このページの「ご意見」を拝見して、犯人を「死刑にしろ」「少年法を改正して厳罰に処せ」
果ては「復讐しろ」などの意見の雨あられで、背筋が寒くなります。皆さん、まかり間違えば
自分も被害者、ないし被害者の家族になった時の気持ちを考えておっしゃっているので
しょうか。まかり間違えば加害者ないし加害者の家族であった可能性への想像力はなぜ
皆無なのでしょうか。相手が無力だと悟って追いつめることを楽しんだことをしたことがないと
言えますか。助けを求めている人を、自分に被害を及ぼしたくないがゆえに放置したことは
ありませんか。「人の痛みを充分わかったうえで」悪を選択する喜びを知らないと言えますか。わたし達ひとりひとりに、悪と立ち向かう力がないのなら、司法にそれを代行してもらおう
というのは虫が良すぎます。司法は復讐の道具ではありません。「殺せ!殺せ!」の大合唱に
応えるべきものでもありません。自分が、リンチ少年とは違う人間だと示す唯一の方法は、
他人の生きる権利を奪った彼の、その生きる権利を認めることでしかありません。彼は、
あかの他人が殺されたことで胸を痛めている人々がいることなど想像もできないでしょう。
「死んでしまえ!」という言葉は、彼を悪のヒーロー気取りにさせるだけです。彼に、人が人
を許す気持ちの深さ、みず知らずの他人の痛みを感じる共感の念、わたし達がそれを持って
いるのだということを示してあげようではないですか。パンを踏んづけて沼の底に沈んだ少女は、
どんな罰を加えられても自分は悪くないと言いはるだけだったのに、ひとりの少女の「かわい
そうに」という言葉で凍った心を溶かされ、小さな鳥となってだいなしにしたパンと同じ量だけの
パンを仲間に与えつづけるのです(アンデルセン童話より)。 彼に、彼の存在もまた祝福
されていたこと、それを汚してしまったのは自分だということ、それを悟らせる努力がされる
べきです。自分が肯定されていると感じたとき、彼ははじめて他者の生命を葬りさったことの
恐ろしさにさいなまれるでしょう。それができないほど橋にも棒にもかからないサイコパスだとは、
あの裁判のふざけた陳述を見る限り思えません。たいへんに幼稚で、おのれを守るのに必死
であることが見てとれます。
共感の気持ちを育ててこれなかった少年たちを、憎むよりも哀れもうではありませんか。
私は少年法を厳罰主義に改悪することに、絶対反対します。
ちなみに、わたしは無神論者です。
Noir