こんにちは。
今日初めてこのHPを拝見させていただきました。

友樹さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

私は法に関する仕事に携わろうとしている者ですが、
少年法改正の問題は確かに非常に難しい問題です。

矯正施設に収容されている少年と接すると、
確かに心より自らの更正を誓っている者もいることを感じます。
彼らと触れあうと、少年法の精神というのもむげに否定すべきではないのでは
ないかと思うのです。

しかし、被害者の方、その遺族の方の声を聞き、その方々の心情を思うとき、
まさにその被害にあったとき、どんなに辛く、悲しかっただろうと思うとき、
また私自身の家族が被害にあったとしたらと考えるとき、
決してそのように割り切れる問題ではないことを強く感じます。

少年の矯正施設の方のお話を伺うと、
報道の上で目にするような少年は現在においても極めて稀であるそうです。
このような現状を前提としますと、報道されているような少年犯罪を一般化して、
少年法改正を論じることは難しいのではないかとも思います。
しかし、同時に、被害者の方々のことを思うとき、
何とかしなければとも痛切に感じるのです。

このように私自身、現行の少年法の是非についての
意見を固めきれていないのですが、
ただ、少年法についての議論を国民的なレベルにまで引き上げ、かつ継続的に議論の
俎上に乗せることは、早急に行われるべきだと思います。
昨今の報道によると、何か大きな事件が起こった直後にのみ少年法改正の
声が大々的に取り上げられるのですが、あくまでそれだけで、
それ以降は国民的レベルでは議論が深化していないように見受けられるのです。

そして司法当局は、被害者よりも加害者の方に目が向きがちな傾向にあると思い
ます。これは少年に限らないのですが、もちろん一線を引いてではありますが、
取調べ等で被疑者と毎日接するうちに、この被疑者を何とか立ち直らせてあげたいと
思う心情が起きてしまうことは、否定できないないように思います。
それが必ずしも間違っているとも思わないし、また
それ故に不公正な処理がなされているということではなく、当局の方もこの点は
意識をしているとは思うのですが、現行の刑事司法システムの制度上、
ともすれば事件全体をとらえる視点が、被害者からやや離れてしまうことも
あるのではないか、そのように感じることがあるのです。
被害者の方の声を伝え、訴えていくということは、
司法当局あるいは立法関係者を動かす上で不可欠の要素であるように思います。

このHPの意義は非常に大きいと思います。
このHPを立ち上げ、真実を述べようと決意された
京子様の決断、勇気に敬服いたします。

友樹くん、どんなに痛かったろう、どんなに辛かったろう、
どんなに悔しかったろう・・・。
そのことを思うと、怒り、悲しみがとまりません。

京子様、悲しいときは思いっきり泣き、
悔しいときは思いっきり怒りをあらわにすべきだと思います。

・・・陳腐な言葉ばかりで申し訳ありません。
乱文失礼いたしました。

陰ながら応援しております。

g.e