HP拝見させていただきました。
ゆうきくんに対するお母さんの「思い」をいたいほど感じました。
意見として発言が許されているようなのでメールさせていただきます。
 
私は縁あって現在高校の事務をやっております。教員ではなく第3者として保護者と教員、生徒と教員、そして保護者と生徒の関係を見てきました。
レベル的に言えば勤務している高校は地区で一番低い学校です。それ故生活指導(特別指導)の数が多い学校です。
 
そこで一番思うことは親の愛情の行き先がどう考えても間違っているということです。
 
うまく言えないのですが「愛情=子供の尻拭い」的な考え方が補導をうける親には見られます。そして指導している教員、警察、指導員に対して自分の子供の正当性だけを訴えるのです。で、肝心の子供には「謝罪は済んだから」の一言で終わり。躾はありませんし、きっと今までもしていないのでしょう。本来なら親は殴ってでもやっていいことと悪いことぐらいは教えてあげなければいけないと思います。学力なんかは2の次でもです。
大抵指導を受けている生徒は反省の色はありません。隣で一生懸命頭を下げている保護者を他人のような目で見ています。今回加害者の少年たちもその保護者もきっとこんな感じでしょう。
 
でも私は「天使」という言葉を使っているお母さんをどうしても上に書いているような保護者と同じ様に思えてしまうのです。
 
「たら」、「れば」はないのですが、最初の窃盗をゆうきくんがしたとき殴ってでもわからせることができたら、そのときいた友人たちがこういうつきあい方をしている以上悪い友人ではないのか?とゆうきくんを疑うことができたらと思えてなりません。
 
当然殺人(傷害致死)は犯罪です。それを犯した少年たちには情けを掛ける必要はないと思います。警察にだってはっきり言って落ち度があります。
しかし、犯罪を犯した少年たちの輪の中にいたゆうきくんは事件に巻き込まれるべくして巻き込まれたとしか言いようがありません。
 
ゆうきくん側にいた友人たちが「告げ口をした」、「うそをついた」というのは結果としてゆうきくんの「死」につながりましたが、そんなことがなくても事件自体には巻き込まれたでしょう。もしかしたらゆうきくんが生きていて違う少年が死んでいたかもしれないのです。ゆうきくんが加害者になって・・。
事件自体は悪い少年グループのグループ内(グループ同士)のいざこざと見られて当然だと思います。決してゆうきくんは関係ない第3者ではなかったのですから。
 
過去のご意見に「天使?犯罪者が?バイク盗んだのに?」という書き込みがありました。保護者的立場から見ればこの書き込みは攻撃的に見えるでしょうが、私にはそうは受け取れませんでした。むしろ的確にすら受け取れます。HPの作り方が少年法のあり方、裁判のあり方を変えようという動きより「かわいい子供がこんな目に!」ということを表現したいように感じます。でも内容を読むとやはり「起こるべくして起きた事件」だとおもいます。
 
もっと生きたかったはず、死にたくないという気持ちは誰だって思うこと。そして誰だって主張してよいこと。お母さんがゆうきくんに代わって代弁するべきことでは無いと思います。普通に生きる権利は誰だって持ってるんです。事件のきっかけ「最初のバイク窃盗」はバイクの所有者にしてみれば十分ゆうきくんに普通に生きる権利を侵害されていますからね。
そのときお父さんは怒れたのでしょうか?一発でも殴って怒ってやれれば顔が腫れるだけで済んだのではないでしょうか?
 
「愛情」、「躾」、「指導」はどれも似ています。でも決して「過保護」にだけはなってはいけないものだと思うのです。
 
あなたの天使だった家の中でのゆうきくん。でもそとのゆうきくんをどれだけちゃんと見ていたのでしょうか?あなたが「加害者」と思っている少年たち、「うそをついた」少年たちの「輪の中にいた」「仲間だった」ゆうきくんをどれだけわかっていたのでしょう?ゆうきくんはお母さん、お父さんが自分を天使と思うほど信じてくれていると感じていたでしょうか?
感じていればこの事件は起きなかったように思えます。
 
誰が悪いとかじゃなくて「起こるべくして起こったこと」と思えてならないのでメールさせていただきました。出すぎた意見かもしれませんがどうかこのような考えもあるとだけ思っていただけたらと思います。
 
冒頭にも書きましたが警察の対応の悪さにはほとほと呆れます。少年法、警察のあり方を問うという意味でがんばってください。長文失礼いたしました。
 
加藤 啓一郎
 
#なお、掲載していただいて結構です。