
2001年1月14日 日曜日 0:54:12
今日は友樹の月命日です。もうすぐ友樹が息を引き取ったと想われる時間になります。ゲートボール場にお線香をあげにいってきます。
あいりすさん、たびたび申し訳ありません。医師作成司法解剖報告書に次のような記述があります。
2.創傷の部位、程度について
(2)後頭部左側下端、外後頭結節の左方 6cmのところに、1×0.6
cm大の中央部は
真皮に達する表皮剥脱 1個
表皮の剥離片は上方に弁状に付着している。
この部の皮膚にほとんど出血がない。
(4)後頚部中央から右方にかけて、1.2×0.3 cm大以下の淡赤褐色表皮剥脱
3個
同部にほとんど出血がない。
(10)右コメカミ部から同耳介付着部、同頬骨から下顎部にかけて、4×1cm大以下
の、あまり生活反応のない表皮剥脱(淡褐色)群 1個
(24)右膝部周辺に、上下経 13cm、左右経 10cm大の範囲に、斑状皮膚変色
(徽紫
赤色) 1個
同部の中央部には、1.2×0.7cm大以下の表皮剥脱群を伴っている。
本創は全体として、生活反応が極めて弱い。
私には、これらの記述の意味するところは、「友樹は死ぬまで暴行を受けていた」
としか思えないのです。あいりすさんの御意見をお願いいたします。
2001年1月13日 土曜日 2:58:17
あいりすさん、警察関係者としてメールをくださったことに感謝いたします。加須警察が、司法解剖の鑑定項目から
「死後経過時間」 を外したことに対して、また医師作成司法解剖報告書をご覧になった感想をぜひ聞かせてください。お願いいたします。
2001年1月12日 金曜日 3:17:38
皆さんHPを訪れていただき、ありがとうございます。
ユウナさん
まだまだ被害者の立場から記事を書いてくださるマスコミ関係者は少ないです。どうかご自分を信じて目標に向かって頑張ってください。
2001年1月9日 火曜日 0:45:35
ホームページを訪れてくださる皆さん、ありがとうございます。法律のことを詳しく知らなくてもいいのです、若い方からの御意見も、「友樹の死」
を他人事ではなく身近に感じていただき命の大切さや、他人を思いやる気持ち・親が子供を想う気持ちを少しでも分かっていただければ・・・ 人それぞれの考えが違うのは当たり前なことだと想います。
うまく表現できませんが、このHPは私が泣きながら一人こつこつと作ったものです。私の感情が入っています。読む人によっては、「表現のしかたが適切でない」
と想われる方も当然いらっしゃるでしょう。でも、私が感じた表現になってしまうことを理解していただきたいと想います。それは、やはり、子供を残酷な集団リンチで殺されたどうしても許せない気持ちがあるから・・・ 加害少年たち・加害少年に協力をした関係者たち
(警察は参考人と言い張っている) ・友樹が呼び出されたことを知っていた友人たち・警察・検察・家庭裁判所・少年院・少年法・保護観察所・保護司、みんなみんな許せない。 まだ今は・・・
2001年1月8日 月曜日 0:30:56
namiさん、「必要の無い人間」 なんていない。絶対に・・・
どうか早まったことを考えないで下さい。友樹に会いに来てくれるのなら、私の自宅に会いに来てください。お願いします。
2001年1月7日 日曜日 3:38:02
怒れる一般大衆 さんのおっしゃるように、今回の少年法改正はほとんど変わっていないのと一緒です。年齢を14歳に引き下げていますが、犯行時16歳以上の少年が故意の犯罪行為により被害者を死亡させた罪の事件については,保護処分を適当と認める場合を除き,検察官送致決定をするものとする(第20条第2項)。とあります、「故意」
があったかなかったかの判断は非常に難しく、「まさか死ぬとは思わなかった」
などの言い逃れがたやすくできます。改正されたとはいえ、結局家庭裁判所の裁判官の判断次第でどうにでもなるということです。
第3 被害者への配慮の充実 |
家庭裁判所は,被害者等から事件に関する意見の陳述の申出があるときは,これを聴取するものとする。ただし,相当でないと認めるときは,この限りでないものとする(第9条の2)。
被害者等に対し,審判中及び審判確定後,一定の範囲で非行事実に係る記録の閲覧又は謄写を可能とする(第5条の2第1項)。
すべてに曖昧なただし書きがあり、加害者のプライバシーを守った上での被害者への配慮なのです。公平ではありません。私たちは五年後の見直しでは遅すぎると思っています。
飯田 啓子さんが
「一方、周りの杞憂をよそに、飯島さん自ら加害者に対して、温かい実践に踏み出されているではありませんか。」 とおっしゃって下さっていますが、決して温かい実践などではありません。彼らには友樹の事件を決して
「過去のこと」 にしてほしくない、友樹の携帯も靴も見つかっていない、警察が本気で捜査したなら見つからないということなどありえない、死亡時刻のことにしてもしかり・・・私は真実が知りたいから、彼らも一回か二回来ただけで真実を話すとは思えないから、時間をかけて聞き出すためには継続的に呼ばなければならないから・・・
本来、警察・検察がきちんと捜査をして真実を解明し、家庭裁判所や刑事裁判できちんと事実認定ができていて、さらに被害者にもきちんと情報が提供され、少年院なり少年刑務所なりで自分の犯した罪と向き合い心からの反省ができてから社会復帰すべきであり、その後も保護観察所や保護司が責任を持って被害者と連携して少年の更生にあたるべきだと思うのです。
でも実際、真実なるものは全くの闇の中です。
なぜ被害者が相手を殴りつけたい気持ちを必死で抑え、継続して来るよう指導し、いつ真実を語ってくれるか分からない憎い加害者どもと、この先もつらい思いを抱えながら対処しなければならないのでしょう。
私は 「温かい実践」 などやっているのではない、少しでも真実を解明しなければ友樹に合わせる顔がないから、友樹に会えた時
「頑張ったよ」 って言いたいから・・・
2001年1月3日 水曜日 22:40:30
リンクのページに、第150回国会において可決成立した少年法等の一部を改正する概要・新旧対照条文・法律を掲載しました。ご覧になってください。
2001年1月2日 火曜日 1:37:36
長い一年が終わり、また長い一年が始まりました。今年もいろいろな意味で戦いの年となるでしょう。これからも友樹に会いに来てやってください、お願いいたします。 元旦、友樹宛に一枚のハガキが届きました。
今日ママは、おねえちゃんと筑波科学万博へ出かけて友樹くんは、おばあちゃんとお留守番でした。 ママっ子の友樹くんを置いて行くのはとても心配だったのですが、 ママやパパが心配していたほど泣かずに、おりこうさんしていたようですね。 今、友樹くんは一才半、とてもワンパクでちょっと目を離すとはだしで外へ飛び出したりいたづらしたり・・・。 体重は約12Kg 身長も体重も大きい方で、3日前40度の熱を出して診療所へ行った時も、 「一才半にしては大きいね」 と先生に言われました。 その熱も一日で下がって次の日にはケロっとしているのですから・・・ 2001年 どんな感じかしら。 友樹くんも高校生、もうすぐ社会人かな? きっと大きくなっちゃって、ママが見上げるようになっているのかしら・・・ この手紙 2001年のママにも見せてくださいね。 友樹くんへ 1985年9月3日 PM11:14 ママより |
娘を連れて筑波科学万博へ行ったとき、「ポストカプセル 21世紀のあなたに届ける夢の郵便」 を娘と友樹宛に私自身が送ったものでした。 21世紀をこんなかたちで迎えるとは想像もしていなかった、まして友樹がこの世にいないなんて・・・