私が感じること。
・理不尽なリンチ殺人の凄惨さ。人間として加害者に対し怒りを感じる。
・加害者、その家族、警察の異常と思える不誠実、不振な対応に素直に怒り
を感じる。
・現在の法制度について「何かがおかしいのでは?」と人間としての素朴
な疑問を感じる。
人間として、一児の父親として、わたしは素直に怒り、憤りを感じます。
まず、そのような理不尽さを人間として受け止めた上ではじめて、状況整理
と分析、そして改善に向けてのアクションについて思考をめぐらすべきなのです。
全体の理不尽、凄惨さ(人間の皮膚感覚)を感じないままに、ディテールを
ほじくり回すとどうなるか?
「いや、被害者の少年がバイクを盗んだ(という不確かな情報)が発端だ」
などと、人間としての平衡感覚が欠落したトンチンカンな論理を
平気で展開できてしまうのです。
私は200人規模の工場の経営をやっていますが、官庁のお役人や大学の経営学の先生方
と話していると、彼らの現場感覚、市場感覚の無さにあきれ返ることがあります。
ビジネス感覚を持たない人のビジネス論など、ほとんど意味がありません。役に立ちません。
何も状況を改善しません。
それは一応「論理」なのかもしれませんが、機能しません。
それと同じように、人間の基本的な感覚を持たない人の社会正義論には
説得力がありません。共感を呼びません。 社会を発展させる力を持ちません。
(変える気がないのですから、あたりまえかもしれません)。
少しわき道にそれましたが、飯島京子さんにお伝えしたいこと。
あなたの感じる憤り、怒りのほんのコンマ数パーセントかもしれませんが、
わたしもやりきれないような切なさを感じます。
このようなホームページを開かれた勇気(とても勇気がいることだと思います)
そして、亡くなられた息子さんへの貴方の溢れるような愛情に胸を打たれます。
頑張ってください。ご自身のやっていることに自信を持ってください。
明らかに「平衡感覚」を失っている人の意見には惑わされないでください。
(いちいち相手にしていたらきりがありません)
私にできることは少ないかもしれませんが応援しています。
ペンネーム 「一児の父」
投稿の中にはあまりにも「人間感覚」が欠落している中で、論理を展開しようと
している方々が散見されます。
この理不尽さを改善していくことは容易ではないかもしれません。