北埼玉郡北川辺町(現・加須市)少年 A1980.11.25 事件当時 18才 (無職 5/14日逮捕) の供述より (抜粋)

 北埼玉郡北川辺町(現・加須市)少年B1980.10.09 事件当時 18才 ( 無職 5/14日逮捕) の供述より  (抜粋)

 北埼玉郡北川辺町(現・加須市)少年C1981.06.24 事件当時 17才 (県立高校 2年・5/14日逮捕) の供述より  (抜粋)

 北埼玉郡北川辺町(現・加須市)少年D1981.08.08 事件当時 17才 (新聞販売店店員・5/14日逮捕) の供述より  (抜粋)

 群馬県邑楽郡板倉町少年E1980.12.03 事件当時 18才 (自営業手伝い・5/14日逮捕) の供述より  (抜粋)

 群馬県邑楽郡板倉町少年F1983.07.30 事件当時 15才 (専門学校 1年・6/3日逮捕) の供述より  (抜粋)

 群馬県邑楽郡板倉町少年G1983.06.01 事件当時 16才 (私立高校 1年・6/3日逮捕) の供述より  (抜粋)

 群馬県邑楽郡板倉町少年H事件当時 16才 (専門学校 1年・6/24日逮捕) の供述より  (抜粋)


 北川辺町少年A 1980.11.25 事件当時 18才(無職・5/14日逮捕)の供述より(抜粋) 同年1月に 「傷害事件」 を起こし、「保護観察中」
 飯島や 板倉町の連中を呼び出すことになった経緯は、
5月 12日の深夜、(18) の家の近くのスーパーの駐車場で、(18)・(17)と俺の中学の同級生の I.少年と後輩のS.少年と居る時、
S.少年が後輩の Hu.達にCDを借りるために呼んだので、 Hu.達を交えて話しをしていたのです。
すると、I.少年が 「この前セブンに行ったらK.高校の奴等にからまれた。」 との話しがあり、 Hu.か誰だったか思い出せないのですが、
「そいつは飯島かもしれない。飯島は、板倉町の連中とバイクを盗んでる話しがある。T.のバイクも飯島が盗んだみたいだ。」 と話しが出たのです。
 俺は、この話しを聞き I.少年にからむなんて後輩のくせに、と思うと同時に(18)のバイクを盗んだのもその飯島や 板倉町の連中ではないかと思ったのです。
俺の記憶では、この時に Hu.やH.に、「飯島や 板倉町の連中を呼び出しておけ。集まったら電話しろ。」 と言った覚えがあるのです。

 暴力を振るった場所は二箇所あります。
北川辺西小学校の体育館付近で、次は群馬県 板倉町のゲートボール場です。
このゲートボール場は、俺が小さい頃によく釣りに出掛けていた沼の近くにあることから、以前から知っていたのです。
 殴ったり、蹴ったり暴力を振るっていた時間ですが、時計をもっていたわけではありませんので、確かな時間は判りませんが、平成 11年 5月 13日午後 10時半頃から、翌日の午前 一時頃に掛けて暴力を振るっていたと思うのです。
飯島を殴ったり、蹴ったり又はバットや木等の棒で殴った人間についててすが、俺が見たかぎりでは、俺と中学の同級生の(18) 、後輩の(17)(17)の 4人と、この他に 板倉町から呼び出した不良が加わっています。
飯島については、事件を起こしたその日に始めて会った男で、俺の中学校の後輩に当たることは判りますが、住所や下の名前等はまったく判りません。

 飯島を呼び出して殴る話しが、すでに(18) の家で有ったのではないか?
 殴る話しなど全然ありませんでした。ですからが家からバットを持ってきた時、何でバットを持ってきたのか、判らなかったのです。
 小学校でがいきなりバットで頭の辺りを殴ったのです。
それを見て俺は、に、「頭はやめろ、殴るんだったら足とか腕にしろ。」 と、注意したのです。
は、「判った。」 と返事はしたものの、バットで頭を 5〜 6発殴っていました。
俺は飯島に、「お前は、自分のしたことを他の町の人になすりつけたんだ。板倉町の連中にシメられてもしょうがねえよなシメられるか。」 と聞くと
飯島は、「はい。」 と返事をしたので、知り合いの 板倉町の(18) に携帯電話で連絡し、「誰かシメる シメるんならば頭に来ているのこっちによこして。」 と電話したのです。
この電話をした時間については、覚えていません。

コンビニに 板倉町の連中が 7〜8 集まって来たので、「向うにいるぞ シメたかったら向うに行けば。」 と声を掛けたのです。
すると 2人が体育館の方に向かいました。
10分位、 Hu.達と話しをしてから、そろそろ終わっただろう、と思い小学校の中に入っていくと、今度は体育館のプールの通路のプール寄りのところに場所を移してまだシメていたのです。
近づいて行くと、体育館を背にして飯島がプール寄りに、もう一人が飯島の隣に正座させられ、板倉町の、とにかくチビと言った感じの男(15)が飯島に向かって、「てめー、なんとかかんとか。」 と大声を上げながら、飯島の頭めがけて前蹴りを何回も入れていたのです。

蹴りを入れられる度に、飯島の頭は、体育館の壁にぶつかり、ぶつかって戻って来ると、また蹴りを入れられていたのです。
その間をぬって、は正座している飯島の足に蹴りを入れたり、腹にパンチを入れたりしていました。
(17) は、通路の手摺に登り、飯島目掛けて足から飛び降りていました。
俺は、右足で飯島の腹を一回蹴りました。
右手で腹を一回殴りました。
もう一人の 板倉町の男(16)が手を出しているところは、俺は見ていません、この男が(18)の従兄弟です。
俺が見たかぎりでは、 板倉町のチビが興奮しながら前蹴りを入れていたのが印象深く残っています。

一応終わった後、血の付いた体育館の階段の辺りや、プール側の通路などを(17)達とホースで水を流しながら、たわしで洗いました。
は、「俺はこの野郎が気に入らない、土手に連れて行こう。何処か人の来ない所ある?」 と言うので、「ゲートボール場がある。」 と話しました。
ゲートボール場に向かう時にもは、車から降りて、自転車の後ろに乗せていた飯島の背中をバットで、5〜 6 発位殴っていました。

ゲートボール場に着くと、が立っている飯島の顔を殴っていました。
は立っている飯島の背中辺りをバットで殴りつけ、その後足や腕の辺りを殴っています。
が飯島の自転車を持ち上げて、飯島の体を殴りつけました。
その自転車を俺が持ち上げて、倒れている飯島に投げつけました。
は、投げ付けた自転車に乗り出し、飯島の背中を引いたのです。
ふたたび、は、自転車を持ち上げ、今度は飯島の顔や頭を往復ビンタをするようにして、何回か自転車で殴り付けたのを見ました。

が飯島の両手を持っていた時に、後ろから脇腹辺りを足で 4〜 5 発蹴りました。
角材を両手で持ち、振り上げて飯島の頭に当てました。
倒れた飯島の腰や腹に、角材を投げては拾って投げました。それを 4〜 5 回繰り返しました。
角材の先が当たるように投げました。
竹竿では飯島の頭の右耳あたりを叩きました。
その竹ざおを 板倉町のチビに渡すと、竹ざおを使って 2〜 3 発位殴っていました。相当力を込めたようで、竹の棒が折れたのを覚えています。
は、俺の見ている限り、バットを使って殴っている印象しか残っていません。
に付いては、角材で殴っているところを見ています。
は、「バットを持つのは中学校以来だ」 と声がして、バシッと音が聞こえました。

一通り殴り終えると、倒れている飯島が、「ウ〜 ウ〜」 と鼾のような音を立てており、その様子を見た俺は、やばいと思って
「息してるか 脈を取れ。」 と言い、 が息を確認し、が脈を見ています。
誰だったか判りませんが、「鼾をするときは、危ない。」 と言う声が聞こえペットボトルで水を掛け、目を覚まそうとしたのです。
その後、俺はに 「コンビニに行こうよ。」 と話しをして、俺との後輩の 4 人で行きました。
コンビニでポップコーンみたいなお菓子を買いました。
店の前に知り合いの後輩が 6〜7 居て、話しをして一緒にゲートボール場に行きました。

 I. 少年の乗って来た車のトランクに乗せた経緯については、どうして乗せることになったのかは判りませんが、毛布の上に乗せて後輩達がトランクに乗せたのです。
俺は、トランクに乗せるのを見て、「飯島の家にでも運ぶのかな。」と、思って見ていたのです。
途中、従兄弟 (暴力団幹部の息子) から電話があり、今までのなりゆきを話したのです。
新古河駅のロータリーに着き、後ろの座席で電話か何かに気を取られ、飯島がトランクから出されるところは見ていないのです。
駅には従兄弟 (暴力団幹部の息子 20才) が心配して来てくれていました。
しばらくすると後輩の誰だったかが、「息していない。」 と、飯島を置いておいた公園の方から駆け上がってきたのです。
俺は、早く連れて来いと怒鳴り、ロータリーの辺りに寝かせ自分の持っていた携帯電話で 119 番通報したのです。
が人工呼吸をすると飯島の口から血が出てきたことが印象深く頭から離れないのです。
しばらくして救急車が来たのですが、すでに飯島は死んでしまったらしく何の処置もしていませんでした。
俺は、この後駆けつけてきた警察官に逮捕されたのです。


 北川辺町 少年B 1980.10.09 事件当時 18才(無職・5/14日逮捕)の供述より(抜粋) 「恐喝」 で補導歴アリ
 正確な時間は判りませんが、 5月 13日午後 7 時ころに達が俺の家に集まったのです。
そして、が Hu.を使って飯島をコンビニへ呼び出したのです。
呼び出した理由は、先程話したとおり、俺のバイクを盗んだ事から、『しめてやろう。』 と考えたからです。
 俺の携帯電話は逮捕されたときに所持品として保管してもらっていますが、その携帯電話に通話の記録が残っているはずですし、携帯電話の記録から思い出せる事も有ると思うので、記録を確認しながら話したいと思います。また、携帯電話を提出しますので参考にして下さい。

コンビニには、Hu.・H.の他に知らない奴等が 10数人居ました。
「飯島って奴はどいつだ?」 と聞くと、「はい。」 と返事をして、高校生風の男が俺の前に進み出てきたのです。
この時 板倉町の(18) から、「 板倉町の奴等じゃないよ、そんな奴等に見えないでしょ。」 と言って来たのです、この時間は着信記録から 22:14 であることが判りました。
板倉町の奴等を帰して、西小学校に場所を移したのです。
俺はM.君に向かって、「お前もやったのか?」 と聞いたところM.君は、黙ったまま返事をしないので、右手拳で顔面中央を殴ったのです。
飯島は、から聞かれていましたが、はやりはっきりした事は言わずにいたのでが足蹴り、が柔道の投げをして転ばせたのです。
そこで、俺たち 4 人は飯島とM.君の2人を金属バット等で殴ったり蹴ったりして締めたのです。
俺は右手拳骨で、顔面や腹を 3発づつ位殴り、右足蹴りで足を 5発位蹴りました。
が、「プールの方へ連れて行こう。」 と言ったのでそこへ正座させて、再び殴ったり蹴ったりして締めたのです。

そこに、帰ったはずの、 板倉町の連中のうちの二人が通路下にいるのに気が付いたのです。
この二人は名前は判りませんが、I.町の従兄弟(G)とその友達(F)だったのです。
俺は二人に向かって、「この二人はお前等のせいにしたんだ。」 と言い、が、「お前らになすりつけたんだからやっちゃえよ。」 と言ってやったのです。
すると坊主頭の男(F)が飯島の前に立ち、頭や体を蹴ったり肘討ちをして締めたのです。
板倉町の従兄弟(G)も飯島を立たせて腹にパンチを二発入れたのです。
俺は飯島に、カカト落とし数回・背中や頭に蹴り 10発以上をやりました。がまだ気がすまないので皆に、「こいつまだ気に入らないよな。」 と言い、が、「ゲートボール場が有るや。」 と言ったものですから場所を移動する事になったのです。
この時、が水道からホースを引っ張り、水で血を洗い流していたのを覚えています。
場所を移す時、 板倉町の(18) から 「もう直ぐ行くよ。」 と電話がありました。
この時間は、着信記録から 23:15 分となっています。
この事から、西小学校で飯島とM.君の2人を締めていたのは、平成 11年 5月 13日午後 10時 30分頃から午後 11時頃までの間だと思います。
 ゲートボール場に向かっている時が運転する自転車の後ろに乗っていた飯島が、俺が乗っている車を見つづけていたので、飯島がガンをつけたように見えて、車を止めさせ金属バットを持って飯島が乗らされている自転車目掛けて走り、飯島の背中を金属バットで  3〜4 発位殴ったのです。

ゲートボール場に着くと、まず始めに・坊主頭(F)が殴る蹴るを繰り返したのです。
俺が金属バットを持って空き地に行くと飯島は、腹を押さえて、うずくまっている状態でおり、が体を蹴っていました。
俺は、うずくまっている飯島の横に立ち、飯島の、背中・腹・脇腹を金属バットで連続して 10発位殴りつけたのです。
その後は、うずくまっている飯島に、右手拳で顔や腹に 15発位、右足で脇腹に蹴りを 10発位入れました。

俺以外の連中がやった暴力で記憶に有るのは、
は、足蹴り、うずくまっているところに、角材を投げ付けた。
は、足蹴りとパンチ。
は、足蹴りとパンチを入れた他に、角材で背中を殴った・竹竿で、後ろから頭をスイカ割りをするようにして殴った・金属バットを素振りしながら 「昔を思い出すわ」 と言って背中を殴った。
板倉町のは、足蹴り 5 発位。
坊主頭(F)は、最初から最後まで締めつづけており、主に足蹴りを入れていました、蹴り過ぎた為か右足の靴を脱いで、「痛てえ。」 と言いながら足をさすっていたのを覚えています。
俺は、仰向けに倒れた飯島の、脇腹を 15発位蹴りました。
飯島が鼾をかき始めてしまったので、締めるのをやめたのです。

がコンビニへ行こうと言い出し、一緒にコンビニへ行くと、顔見知りの後輩が 7人たむろしていたので、後輩達に、「俺のゲンチャリをパクった奴を締めたんだけど、やばいんだよ。」 と言うと、後輩達はゲートボール場に見に行きました。
はコンビニでポップコーンと麦茶を買って飲み食いしていました。
ゲートボール場に戻り飯島の顔に水を掛けたりしている時友人から電話がありました。
着信記録から 14日 1時 58分となっています。
この電話の後、I. 少年が飯島の様子を見に来て、「これじゃやり過ぎだべ、救急車呼んだ方がいいんじゃないの。」 と言ったのですが、救急車を呼べば、警察も来て捕まってしまうと思い、呼ばせませんでした。
でも、その場に飯島一人を残して行く事もできず、みんなと相談した結果 「とりあえず 北川辺町の何処かへ行って、それから考えよう」 という事になり、毛布を担架代わりにしてトランクへ入れたのです。
この時飯島に、「大丈夫か。」 と声を掛けると返事をしていたので、生きていました。

新古河駅のロータリーに着き、車から降ろしロータリーから下った線路際の草むらに寝かせたのです。
草むらでも、声を出したり、体を動かしたりしていたので、腹が減ってしまい(18) と助手席の男(I)に送ってもらいコンビニへ弁当を買いに行ったのです。
家に帰って弁当を食べている時から電話があり、「お前何やってんだよ、やばい事になってるんだ、早くコイヨ。」 と言われて戻り、逮捕されたのです。


 北川辺町 少年C 1981.06.24 事件当時 17才 (県立高校 2年・5/14日逮捕)の供述より  (抜粋)
 事件の前日である 5/12 の夜中ころのことです。
先輩の家の近くにある潰れたスーパーの駐車場のところで僕や先輩、先輩の他 I.少年とS.少年で集まって話しをしていました。
そこへ僕の二年後輩の Hu.という男を含めて、四人位チャリに乗ってやって来て、S.少年に CD か何かを渡した後、しばらくそこで一緒に話しをしたのです。
その時 I.少年が、「この間セブンのところで、俺にガンを呉れて喧嘩を売った奴がいる。」 といった話しになり、Hu.達後輩から 「そんなことするのは○○という奴かも知れない。」 などと誰か人の名前が出たのです。
今思うとそれが 飯島君 の名前だったと思うのですが、僕は聞き流したかして飯島という名前はその時は記憶がないのです。
そしてさらに、多分 I.少年が言ったのだと思いますが、「T.君の原チャリを盗んだのもそいつらだよ。」 などと先日聞いていた T.君の原チャリが盗まれた時の犯人が I.少年に喧嘩を売ったのと同じ奴で、その仲間らしい奴等の何人かの名前が出たのです。
その何人かの連中の中で、僕は N.君という名前に記憶があるのです。
先輩か先輩は、「じゃあの原チャリもそいつ等がやったのかも知れないな。」 ということになったのですが、Hu.達から 「板倉町の連中も窃チャしているという噂がある。」 と言ったので先輩だったと思いますが、「分かった。一回そいつ等を呼んで話しを聞いてみるべ。」 という話しがあったのです。
 
 13日夜 10時ころ先輩の携帯に Hu.から、「今、セブンのところに飯島や板倉町の連中を呼んである。」 という内容の電話があり、先輩と先輩と僕それにの四人で行く事になりました。
 先輩の家を出る時に、金属バットを一本手にして、僕に、「持って行って。」 と手渡して来ました。
先輩と先輩は、家を出る前に、「ちょっとやる。」 とか 「ちょっとしめる。」 とか話していました。
僕は、僕も先輩の原付を盗った犯人を見てその犯人を殴ってやろうと思いましたが、金属バットを持って行ってはやばいと思いました。
先輩は犯人にかなり怒っていることは分かっていましたので、この金属バットを使って犯人を殴るつもりだと分かり、「まずくないですか。」 と言いましたが、先輩はもう一度僕に、「持って行って。」 と言いました。
でも、バイクの横に転がしておいてそのまま忘れていました。が運んでくれたのです。

 西小学校の、先生や客が出入りする玄関の前に正座させました。
僕は正座した飯島の後ろに立ちました。
先輩か先輩のどちらかから、飯島が逃げないようにその場所に立て、と言われてそうしました。
先輩が拳で上半身のどこかを 2〜 3 発殴りました。
先輩も直ぐに殴りかかり、も殴りました。
僕も足の甲で正座した飯島の背中の辺りを 2 発位蹴りました。
その場所は、学校の入り口で通行人からも見える場所だったので、先輩と先輩が、「向うへ連れて行け。」 と言ったので背中を付き飛ばしながら、体育館の入り口の前にある階段の前に連れて行きました。

そこで立たせたままで脇腹や足を蹴ったりしました。
も同じように殴ったり蹴ったりしていました。
そこへ金属バットを持って先輩近づいて来ました。
先輩は、金属バットを頭上に振りかぶって、飯島の頭にめがけて振り下ろし、2、3発殴りつけました。
飯島は、一発目ですぐに頭を抱えてしゃがみ込んでしまいましたが、先輩はなおも殴っていました。
僕も先輩から金属バットを借りて、飯島の頭を 一回殴りました。
僕等は飯島を交互に殴ったり蹴ったりし、僕も飯島の顔や背中や腹を 4〜 5 発足の甲でボールを蹴るように蹴りました。
先輩が、「目立つから連れて行け。」 と言いました。
目立たないところへ行って、もっと殴ったり蹴ったりするつもりだと分かり、立たせて背中を突き飛ばしながら、 2人を体育館の脇の細い通路まで連れて行きました。

そこに、 板倉町の先輩の従兄弟と制服姿の男が来ました。
先輩に、「やっていいですか。」 と断ってから、飯島の頭や体を、一人でも 10発以上は殴ったり蹴ったりしました。
僕も一緒になって右足蹴りで、飯島の顔や腹や胸や頭を蹴ったりしました。
も飯島に暴力を振るっていたと思いますが、僕は自分が暴力を振るうのに一生懸命だったのではっきりとは分かりません。
飯島を殴る合間にはM.君にも暴力を振るっていましたが、飯島が受けた暴力の方が断然大きかったと思います。
先輩が、「目立つから移動しよう。」 と言い出しました。
僕は、これを聞いて先輩が、もっとひどく思いっきり暴力を振るうには、西小学校ではどうしても音や声が建物に響いて近くの民家や駐在所に聞こえてしまうので、音や声を潜めなければならず、人気の無いところへ移動しようとしていると分かりました。
僕も、もっと殴ったり蹴ったりしてやりたいと思いました。

 ゲートボール場に着くと、脇の道に自転車を立て掛けて、僕と・ 板倉町の制服姿の男(F)先輩の従兄弟(G)の 4人で殴ったり蹴ったりしました。
僕は飯島の自転車を持ち上げて、それで飯島の足や腰辺りを殴りました。
飯島は、自分で立てなくなってきて、地面に膝をついて座り込んでしまいました。
やがて、先輩と先輩が 板倉町の先輩と先輩の後輩(高2) を連れて来ました。
そして、先輩が金属バットで 3〜 4 発、飯島の頭と腹と肩を殴りました。
すぐにその道路は狭いので、ケ゛ートボール場の続きにある空き地に移動しました。
飯島は、自分でも歩こうと少し足を動かしましたが、殆ど自分では歩く事が出来ない状態で、僕が飯島の左肩を抱え、が右の肩を抱えて、飯島を引きずって移動しました。

僕は、、空き地に移動してから、飯島の顔や腹や頭や足などを、ところ構わず少なくても 十数発以上殴ったりしました。
先輩が竹ざおを使って、立っていた飯島の背中を殴っていた事を覚えています。
先輩も飯島の体を殴っていた事も覚えています。
・ 板倉町の制服姿の男も僕と同じように飯島に暴力を振るっていました。
僕と、とで飯島の腕を持って立たせ、サンドバックのように先輩と板倉町の制服姿の男(F)に殴ったり蹴ったり、金属バットで殴ったり、させました。
それから交代してもらって、僕ととで飯島の体を金属バットで殴ったり、蹴ったりしました。
僕は、先輩と板倉町の制服姿の男(F)に 「向き変えて。」 と頼んで飯島の体の角度を変えさせては、腹や腕や背中を蹴りました。
殆どリンチ状態で締め上げました。
飯島は、言葉にならない声を何度も上げていました。
痛がってうめき声や悲鳴を上げる飯島を見ていると、いい気味だと思いやめられませんでした。
先輩と 板倉町の制服姿の男(F)が飯島から手を離すと、飯島は、膝から崩れ落ちるようにして空き地に腹ばいの状態で倒れ込んだのです。
腹ばいの状態で倒れ込んだ飯島の背中の辺りを目掛けて、金属バットや角材を使って殴ったり、腹に蹴りを入れたりしました。
先輩が飯島のどっちかの手の、『手の平か手の甲』 の辺りに、吸っていた、『タバコの火』 を押し付けて火を消したのです。
小学校でも、ここでも、飯島は僕等に全くの無抵抗でした。
飯島は気を失っているようでした。

僕は、さすがにやりすぎたと思い暴力を振るうのをやめました。
顔に水を掛けると飯島が、「お前等明日皆殺しにしてやる。」 と言ったので、僕はまた腹が立ち、飯島に手を出したいと思いましたが、地面に寝そべって立つ事も出来ないでいるところへ暴力を振るっては、死んでしまうと思い殴ったり蹴ったりは出来ませんでした。
そこで、かわりに、飯島の下半身を丸裸にしてやりました。
下半身を裸にしてやったのは、飯島に、「男として恥かしい思いをさせる。」 という気持ちからやりました。
この様に下半身が丸出しになった状態で飯島をそのままにしていたのです、その状態の時に僕等の後輩達 7 人が原チャリでこの空き地に来ており、当然後輩達 7 人は飯島の裸を見ているのです。
そしてこの後輩達が来て間もない頃に、飯島の様子がおかしいことから、多分後輩の誰かに手伝ってもらい、ズボンを履かせて上げたのです。

結局飯島の状態はどんどん悪くなり、ゲートボール場に放っておくわけにも行かなかったので、新古河駅に移動させたのです。
 I. 少年先輩のトランクに飯島を乗せて、新古河駅に着いたのは午前 3 時頃でした。
駅の近くに飯島を寝かせ、様子を見ていたのですが、僕が自宅にタオルケット等を取りに行って戻った頃に飯島の容態が悪くなっていて、その時初めて救急車を呼んだりしたのですが、結局は手遅れになってしまったのです。
飯島にまだ息があった頃、後から集まってきた遊び仲間や誰かが、「救急車を呼ぼう。」 と言ってくれたのですが先輩か先輩が、「救急車を呼ぶと警察も来るから駄目だ。」 と言って呼ばせませんでした。
僕も救急車は、警察が来るので呼びたくないと思い、そのまま放っておき、自分で救急車を呼ぼうとはしませんでした。

僕はこの事件の時始めて 板倉町の先輩と会いました。先輩の従兄弟がという名前であることは警察で聞いて始めて知りました。の友達 (制服姿の男) は名前も分かりません。


 北川辺町 少年D 1981.08.08 事件当時 17才(新聞販売店店員・5/14日逮捕)の供述より  (抜粋)
 先輩から、「バイクのことがあるから、行くぞ。」 と言われました。
俺達は先輩の家を出る時に先輩から、「おめえ、バット持ってけ。」 と言われたのです。僕の隣りに居たが金属バットを受け取り、僕に手渡して来たので僕のバイクに付けて行ったのです。
コンビニへ着いて整備不良等のバイクをと一緒に外から見えないところに隠し、戻ると高校生等の帰っていく姿が見えました。
西小学校へ歩きながら先輩に、「なぜ帰すんですか?」 と聞いたところ、「あいつ等は関係ない。」 と言って、「こいつ等がバイク盗んだんだ。」 と言ったのです。

先輩に、「こいつ等締めちゃえ。」 と言われたのです。
俺達は 2人を正座させながら順番に殴り始めました。
そして、誰かが手を休めると、休んでいる者が殴る等の繰り返しでした。
飯島を正座させ右足かかとで、右肩を一回蹴飛ばしました。
左手で頭を掴み、右手拳骨で飯島の右頬あたりを 2〜 3 回殴りました。
一回転して反動を付けて、右手の甲で飯島の後頭部を殴りました。
右足で飯島の胸を蹴りました。
左膝蹴りでは、背中を蹴りました。膝蹴りは何回もやりました。
足蹴りで背中を蹴飛ばした時、飯島は前かがみになりました。前かがみになった時、右足で頭を踏みつけました。
コンクリートに頭をぶつけるのが目的でした。
顔が少し上がったところで、右足で下から蹴り上げるように蹴り、顎のあたりを蹴りました。
飯島は後ろのコンクリートに後頭部をぶつけていました。
コンクリートに頭がぶつかり、その反動で前屈みになったところを、また下から蹴り上げました。
こんなことを 7〜8 回繰り返しました

 僕は、正座している飯島の顔面を足のつま先で突くようにして蹴飛ばしたり、頭をゲンコツで殴ったり、顔面を裏拳で殴ったりしてこの場で合計で、40 発から 50 発くらい殴ったり蹴ったりしました。
先輩は、飯島をバットを使って殴り始めました。
始めは、肩や首付近を殴っていたのですが、その内に力を入れて、思い切り頭を殴り始めたのです。
俺は、先輩がしている事を見て、『頭を殴ったら死んじゃう。』 と思い、先輩に、「頭はまずいですよ。」 と注意したのですが、止めることなく、そのままバットで殴っていました。

俺たちが殴っている時、後ろを見たら、見たことのない 2人の男が立っていました。
「お前等何やってんの?」 と聞いたところ、男達は、「こいつ等に俺達の名前語られた。」 と言っていました。
そして誰かが、「こいつ等 板倉町のせいにしたんだよな。」 と言っていました。この時に二人(FG)が 板倉町の人間であることが分かったのです。
そして二人の内の黒っぽい上下のジャージを着ていた男(F)が最初に飯島を殴ったり蹴ったりしていました。
その後もう一人の男(G)が殴り始めました。後から殴った奴(G)は 2〜 3 発位しか殴っていなかったように思います。
先輩に、「血を流せ。」 と命令されたので、俺は、誰かが持って来たバケツでホースの届かない体育館の階段に付いた奴等の血を洗い流したのです。
は、ホースでプール側の通路に付いた血を洗い流していました。
この体育館で、殴ったり蹴ったりしたのは、俺と先輩・先輩・と名前は分かりませんが、 板倉町の 2人(FG)でした。

 ゲートボール場に着いてからは、休むことなく殴っていました。
先輩はバットを手に持って、正座させた飯島の背中目掛けて 「バイクを盗んだ 3台分。」 と言って、思い切り素振りするような格好で殴ったのです。
俺も、先輩からバットを借りて、先輩のバイクの分・後輩のバイクの分・ためぐちを聞いた分等の事を言って、素振りするように背中目掛けて殴ったのです。
その後、誰が持って来たのか分かりませんが、角材・竹ざお等が置いてあり、俺は、これらの角材等を両手で頭上に持ち上げて振り下ろし、飯島の足や背中を殴りました。
竹ざおを両手で持ち振り上げて、飯島の左顔面を叩きました。
みんなも使って殴っていました。
飯島を立たせて、飯島の両腕を先輩が持ち、俺は、飛びながら飯島の顔付近をめがけて、ソバットという回し蹴りをしたのです。
この時先輩が、「すげえな。どうやったん。」 と言ったので、もう一回 まわし蹴りしたのです。
そして、飯島の自転車に乗って、仰向けになっていた飯島の身体めがけて、前輪のタイヤをぶっつけたのです。
最後に先輩が殴ったり蹴ったりしていました。

俺は、飯島を何度も殴ったので、右手の甲が痛くなってきたのです。
手を見たら、中指の付け根が腫れていました。
「手も痛いし、疲れてきたし、仕事もあるからもういいや。」 と思い、やめたのです。
この時、携帯電話の時間を見たら 0:35 でした。
僕は時計を見るため少し飯島から離れましたが、その間に、が飯島の服を脱がしたりして、先輩と先輩が飯島に近づいてそれを見て笑っていました。
その後、飯島は一人で家に帰ることは到底出来なさそうだったので、ゲートボール場に放って置くわけにもいかず、新古河駅に移動させました。
皆と一緒にゲートボール場を出たのは、午前 2時 30分頃だったと思います。

新古河駅のロータリーで飯島をトランクから降ろしたのですが、このままおいて置くと目立つので近くの公園の芝生に置いたのです。
俺達が新古河駅に着くと、先輩の従兄弟がいました。
この先輩の従兄弟に、「仕事何やっているんだ」 と聞かれたので、「新聞配達です。」 と言ったところ、「じゃもう時間だろ、行け。」 と言われたので自分の家に帰り、服を着替えて新聞店に行きました。
店に着いたのは、5月 14日午前 3時 15分でした。
そして、新聞配達が終わった頃携帯に、「やばい事になっている。」 と電話がありました、時間に付いては提出した携帯を見れば判ります。
新古河駅に戻り逮捕されました。

 板倉町から西小学校に来た二人のうち一人の名前がで、もう一方がその友達だという事は、6/2検察官に聞いて始めて知りました。


 板倉町 少年E 1980.12.03 事件当時 18才(自営業手伝い・5/14日逮捕)の供述より  (抜粋)
 事件の前の日 5月 13 日のことから話しますが、午後 5 時半ころだったと思いますが、北川辺町の I.少年から携帯に電話があり、「北川辺町のスクーターを 板倉町の奴が盗んだと 北川辺町の後輩が言ってるから、調べてくれ。」 というものでした。
I.少年に電話をして、「 板倉町の奴ってどんな奴?」 などと聞いたら、 I.少年は、「昨日、北川辺町のセブンに居た奴の中に居るらしい。」 と言ったのです。

実は前の日 ( 5月 12 日) に俺の従弟や、の友達で名前の分からない坊主刈りの伸びた頭の背の低い男(F)などが 北川辺町のセブンのところで I.少年に対して、「タメ口」 をきいたとかでトラフ゛ルが あったのです。
その時にから俺の携帯に助けの連絡が入ったので、俺が掛け付けて I.少年に謝った事があるのです。
I.少年が、その時の連中の中にスクーターを盗んだ奴がいると言っているので、俺はまず、従弟のに連絡を入れ達の居る公園に向かったのです。
公園には、の他に、坊主刈りの伸びた頭の背の低い男(F)が居て、 I.少年の話しを伝えたところ、「えっなんの事ですか。盗みなんかやってませんよ。」 と全く覚えがないようでした。
俺はその言葉が信じられたので二人を連れて I.少年が居る北川辺町のコンビニへ行ったのです。

コンビニのところには I.少年の他に、7〜 8 人居て、 I.少年から直接今までの話しを聞かせてもらったところ、のスクーターともう一人のスクーターが盗まれていて、 板倉町の奴がやったといっている奴については、飯島という子が言っている事が判り、 I.少年も従兄弟達にスクーターの事を聞いて確認などしていましたが、飯島という子を呼ぶと言うので皆で待っていたのです。
飯島は自転車に乗って一人でやって来たので、 I.少年が、事情を聞いたのです。
飯島は、はじめは、「 板倉町の奴がやったんだ。」 と言い、次に、「 板倉町の神社のところで落ちているのを拾った。」 と言い換えて、そしてやっと、「新古河駅のところで盗んだ。」 と認めたのです。
でも、そのスクーターはのではなくもう一人のだと言っていたので、 I.少年から、「のもお前がやったんだべぇー。はいちゃえよ。」 と言われていました。
俺は、その様子を見ていて、「嘘が下手な子だな。」 と思いました。
I.少年は、この飯島が 板倉町のせいにしていたものですから、飯島を従兄弟達に謝らせたのです。
俺は、「こんな態度じゃ、 板倉町の連中がシメなくても 北川辺町の連中がきっとシメるだろうな。」 と思ったので、 I.少年に、「帰るから。」 と言って従兄弟達を車に乗せてセブンから離れ、後輩の 板倉町(高 2) と約束があったので、公園に送り届けたのです。

夜、俺が後輩の 板倉町(高 2) と一緒に居る時、俺の携帯にから電話が入り、「今度は、A先輩から 北川辺町のセブンのところに呼ばれてしまった。何か、怒っている感じだ。」 と言う内容でした。
俺は直に、に、「のスクーターの事は、飯島が関係しているかもしれないけど、 板倉町の奴は関係ないから帰してやって。」 と頼んだのです。
その後から電話が入り、「達を帰した。」 という事で、ホッとしたのです。
その電話の後にまたから、「のスクーターを飯島が盗んだって言ったから。お前の従兄弟(G)達も、罪をなすりつけられてたから、来いって伝えてくれ。お前も来る?」 と携帯電話に連絡が入りました。
達がの居るところに行っても、知らない先輩の中では思い切り暴力が振るえないだろうと思い、「行くべ。」 とに答えました。
俺は、その電話を切ってから、 板倉町と一緒に友人にスクーターを見せてもらいに行き、その途中での携帯に電話をかけてから言われた事を伝え、「俺も後から行くから。」 と言いました。
俺は、こう言えば、達が飯島のところへ行って飯島に暴力を振るうと思いましたが、飯島はそれまでに嘘をついていたのだから殴られても当然だと思いました。
北川辺町のコンビニにに迎えに来てもらい、ゲートボール場に連れて行ってもらいました。 板倉町も一緒に行きました。

ゲートボール場にはすでに飯島とと 従兄弟のとGの友人(F)がいました。
飯島達もまだ着いたばかりの状態でした。
まず、の 3人で、飯島を殴ったり蹴ったりし始め、次に、も入って一緒になって、飯島を殴ったり蹴ったりしました。
飯島は、「痛い。」 などと声をあげていましたが、一切何も抵抗していませんでした。
が金属バットを使って、飯島の背中や腕を殴ったしました。かなり力がこもっていたように思います。
はバットを両手で握り野球をやる時のようにフルスィングで手加減せずに殴りつけたので、とても痛そうに見えました。
は、その後も立っている飯島の背中や脇腹と腕などの上半身をバットで思い切り殴りつづけたのです。
殴られている飯島は、じっとこらえているだけで抵抗などしませんでした。
飯島が金属バットで殴られた後は、「怖い。」 と言って帰ってしまいました。

等は飯島を殴りながら空き地を移動し、ちょうど僕等が見ている目の前に来た時に、の誰かから蹴られて、地面に座り込んでしまったのです。
僕は、右足の足の裏で、踏むようにして飯島の背中を 5 発くらい、思いっきり蹴りました。
なぜ 5 発でやめたかというと、飯島はこれまでにもすでにかなり暴行を振るわれていて、これ以上蹴っては危険かもしれないと思ったからです。
それなのに、は、なおも飯島に暴力を振るい続け、まず、が僕の方へ来てが最後まで暴力を振るっていました。

俺は、 板倉町が飯島を殴ったり蹴ったりしているところを直接見たわけではありませんが、 板倉町と話している時に、「やったの?」 と聞いたら 「少し。」 と言ったので、 は飯島に対して若干の暴力を振るっていると思います。
それからすぐにが 「何か、いびきかいてる。」 と言いながらこちらに来たので、さすがに僕等もやりすぎたと思い、これ以上の暴力は振るいませんでした。
ただ、が地面に寝そべった飯島を取り囲み、のどちらかが飯島のズボンなどを脱がせて下半身を剥き出しにしていました。
その後飯島は、自分で家に帰る事は勿論、自分で立つ事もできなくなりました。
遊び仲間の I. 少年や後輩らが集まってきて、その中の I.少年が、「救急車を呼んだ方がいいんじゃない。」 と言ってくれましたが、僕は、「救急車を呼ぶと警察も来るからだめだ。」 と言って呼ばせませんでした。

僕らは、ゲートボール場に放っておくわけにも行かなかったので、飯島を新古河駅まで移動させました。
ゲートボール場を出た時間は、時計を見たりしていなかったのではっきりした事は分かりませんが、午前 2 時過ぎ、だったと思います。移動の時間は 15 分〜20 分位だったと思います。
飯島をロータリーから離れたところに連れて行った理由は、やはり、警察が騒ぎを聞きつけてやって来た時に、飯島の事がバレてしまうと困ると思ったからです。
この時点でも飯島は、「ウー」 とか 「アー」 とか言って、まだ意識はあったのです。
僕は、途中で眠くなったので 板倉町と家に帰りました。
も、「俺も送って。」 と言って俺の車に乗り込んだのです。を自宅に送り届けたとき、俺の車の中に、『銀色の金属バット』 が置いてあり、
が降りるときに、「これ預かっておいてくれ。」 と言われたので俺が保管して置いたのです。
と 板倉町を送って自分の家に戻り時間を見たら、午前 4 時過ぎ、だったのを覚えています。


 板倉町 少年F 1983.07.30 事件当時 15才(専門学校 1年・6/3日逮捕)の供述より  (抜粋)
 まず、何故、僕が、この事件に加わったのかについてから説明します。
その一番の理由は僕の事を飯島君が、「先輩の原チャリを盗んだ犯人だ。」 と言って人のせいにした事です。
それで、 北川辺町の先輩が飯島君をボコルという連絡を受けた時に、僕は、「先輩達が一緒なら簡単にやれる。」 という気持ちになり、僕のせいにされた仕返しのつもりで事件に加わったのです。

 事件の前の日 (平成 11年 5月 12日) の夕方に 北川辺町のセブンに 板倉町の同級生 10人位で買い物に行った時、飯島君とM.君が店に居て、僕達と同じ年という事から、皆で店の前で話し込みはじめたのです。
その時に、 北川辺町の先輩という人が車でやって来たのです。この先輩の名前は後で判ったのですが、I.少年という三年先輩の方です。
I.少年という先輩は、僕たちの周りを車で 2〜3 周してから僕達の横につけて止まり、直ぐ近くに居た 板倉町の Na.君を助手席に乗せて、また走り出したのです。
そして、しばらくしてから Na.君を降ろして今度は飯島君を乗せて走り始めたのです。
車を降ろされた Na.君に話しを聞いたところ、「 板倉町の奴が何しに来てんだ。」 と云うような事を言われたそうです。
I.少年という先輩は、15〜20 分後にセブンに戻って来たのですが、その時に、飯島君の他に飯島君と同じ年の Hu.君と H.君も一緒に乗ってやって来たのです。
そして、僕達に先輩を呼べと言うので先輩に連絡を入れたのです。
I.少年という先輩と先輩は顔見知りの仲で知り合いのようで、I.少年という先輩が Na.君の首をつかんで先輩に、「こいつが、タメ口をきいた。」 と言ったので先輩が、僕達に対して、「I.少年に謝れ。」 と言ったので、皆で頭を下げて謝ったのです。
この時に、 Hu.君と H.君が、「 北川辺町の先輩の原チャリを 板倉町の奴が盗んだって判っているんだぞ。」 と言って来たのです。
この時は何の事か判らなかったので、I.少年という先輩に謝ってから僕達は飯島君達と別れて 板倉町に戻ったのです。

 事件当日の授業中にか Se.君から僕の携帯に電話があり、「昨日、セブンにたまっていた事で他の先輩が怒っている。」 という事だったので、学校が終わってから集まろうという事になり、午後 4 時頃昨日のメンバーが集まったのです。
そこへ飯島君とM.君が僕達のところへやって来たのです。この時点でも、誰が飯島君なのかM.君なのか判っていませんでした。
二人に、「昨日の事で誰が怒ってるんだ。」 と聞いたのですが、「知らない。」 という事でした。
その時に、先輩が僕達のいる公園にやって来て、「 北川辺町の飯島という奴が 板倉町のから原チャリもらったって言っている。」 と言って来たので僕は、「やってません。」 と答えたのです。
先輩が 「本当にやってないなら誤解を解きに行こう。」 と言ってくれたので、疑われている僕との二人が先輩の車に乗り込んで 北川辺町に向かったのです。

 セブンに着くと、前の日の I.少年という先輩がK高校の男子生徒など 10人位と一緒に居たのです。
先輩から、「相手に信じてもらいたかったら、絶対目を離すなよ。」 と言われていたので、 I.少年という先輩の目を見て、「やってない。」 と言い張ったので I.少年という先輩は僕の事を信じてくれたのです。
僕が原チャリを盗んだと言っている張本人を呼ぶと言う事になり、待っていると 板倉町の児童公園に来ていた、飯島君、がやって来たのです。僕はこの時はじめてこの男が飯島君である事を知ったのです。
I.少年という先輩が飯島君を追及したのです。はじめのころは、「知りません。」 とか言っていたのですが、最後は、「 板倉町の人は関係ありません。」 と言って認めたのです。
それで、 I.少年という先輩が、二人に対して、「 板倉町の人に迷惑かけたから謝れ。」 と言ってくれて、僕達に飯島君とM.君は頭を下げて、「ごめんなさい。」 と言って謝ってくれたのです。
僕達は疑いが晴れたので、その場を離れて 板倉町に戻り先輩にお礼を言って別れ、皆もそれぞれ家に帰ったのです。

 午後 9 時半か 10 時ころかSe.君から電話があり、「セブンにたまっていた事で、 北川辺町のヤクザの息子が怒っていて、僕達の事を呼んでいる。」 という事でした。
それで、当時セブンに一緒にいた 板倉町の仲間に連絡を取り合って 北川辺町のセブンに集まったのです。
僕達が着いた時には、 Hu.君と H.君の二人が居て、僕達に、「これから先輩が来るから待ってて。」 というのでしばらく待っていると、飯島君が自転車に乗ってやって来たのです。
僕は飯島君がなぜ来たのか判りませんでしたが、その後直に、原チャ一台と単車二台に分乗して 北川辺町の先輩が金属バットを一本持って来たので、「あれでボコられると死んじゃうかも。」 という思いでとても恐くてたまりませんでしたが、
何もされないうちに先輩か゛、「板倉町は帰っていい。」 と言ってくれたので、僕等 10人はその場から直ぐ離れたのです。

 板倉町の仲間で酒屋の前でたむろしている時、の携帯電話に、「原チャリを盗んだ事を、板倉町のせいにされたんだからボコるのを一緒にやったら」 という知らせが、入ったのです。
5 人は帰ってしまっていたので、残りの仲間 5人で 北川辺町のコンビニに戻ったところ、先輩が、「お前等何しに戻って来たーん。」 と言うのでが、「先輩から電話があって、一緒にやって良い。」 と云うような事を言って答えたのです。
すると先輩は、「 2〜 3人行けば。」 と言ってくれたのです。
仲間が僕に、「名前を使われたんだから、行けば。」 と言ったので、僕も、『そうだな。』 と思いと一緒に行く事にしたのです。
H.君が僕等 2人をボコル場所に連れて行ってくれたのです。

 そこは、コンビニの裏にある小学校の体育館の通路でした。
そこには、金属バットを持った先輩と先輩と先輩が通路上に立っていて、体育館の壁の前に、飯島君とM.君の 2人が正座で座らされていたのです。
先輩の誰かが、「どうしたーん。」 と聞いてきたので、「先輩に一緒にやって良いと言われて来たんです。」 と説明すると、多分先輩だったと思いますが、「上がって来な。」 と言ってくれたのです。
正座させられている 2人は頭を下げている状態だったので、顔の様子が判りませんでしたが、座っている前の通路上にポタポタと落ちた血の跡がいくつもあったので、もう 2人は既にボコられたんだなと思いました。
そして、先輩が思いっきり飯島君の足とか脇腹辺りに、蹴りを 2〜 3 発入れたのです。
先輩が、「やっちゃっていいんだよ。」 と言ったので、僕が正座させられている飯島君の左肩の辺りを狙って、思いっきり右足で踏みつけるような感じの蹴りを一発入れたのです。
それに続いて、が飯島君の脇腹辺りに足蹴りを一発入れたのです。
今度は僕が、飯島君の顔を狙って、思いっきり右足でサッカーの要領で、足蹴りを 2〜 3 発入れたのです。
飯島君は顔を下げたまま、僕に顔を見せませんでした。
今度は、が低い姿勢になって、飯島の顔の辺りを拳で 1〜 2 発のパンチを入れたのです。

 体育館の通路のところで、北川辺町の先輩が 2人に暴力を振るったのを僕は見ていますが、先輩が金属バットで飯島君の背中の辺りを 2〜 3 発殴っているところと、M.君の背中辺りを 1〜 2 発足蹴りしたのを見ています。
先輩は、飯島君の顔を拳で 2〜 3 発殴り、M.君の肩の辺りを 1〜 2 発足蹴りしていました。
先輩は、飯島君の背中や足などを、踏み付けるような蹴りで 4〜 5 発入れ、M.君には、背中辺りを 1〜 2 発蹴っているのを見ました。
先輩は、飯島君の顔と背中などに 5〜 6 発足蹴りしていましたが、M.君に暴力を振るうところは見ていません。
僕は、 2 人に対して蹴りを何発も入れているので、僕の暴力でも十分怪我をしていると思います。
その後場所を変える事になり、先輩に言われて皆で 2 人をボコった場所の通路をバケツで水を撒いたり、タバコの吸殻を拾ったりして、いわゆる証拠の隠滅をやったのです。

 ゲートボール場に着くと先輩が金属バットで飯島君に殴りかかったのです。
先輩は、金属バットを右手に持ち、片手で横振りの状態で飯島君の背中の辺りを連続して 2〜 3 回殴ったのです。
飯島君はただ、じっとこらえている感じで何の抵抗もしていませんでした。
その後、他の北川辺町の先輩 3人が交互に飯島君の顔を手で殴ったり足蹴りなどしてボコったのです。
僕は、北川辺町の先輩達にボコられている飯島君の姿を見て、「いい気味だ。もっとやられればいいんだ。」 と思い、ボコられて倒れた飯島君のところに近寄り、背中に思いっきり右足で踏み付ける格好の蹴りを 一発入れたのです。
この時、板倉町の先輩が飯島君の前に立って、合い向かいの格好で、右手で顔を殴ったのです。
板倉町の先輩が転んだ飯島君の背中を踏み付けるような格好の足蹴りを 1〜 2 発入れたのです。
この後僕は、が、「帰ろうよ。」 と何度も言うので先輩に断ってからゲートボール場から離れたのです。

 は、「北川辺町の先輩は恐いな。」 と僕に話していました。
ゲートボール場から 300メートル位離れたところにある酒屋のところで、板倉町の仲間が僕等の帰りを待っていてくれました。
僕は、その待っていた仲間に、「北川辺町の先輩はすげーぜ。金属バットで殴ってる。僕もやって来た。」 などと、ボコリの状況を教えてやったのです。
は本当に帰りたかったようで、そのまま帰ってしまいました。
僕は、まだやり足らなかった事と、今飯島君がどうなっているか知りたかった事などから、ゲートボール場に戻りたかったのです。
それで側に居た、(16) に、「頼むから一緒に来て。」 と何度も頼み込んだので、「判った。」 と言ってくれたのです。

 僕達 2 人がゲートボール場に戻ると、北川辺町の先輩 4 人()と板倉町の先輩 2 人()は、ゲートボール場の脇の空き地の真ん中で飯島君を取り囲んでボコっているところでした。
僕は、その様子を見て、「あっ、まだやってる。」 と思いました。
すると、僕等の姿に気付いた北川辺町の先輩がに向かって、「君もやっていいんだよ。」 と言い出したのです。
は、言われるまま自分から進んで行って、先輩達に両腕をつかまれて立っている飯島君の顔に右手の拳骨で 一発だけパンチを入れたのです。
僕も、転んで倒れている飯島君の背中に踏み付けるような足蹴りを 一発だけ入れました。
そして僕は、地面に突き刺さっている竹ざおを引き抜いて、「これでたたいてやれ。」 と思ったのですが、抜く事が出来なかったのです。
それを見ていた、北川辺町の先輩が僕に代わって竹ざおを抜き取り、その竹ざおを両手で握って上に振り上げて飯島君の頭を狙って殴り付けたのです。
その後、先輩が竹ざおを地面に置いたので、今度は僕が、竹ざおを両手で握って同じように上から振り下ろして飯島君の頭を殴ろうとしたのですが、その時飯島君は 一人で立っていられない位ふらついている状態だったので、空振りしてしまったのです。

この後、僕は空き地の隅のところで 板倉町の先輩と、北川辺町の先輩達がボコっているのを眺めていたのですが、その時のやり方は、 2 人が両腕をつかんで飯島君を立たせ、そこに、他の先輩が顔や腹などに拳骨でパンチを入れていました。
僕と一緒に来た、は、北川辺町の先輩達に混じって、飯島君の腕を持つのを手伝ったりしていました。
しばらくすると、北川辺町の先輩のうちの先輩か先輩のどっちかが、「イビキかいてます。」 と言い出したのです。
その時の飯島君の様子は、空き地の地面に仰向けの状態で倒れて目を閉じて、「グーグー」 とイビキをかいていたのです。
僕がライターの火を付けて飯島君の顔の様子を見たところ、鼻血が出ていて目の辺りが腫れ上がっているのが判り、「かなり、やり過ぎたかな。」 と思いました。
先輩の誰かが、「イビキをかくとヤバイんだよな。」 と言っていたのを覚えています。
誰かが飯島君に、「大丈夫か?」 と声を掛けたところ、弱い返事しか出来ませんでしたが、「うーん。」 と答えていたので、意識があるので、死んだりしない。と思いました。

先輩と先輩・板倉町の先輩と先輩が、「コンビニへ行く。」 と言って、行ってしまったのです。
僕は、飯島君の様子がおかしくなってしまったので、正直言って、「早く帰りたい。」 という気持ちでたまりませんでした。
その後、原チャリで一 つ上位の北川辺町の先輩達 7人と先輩達が帰って来たのです。
その先輩達が、倒れている飯島君に向かって、「オメー、誰だ。」 などと声を掛けたのですが、飯島君は、「アーン。」 とか言って、いわゆるタメ口で返事をして、その態度に怒った先輩の誰かが、飯島君の顔などに蹴りを入れたりすると、飯島君は起き上がれず倒れたままの状態で、「テメー、この野郎! 一人ひとり殺してやる! 覚えてろよ!」 と、はっきりした言葉で話していました。
僕は、あまりにも飯島君が大胆な態度なので僕達にボコられたせで、「ちょっとおかしくなったのかな。」 と思いました。
僕は、ゲートボール場の仕切りになっている角材の上に座り込んで様子を見ていたのですが、こちらに軍歌を大きく鳴らした車がやって来たので、北川辺町の先輩が、「 I.少年だ」と言ったのです。
そして、その車から I.少年が降りて来たので、僕も倒れている飯島君のところに近寄って行ったのです。
すると、飯島君の下半身がいつの間にか、裸になっていて、「チンコが丸出し」 になっていたのです。
それを見た I.少年は、「お前ら、やり過ぎだベー。」 と言って怒って帰ってしまったのです。

そして、 I.少年は、またやって来て、どのように話しが決まったか判りませんが、「 新古河駅に行く。」 と云う事になり、僕は後から原チャリで来た 一つ年上の先輩達と一緒に、毛布に包んだ飯島君を、 I.少年の乗って来た車のトランクへ乗せたのです。
この時点では飯島君はまだ生きていたと思います。
他の先輩達もついて行ってしまったので、僕はもう帰りたかったので、ついて行かず、チャリンコに乗って家に帰ったのです。
家に着いた時間は、午前 2 時 20 分位だったのを覚えています。

凶器を使った理由は、手や足などで加える暴力よりも凶器を使って加えた暴力の方が、より強い衝撃が加えられると思ったからです。
つまり、飯島君にもっと痛い目にあわせてやろうと思ったからです。


 板倉町 少年G 1983.06.01 事件当時 16才(私立高校 1年・6/3日逮捕)の供述より  (抜粋)
 飯島君やM.君とは、友達ではなく、単なる顔見知り程度のことなのです。
顔見知りになったいきさつは、今年 (平成 11年) のゴールデンウィーク中に、飯島君・M.君・N.君ともう一人の四人が 板倉町に自転車で来て、俺達と、「何処から来た。何しに来た。」 等と話し、N.君の連絡先だけ聞いたのです。

 そして事件の前日、つまり、平成 11年 5月 12日の夕方に 板倉町中学校の同級生だった 10人位で北川辺町のセブンに買い物に行った時、偶然、飯島君とM.君に会い、面識があったので普通に話しをしたのです。
しばらく話しをしていた時、黒っぽい色の車が止まり、「 18 才位の男。」 が車の窓を開け、俺達に向かって、「お前ら何してんだ。」 と声をかけてきたのです。
すると、 板倉町の Na.がその男に向かって、「あ〜ん。」 と生意気な返事をしてしまい、その男 ( I.少年) が怒り出してしまったのです。
そこで、「これじゃ、やばいことになる。」 等とみんなで相談した結果、俺の従兄弟であるに俺が連絡し、現場に来てもらい、間に入ってもらって、どうにか片を付けてもらったのでした。
 俺は、 I.町の Na.のせいで、飯島君とM.君に迷惑をかけてしまったと思い、M.君達に謝ると共にM.君と携帯電話の番号を教え合い、M.君と正式に知り合いになったのです。
ですから、この時にM.君の名前と顔が一致したのです。
実は、この時俺は、飯島君をN.君と思い込んでいたので、飯島君とは電話番号を交換しなかったのです。
飯島君の名前と顔が一致したのは事件当日でした。

 事件当日の昼間、M.君の携帯から電話があり、「もしもし、北川辺町の者だけど、北川辺町の先輩が怒ってんだけど、昨日の 10人集めてくんねえ。」 と言ってきたのでした。
俺は、 板倉町の Na.が 北川辺町の人に生意気なことを言った事で、北川辺町の先輩が怒っていると思い、昨日の 10人を集めることを約束し、電話を切ったのでした。
そして、などから伝言してもらったりして、午後五時ころ、集会所のある公園に集めたのでした。
M.君は飯島君と二人でそれぞれ自転車に乗って公園に来ました。
この時点でも俺は、飯島君を、N.君と思い込んでいたのです。

二人と話しをしている時、から俺の携帯に連絡があり、
が、「お前、俺には正直に話せ、お前らの中で、北川辺町のスクーターを盗んだ奴はいないのか。北川辺町じゃ、って奴が 板倉町の連中と盗んだ事になっている。これからそっちに行くから、俺にきちんと説明しろ。」
等と言ってきたので、接触する場所を 『俺の家の近くにある公園』 に決め、俺との二人で約束の公園に行ったのでした。
公園でを待っていると、は車を運転して来ました。
そこで、に話しの内容を聞いたところ、「北川辺町じゃ、イイジマって奴の話しから、スクーターを盗んだのは、って奴と 板倉町の連中だと言い切っている。」 と話してくれ、さらに、に対して、
「君が君か。本当にやってないの。飯島って奴の話しだと、飯島はと顔見知りで、携帯で話したこともあり、間違いない、と言っているらしいぞ。それに、 板倉町の連中も君と一緒にやっているとも言っているらしいぞ。」
等と 北川辺町での噂を聞かせてくれたのでした。
は、「 北川辺町のスクーターなんか盗んでません。飯島って奴も知らないし、携帯なんかで話したこともありません。俺の携帯には、飯島なんて名前なんかありませんよ。」
と、自分の携帯電話のメモリーをに確認させながら、答えたのです。

俺は、集会所のある公園に 北川辺町のM.君がいる事を思い出し、 板倉町の Se.の携帯に電話をし噂の内容を話すと共に、M.君から飯島って奴を知っているかを聞いてもらったのです。
すると、Se.が M.君から、「さっき、自分と一緒に居たのが飯島だ。」 と聞き、
「今まで飯島はいた。先輩に呼ばれて、セブンに行っちゃった。」
と教えてもらったのです。この時に、俺は、N.君だと思い込んでいた奴が 「飯島君。」 であることに気が付き、思い違いをしていたことを知ったのです。
俺は、今まで飯島君と一緒だった事をに話すと、真剣な顔をして俺に、
「 北川辺町の先輩達は、 板倉町が盗んだと信じきっている。今、その先輩達もセブンの所にいるはずだから、直に行って直接説明しろ。そうしなきゃヤバイことになる。」
と言ったので、の車にと一緒に乗せてもらい、 北川辺町のセブンの所に連れて行ってもらったのでした。

 セブンの脇の道路には、俺より歳上の人 6人位、俺と同じ歳位の人 6人位、がおり、
この中に、前日に 板倉町の Na.が生意気な口をきいてしまった先輩 ( I.少年) もいました。
この人は、年齢 18歳位のがっちり型でした。
俺達が近づいて行くと、このがっちり型の人 ( I.少年) が、俺との肩に手を回して、「お前ら、嘘ついてねぇよな。」 と言ってきたので、二人で、「嘘ついてません。」 と答え。も 「 板倉町はやっていない。」 と言ってくれたので、この人 ( I.少年) は、「これから飯島って奴が来るから待っててよ。」 と言い、一緒に待っていたのです。
 5分位たった時、飯島君が一人で自転車に乗って来たのです。
北川辺町のがっちり型の先輩 ( I.少年) が、飯島に対して、「 板倉町の連中は、スクーターを盗んでないと言っているし、って奴は、お前のことなんか知らねぇと言ってるぞ。どうなんだよ。」 等問い詰めると、飯島君は、
「 板倉町の話しは嘘です。本当は、M.君達三人が新古河駅からパクってきたんです。でも、俺は、その場にはいませんでした。俺は、借りて乗っていただけです。」
と答え、スクーターを盗んだのは、M.君達で、 板倉町は嘘である、と話しを変えたのでした。

すると、今度は、M.君を呼べ。
という事になり、飯島君にM.君を呼ばせたのです。
M.君も一人で自転車で来ました。M.君も 「板倉町は関係ない。」 と証言してくれたので、俺達に対する誤解が解け、飯島君とM.君から、「すいませんでした。」と謝ってもらいました。
に他の友達が待っている公園まで送ってもらい、と別れ、友達にセブンでのやり取り等を話し、解散してそれぞれ家に帰ったのでした。

 家に帰って一時間位たった、5月 13日 午後 9 時 15 分ころ俺の携帯電話が鳴り、『公衆電話』 と表示されていたことから、『誰だろう』 と思い出てみると、聞き覚えのない声で 「もしもし、また 10人集めて、セブンに来て。」 と言うので、「さっき話しがついたじゃん。」
と相手に言うと、「別の先輩が怒っている。全員集めて今日中に来ないと、 板倉町に乗り込むと言っている。」 等と言ってきたので、渋々その要求に応じる旨を話し、セブンに行く約束をしたのです。
 セブンには連絡役の二人がいて、飯島君も来たのです。 10 分位たった午後 10 時 10 分ころ、単車二台、白いスクーター一台に乗った 4人の 北川辺町の先輩が来て、と呼ばれていた先輩が恐い顔をして、俺の前に立った時に、同時にその先輩の携帯電話が鳴り話しをし始めてしまったのです。

と呼ばれていた先輩が話していた内容は、「あっ、っていうのは従兄弟なの。わかった。」 等というものでした。
と呼ばれていた先輩が、俺の方を見ながら、「の従兄弟のっていう奴は誰だ。」 と言ったので、「俺です。」 と返事をしたのでした。は、と呼ばれていた先輩に、 板倉町の無実を話してくれたようでした。
と呼ばれていた先輩は、電話を切ると、「 板倉町は関係ねぇから、帰っていいや。」 と言ってくれたので俺達 10人は土手の方向に帰ったのです。
その場所で俺の記憶にあるのは、髪を後で束ねていた先輩() が、飯島君の肩に手を回して、「俺は、 板倉町には手を出さねぇけど、こいつは許せねぇ。」 と言っていたことと、単車を運転していたどちらかの先輩が、金属バットを肩にかついでいたのを覚えています。

 俺達が開放されて、今回の事件のあったゲートボール場の近くにいた時から、「お前ら、何回も呼び出されてむかついてんだろ。お前らも二、三発やってもいいんじゃねぇか。」 等と言われたのです。
この時には半数の友達と別れており、残った友達と相談した結果、「先輩が言ってんじゃ、戻んなきゃなんねぇべ。」 ということになり、再びセブンに戻ったのです。
 セブンに戻ると、と呼ばれていた先輩が小学校から出てきて、「 6人じゃ多いな。 誰か 2人にしろ。」 と言い、スクーターの犯人にされた、と俺が指名されてしまったのです。

 と俺の二人で行ってみると、体育館の通路のプール側に飯島君、校舎側に M.君が並んで正座をさせられ、髪を後で束ねていた先輩() が、飯島君と M.君の体中を 5発ずつ位蹴っていたのです。
俺は、飯島君と M.君がやられているのを見て恐くなってしまったのですが、髪を後で束ねていた先輩() が、「こいつらのせいで、お前らがボコボコにされるところだったんだぞ。こいつらは、北川辺町の恥だからやっちまっていいんだよ。」 と言ってきたのです。
俺がためらっていると、が、飯島君の左脇付近と左もも付近を右足で蹴っ飛ばしたのです。俺は、『先輩達の手前、がやったんだから、俺もやらない訳にはいかない。』 と考え、飯島君の正面に立って、飯島君の左もも付近を、右足の甲で、二発、蹴ったのです。この時に、『これで、この場から逃げられる。』 と思ったのを覚えています。

 君は、先輩達から、「君は、この位じゃ、まだ気が済まないよねぇ。」 と言われてしまい、気が弱いので断りきれず、また、二人の側に行き、蹴りを入れていました。
俺は、それ以上見ていることが出来ず、体中が震えてしまったので、がどの様にして暴力を振るったのかは覚えていないのです。
 ゲートボール場では、着いて直ぐ飯島君に対するリンチが始まったのです。
飯島君がリンチをされているのが、先輩達の声や物音、でわかりましたが、その様子は見ませんでしたので、誰がどの様にして飯島君をリンチしていたかは、説明できません。


 板倉町 少年H事件当時 16才(専門学校 1年・6/24日逮捕)の供述より  (抜粋)
 北川辺西小学校へ入って行ったを残して先に帰ってしまう訳にも行かず、とりあえず酒屋の前で待っていよう。と云う事になりました。
その後、 40 分位してから、この酒屋から 100メートル離れたゲートボール場に、車のライトが見えたのです。
その内に、鈍いような、「ボホ、ボホ」 という変な音が聞こえてきたのです。
その音を聞いて 30 分位経ってからが、酒屋の前に戻って来たのです。

 は酒屋の前に着くなり、「北川辺町の先輩はすげえ。バット等を使ってぼこぼこ殴ってた。M.君は素直に言ったから小学校で帰した。飯島は、嘘をついていたから、ゲートボール場に連れて来てぼこぼこ殴ってた。俺たちも、一緒に殴ってきた。」 と言っていました。
また、は、「チョー気分良かった。も殴ってこいよ。」 と言ったのです。
この時初めて、ゲートボール場から聞こえてきた、「ボホ、ボホ」 という音は、北川辺町の先輩や達が飯島君を殴っていた音と判ったのです。

 は、俺に、「様子を見に行こう」 と誘って来たので、俺も飯島君がどの位ボコられているか、見て見たくなったのです。
 2人でゲートボール場に行くと、ゲートボール場の中央付近で、飯島君は一人で立っており、その周囲には 北川辺町の先輩が 2人おり、飯島君をパンチや蹴りで殴っていました。
そして、少し離れていた、 北川辺町の先輩らしい人が、「君たち殴っていいよ。」 と言って来たので、殴ることにしたのです。
そして、俺とが飯島君の側に行ったら、飯島君を殴っていた 北川辺町の先輩 2 人は、飯島君の両腕を押さえて、「俺を殴んないでよ。」 と言って飯島君を動かないように押さえたのです。
俺は最初に、右手拳で押さえられている飯島君の、「左の頬」 を殴りました。この時、飯島君を殴った手に血が付いていたのです。
近くにいた 北川辺町の先輩等が俺に、「顔は血が出ているから、顔はやめた方がいいよ。」 と言っていました。

その後先輩達は、飯島君をゲートボール場に備え付けられている水道に連れて行き、顔を洗わせていました。
飯島君は、水道で顔を洗ってから一人で、ゲートボール場の真ん中辺りに向かって、フラフラしながら歩いて来たのです。
そして、真ん中に来たころ、左側を下にして倒れてしまいました。
この時俺は、飯島君の後ろ側に立ち、右足で倒れていた飯島君の右足の、『ふくらはぎ付近』 を目掛けて、サッカーボールを蹴るような格好で蹴り、その後、『ケツとももの間位』 を右足のかかとを使って、通称かかと落としをしました。
この時飯島君は、体を少し動かす位で、あまり反応はありませんでした。
この時に、 北川辺町の先輩や一緒に来たも、倒れている飯島を順番に蹴っていました。
そして、次に、倒れていた飯島の、『ケツ』 に、先程と同じ様に、サッカーボールを蹴るような格好で蹴ったのです。
この時に飯島君は、意識が無くなってきておりました。

最初、からゲートボール場に誘われた時は嫌だったのです。
何回も誘われてので、付いて行くのならいいかなと思っていました。
しかし、最初に飯島君をパンチした後に、『もやもやが取れた気分』 になったのです。
今回、飯島君が原チャリを盗んで、板倉町のせいにしなければ、北川辺町の先輩に何度も呼び出されなかったと思います。
この事が俺の心の中に残っていたのです。
ですから、最初の一発は、北川辺町の先輩に言われて殴ったのですが、その後の蹴りについては、自分の意志で飯島君を、『クソー』 という気持ちで蹴ったのです。
その後俺の携帯に母親から、「お前を酒屋の前まで迎えに来ている。」 と電話があったので、北川辺町の先輩に、「親が迎えに来てるんで。」 と言って、帰ったのです。