拝啓、飯島京子様

 突然失礼致します、私はもうじき30歳に成るひとりの独身男性です。 サラリー
マンと経営者との中間の立場で、日常の就労をしている者です。
 たまたまいつも見ている個人HPにてこのHPの存在を知り、あれこれと拝見させ
て頂きました。

 色々と思索する事を趣味のようなものとしている為、半分興味本位で見に来た・・・
とも言えるのですが、他の方の意見と日記・報告のページを読んでいるうちに、私が
どう感じたのか伝えたくなり、失礼ながらメール致しました。
 まだまだ若輩者の、しがない一意見でしか無いのですが、御一読願います。


 私自身、家族を事件により失った事も無ければ、当然息子も無く、被害者の母親の
心情を理解しきれず歯がゆい思いです。 心労、痛み入る気持ちでは有りますが、ど
れ程の悲しみや怒りをお持ちなのか、とても想像も付きません。・・・只、心安らかで
あって欲しいと願うばかりです。

 あくまで、このHPを見ただけの感想なので、加害者側の意見も聞いてからでない
と正しい判断は出来ないような気もするのですが、読んで思った事、日づね思ってい
る事などを書いてみます。
 私事と、自分棚上げの意見になりますが、その辺を承知の上で読んで頂ければ・・・
そして、御一考頂けたなら幸いです。


 私も、快楽目的での「殴る・蹴るなどの暴行」を受けた経験があります。
 半分自分が悪かったから、そういった暴行を受けるのも当然だったのかも知れませ
んが、確かに、他人に暴行を加える事で快感を覚える人は居ます。

 小・中学生の頃、同級生や上級生に、「ウサ晴らし」や「プロレス技を試してみた
かった」といった理不尽な理由で、集団で殴られたり蹴られたりした事も有りました。
 大怪我をするとかいった酷い暴行ではなく、また、素手による攻撃だった事も有っ
て、ある程度の抵抗は出来たので、いつまでも続きはしませんでした。
 ・・・そんな訳で、息子さんとはだいぶ状況は違うのですが、当時は「こいつら全員
殺してやる!」と本気で考えた事も有るので、息子さんの心中は僅かながら察する事
が出来ているつもりです。

 今思うに、当時は私自身も、暴行を加えた相手も「子供だった」と思えるのです。
 精神的に未発達だから、自分中心でしかものを見れず、相手が痛がる姿が愉快であ
り、自分が痛い目にあわない限り、それを辞めようとしないものだと思うんです。
 現在の社会の中の多くの人間を見るに、それは子供に限らず、私を含め、同年代や
もっとずっと年上の人間にも、「他人の痛がる姿(不幸)は愉快なものだ。」と感じ
てしまうもののような気がします。

 チャップリンはコメディアンである以前に、「他人」なので、滑って転んで痛がる
姿は、見ていて愉快です。
 時代劇の悪代官も、「主人公側の人間では無い」ので、痛がってのたうち回る姿
は、「ざまあ見ろ」といった気分で爽快に成ってしまいます。

 同列に扱ってしまうのはちょっと問題あるような気もしますが・・・被害を受けた者
が、加害者に「復讐したい」と思ってしまうのも、そうする事で少しでも自分の心の
不快な状態を、快方に向かわせたいからだ・・・と思うのです。
 少なくとも、暴行を受けてた頃の私が「全員殺してやる!」と思ってしまったの
は、そういった部分が有りました。

 「犯罪者は死ね!」とか、「殺人を犯した者の権利を認めるな!」といった意見も
有るようですが、結局はそれも、他人だから言える事のような気がします。
 自分が犯罪者に成ってしまった時も同じ事が言えるのか、疑問に思います。

 たいへん失礼かと思うのですが・・・息子を失った母親が、「加害者も殺してやりた
い」と思ってしまうのは、そうする事で少しでも気が晴れると考えてしまうからだ、
としか思えずに居ます。
 そして、他人が不幸になる事を喜びとするような人は、どんな豊かな生活をしてい
ても心は豊かには成らず、永遠に満足する事はないような気がします。

 飯島様が、加害者を殺害する事や、加害者が死刑になる事なで満足するとも思えま
せん。息子さんが帰ってくる事だけが、満足の行く結果なのだと感じます。
 HP上の文章を読んでいて思うのは、被害者の母親が、加害者と同レベルに落ち
て、「他人を不幸にしたい」という視点でものを言ってしまったなら、永遠に決着は
付かないのでは無いか、という事です。

 私も、加害者の少年は許し難いと思います。
 このHPの文章を読む限りの判断ですが、自分さえ良ければいい、悪い事をしても
バレなければ良い・・・と、そう考えてしまう人間の一人のように思えました。

 素手で殴ると自分の拳も痛いものです。 武器を使うという事は、自分は傷つか
ず、効率よく相手を痛めつけることが出来るという事。 バットという道具を「他人
を否定する為の武器」として使用した時点で、既に被害者を人間扱いしてなかったん
だろうと思います。
 加害者が、息子さんを「自分と同じように痛みを感じるひとりの人間」として考え
ていたなら、バイクを盗んだ罪を、素手で数発殴る事で許せたと思います。

 自分のバイクが盗まれたとき、他の誰かのバイクを盗む事で気が晴れるものでは無
いと思います。
 「お互い様」では、誰もが不幸であり続けるだけです。・・・そんなのは一時凌ぎの
心の平安なだけで、自分が受けた被害だけはいつまでも恨めしく思ったりするもので
は無いのでしょうか。

 殺人と窃盗を同列に扱うのは間違いかもしれませんが、「自分の喜び(心の平安)
のために、他人を不幸にする行為」という意味においては、似たものが有るような気
がします。・・・同様に、私のこの「意見を述べる」という行為も、誰かを不幸にして
しまうものなのかもしれません。


 やられたらやり返せ・・・と、そう考えるなら、血で血を洗う結果にしか成らないと
思います。
 他人の幸福を喜べず、他人をどんなに不幸にしようとも、自分が一切傷つかずに効
率よく良い思いをしようと考えるから・・・素手がバットに成り、バットが刃物に成
り、拳銃に成り、ミサイルに成り、核弾頭に成るんだと思ってます。

 加害者も、被害者も、警察も、そして私自身も・・・誰も彼もが、他人よりも自分
(側の人間)を可愛いと思ってしまうものです。
 他人を不幸にしてでも、自分だけが良い思いをしたいと思ってしまうのは、あらゆ
る生物が持つ意識なのかもしれません。
 私自身、こうやって文章を作っているのは、多分、自己満足の為です。

 でも、人間は、他人が幸福に成る事をも楽しめる生物だと信じてます。
 他人が喜んでくれる事を、自分の喜びと考えられる人も、沢山居ます。・・・私も、
自分自身、そうで有りたいと思ってます。

 重複しますが、やはり加害者は許し難いです。

 ・・・でも、しっかり更正して、他人が喜んでくれる事を自分の喜びとする人間に成
れるのなら・・・飯島様に対し、「喜ばせたい、良い笑顔で笑って欲しい」と思えるよ
うに成るのならば、許され得るべきだと思います。 これが「少年法」の存在理由だ
と考えてます。

 息子さんは、内気でやさしい良い子だったとの事ですね。そういう子こそ、存在価
値があると思います。
 もしかしたら、加害者の親も、加害者のことを同じように思っているのかもしれな
い・・・例え現時点ではそうで無くとも、いつか、良い人間と成って罪を償う事が出来
るかもしれないと思うと、全く存在価値が無いとは思えません。

 飯島様が、どうすれば加害者を許す事が出来るのか、どう成れば少年の存在価値を
認められるように成るか、全ての関係者に、考えて欲しいと願います。
 とりあえず、量刑でも、金銭でも、奉仕でも色々と贖罪の方法は有りますが・・・と
にかくまず、謝罪が必要なんでしょうね。
 量刑の重さよりも、加害者がどう変われるかが問題だと思います。

 そして、加害者の少年が、飯島様が考える「許す為の事」を自ら進んで行えるよう
に成るなら、加害者は許されても良い・・・これが、私の考える、事件の決着の方法で
す。


 少なくとも、息子さんはもう、「他人の不幸を喜ぶ生物」では無いでしょう。
 本当に優しい息子さんであったなら、自分の親がいつまでも恨みを持ち続け、他人
の不幸を願うようでは・・・かえって成仏出来ないのでは無いかもしれないと思ってし
まいます。

 加害者も、飯島様も、「互いの幸福を願う」という状態で決着が付いてくれる事を
望みます。 そういう結果になる事を願ってます。

 私には、もう亡くなってしまった息子さんを思いやる事が出来ません・・・生きてい
る、事件関係者が全て幸福なら、それで良いと思うんです。
 息子さんの魂が「許せない」と思い続けるかもしれない・・・と、そういった事は思
考の範囲外です。 私が死んでみないと解らない事のような気がします。

 どう言ったら良いのか解りませんが、いずれにせよ、心安らかで有ってください。

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 飯島様の、自分の本名明記の活動と、無くなった息子さんに敬意を表し、「私」と
いう自称を使いました。

 同様に敬意により、こちらの名前、アドレス等は明記しておきます。 メールの内
容、アドレス共に、HPでの公開は飯島様の判断にお任せ致します。
 公開でも、非公開でも構いません。

 以上、乱文にて失礼致しました。

 敬具

Send by 渡辺音也