始めまして、石原といいます。
Yahooのリンクからたどって飯島さんのWebページにたどりつきました。

まずは、友樹くんのご冥福をお祈りします。

 私もいじめられていたので、被害者側に対しての加害者側の罪の意識の軽さ、
償いの軽さに対しては腹立たしく思ったこともあります。確かに被害者側にはい
われるようにいじめられたりするほうにも原因がある場合が多いとは思います。
が、その理由によってそれほどまでにも暴力などを振るわなくても良いと思いま
す。そのようなことを理由にして過剰に暴力を振るわれる例が多いと思われます。
また、そのような暴力を行う人というのは良心に欠けた人も多くいます。そのよ
うな人に、1年程度少年院に入っていないとダメだと言うのはどの程度の抑止力
になるのではなるのでしょうか? よっぽどいじめられる側がキレて逆に自分が
危険にさらされるというという方が抑止力になるのではないでしょうか?
 実際私がいじめられていて、あまりのひどさにキレた後はそれまでほど執拗に
いじめられることは少なくなったように思います。
 そう言う意味では現在の少年法などはあまりに力が足りない気がします。殺人
を犯しても数年で社会復帰できる。また、そのようなことになっても箔がつくと
か、悪いことをしたという反省も無く、数年そのようなところに入るということ
によって失うものもほとんど無い。逆に少年であるからこそ、痛みの伴う罪の償
い方と言うのも必要だと思います。

 抑止力として被害者側が力を持つことが必要だと思います。現在の社会の仕組
みでは、被害者側が力を持っているとは言えない気がします。なぜこのような仕
組みになっているのかはわかりませんが・・・ 被害者側の力を示すためにいろ
いろなことをする必要があるのではないでしょうか? 加害者側の人間は暴力の
ような手段の力を持っている。それに対抗できる力を被害者側が持つ必要がある
と思います。