少年法の掲示板に書こうとしましたが、休暇でした。
改めて、メールしています。
志田糺、会社員、62才、男性、既婚、3人の父親、東京在住
志田糺はペンネームです。
飯島さんの自らを曝け出した勇気をたたえます。
この勇気は以心伝心さらに多くの勇気を呼び起こすでしょう。
だから、その方向の正しからんことを願うものです。
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私たちは、余りに制度依存症になっていませんか。
大人の論理で、少年を裁く論理そのものが間違っています。
大人が少年たちの世界に何処まで踏み込めるかを現在の少年達は訴えているのではな
いでしょうか。
少年法の如何を問わず、今後も事件は続くでしょう。
現在の少年達が何を社会に求めているのか。そして、大人達は少年達に
何を教えてきたかが現在の姿ですから。
先人達が作った少年法が間違いであるならば、今度、作る少年法が間違いでない証明
を図るにはさらにそれを上回る経験が必要です。
しかし、現実を顧みるにそうした余裕は私たちに許されているでしょうか。
法律を変えるという悠長な姿勢は許されているとは思えません。
法とは関係ないところでの犯罪が増えるという事実こそ目にしなければ
ならないのではないでしょうか。
マスメディアが流す殺人の渦、これは法より少年を殺人に駆り立てるものです。戦争
を崇める識者の山、これは殺人を正当化するものです。
そして、日常的に生の生け贄を何の意識もなく、口にすることは生への
無関心を装うものです。
この生への無関心、殺人への賛歌が続く限り、気弱で、デリケートな少年達の暴走を
止めることはできないでしょう。
私たちは、この小さな掲示板の中でも、生への畏敬、隣人への愛を訴え、そして、こ
こにくれば、癒されるという場所を用意すべきではないでしょうか。
口を開けば、制度を云々し、他人を傷付ける風潮は良くありません。
自らが制度に依存し、他人に依存し、他人を批判する姿勢を直さねばなりません。今
すぐにでも、少年達が戻ってくる場所を用意しなければなりません。それが監獄で
あっても、少年院であってもいけないのです。
そして、学校が家庭が、地域がそうした少年を追い出す場所であってはいけないので
す。
私は田舎の出身で、今は都会におります。
子供たちはいじめにも遭いましたが、今は巣立ちました。
その時、いじめの子供を擁護する学校を責めました。
子供のこころの拠り所を探しました。
それは、先生であり、親であり、そして地域です。
そこにしか存在できない少年達は、そこで育つしかありません。
地域の中で、家庭の中で、学校の中で、少年達を育む風習を確立しない限り、少年達
は守れないし、また、その暴走を防ぐことはできないでしょう。
法を改正して、より多くの他人に我子を、委ねるのですか。
法の欠点は、自らの欠点です。法を頼っている自らに非があります。
ゆうき君は壮絶な死に方を余儀なくされました。
親御さんの無念はさぞかしでしょう。
しかし、なぜ、そこまでゆうき君とその9人を追い込んだのか。
この10人の少年達の家族、学校、地域に独りも識者、勇者がいなかったのか。そし
て、それを恥じずに、法を論じる必要があるのであろうか。
法の改正はこれらの人たちにどんな変化をもたらしてくれるのであろうか。
これらの人たちは法のために今のように怠惰になったといえるし、法を含む社会相対
から怠惰にされたともいえるし。
現実の社会の中で、日常的に自らを失っていたのではないですか。
それならば、より真剣に、この掲示板が存在するように、法ではなく
家族、学校、地域の連帯を呼びかけるべきではないでしょうか。
ゆうき君の死が無駄でないためにも、
私たちの意志を確認することが必要ではないでしょうか。
もし、そこに孤立した少年がいるならば、暴走しそうな少年がいるならば、家族で、
学校で、地域で保護する方法を模索すべきではないでしょうか。
大人の干渉を嫌うようになった少年達に、大人が近づきになるためには
法律なんて絶対にいじってはいけない。そして、法律を気にしない社会を築き上げな
ければならない。
家族も、学校も、地域もそういうものです。