飯島京子様
 
 
はじめまして。
 
HP拝見させていただきました。
 
飯島様の無念なお気持ちが痛いほど伝わってまいりました。
 
僕は3歳の息子と8ヶ月の娘を持つ父親です。
 
まことに僭越ながら、自分なりの考えを述べさせて頂きたく、メールを送ります。
 
自分は今29歳です。さかのぼれば17年ほど前、5年生だった時分、僕の通う予定の中学校は、校内暴力の真っ只中で新聞等に校名入りで報道されておりました。
しかも僕の兄は中学1年生の頃、恐喝され父親の財布から半年ほどの間に数十万円を盗みだしておりました。
 
父親がある日、どうも財布の中がおかしいことに気づき、母親と相談して、財布の中を10万円ちょうどにあわせておき、それは発覚しました。
当時、小学生だった僕は、さすがに疑わず兄を問い詰めたところ、ある少年からお金をもってこいと言われてると白状したそうです。
 
その中学校には俗に言う「被差別部落」と呼ばれる区域があり、その区域の子達はバイクで校庭を走ったり、先生を一升瓶で殴ったりと、凄まじいものがありました。
今にして思えば、皆が怖がるあまり調子にのっていたとしか考えられませんが。
 
兄と友人2人はそこの区域の子数人から暴力を受け、怖さのあまりお金を持っていくようになったそうです。
 
その中にはPTA副会長の息子もいて、学校側は事を穏便に済ませようとしていました。
 
そのとき父親が主犯格の少年とその父親、教頭、担任を呼びつけ、怒鳴り散らしていたことをよく覚えています。
 
夜11時頃彼らが、兄と父親と伯父に土下座しているのを僕は見ました。
 
幼いながら、悔しさと嬉しさが入り混じった気持ちになったことを、いまだに覚えています。
 
兄の体はあざが出来ていました。
 
今自分で感じるのは、時が移り変わっても同じようなことが起きるのだと。
 
「まだ先(将来)があるから・・・・」第3者は偽善者ぶってよく言います。
 
でもそれは当事者じゃないから発する言葉だと思います。
 
自分の子供が同じ立場にあったとするならば、どう感じるのでしょうか?
 
僕なら相手を殺します。妻と別れて、相手を殺して自分も死にます。
 
飯島様も同じお気持ちだとお察しします。でも耐えてください。
 
いつかきっとこの国が変わるときがくると信じてください。
 
矛盾はたくさんあります。
義務教育を終えて社会人になることが出来るなら、ルール(法律)も公平に扱うべきです。
 
「やばいかもしれない」=「死ぬかもしれない」と分かっていて放置するのは未必的故意に該当しないのですか?金属バットで頭殴って死ぬかもしれないってわからない奴は、死刑に出来ないなら少年院じゃなくって、精神病院経由刑務所で終身刑が相応だろうが!
 
滅茶苦茶に腹が立ってます。
 
社会復帰する価値がどこにあるのでしょう。
生きてて何の価値があるのでしょう。
鬼畜には地獄が相応でしょう。
 
勝手なことばかり書いて申し訳ありません。
ただ飯島様と同じ気持ちを抱いている人が少なくないことを覚えておいて下さい。
報道で伝えられる「現実」じゃなくて、自身で判断する「真実」を見つめようとする人間がいることを忘れないで下さい。
 
僕もそのなかの一人です。
 
頑張って下さい。影ながら応援しています。
 
 
最後になりましたが、ご子息のご冥福をお祈りいたします。
 
 
 
    Ryo