この方の御意見にを拝見して3点ほど思うことがあります。

一つは彼の想像力の欠如。「いや、分かっていて申し上げている」と言われるかもしれま
せんが、「二度とこのようなことが起こらないよう」「頭が痛くなるほど考えて」この
HPを立ち上げた飯島様の気持ちに少しでも思いを致すことが出来れば上記「」内のよう
な言い方は出来ないと思います。ただ、これは彼の年齢を考えると本人の資質によるもの
とばかり言えないかもしれません。成人(この言葉の定義を良く考えてみて下さいね)と
なり社会で揉まれ、人を愛し、結婚し、子供を慈しみ育み、といった経験を重ねればそこ
で飯島様の気持ちに思いを致すことが出来るかもしれません。

もう一つ。「親子は対等」と書かれておりましたが、そうでしょうか。乱暴な言い方です
が、親に食わせてもらっている子供が親と対等である筈が有りません。対等に物を言いた
ければ早く独立して一人前になることです(それでも尚親には敬意を持って接するべきと
は思いますが)。また、親が子を、教師が生徒を導く時、時に納得させる必要も有るでし
ょうが、納得づくでなければならない理由など有りません。何故なら、理非曲直を説いて
も(子供の資質にも因りますが)気に食わなければ「納得」などしないでしょうから。彼
等には納得しない「理由」など星の数ほど挙げられるでしょう。強権発動は子供に是是非
非を叩き込む為の、親たる者、教師たる者の当然の義務です。
 しかし、これも本人のみ責めるのは酷かもしれません。恐らく彼に「親子は対等」「教
師と生徒は対等」と刷り込んでいる人々が居るのでしょう。誤った人権・民主主義の捉え
方により「親子は対等」「教師と生徒は対等」という考え方が蔓延し、「納得いかなけれ
ば従わなくても良い」とそそのかされ、甘やかされたから、今の子供達は人格の未成熟な
まま、欲求・本能の赴くままに振る舞うようになったと私は思います。

更に一つ。固定的な観点にとらわれているのは実は彼ではないかということ。どうやら
「子供は柔軟で大人は硬直した物の見方しか出来ない」と言いたいようですが、子供にし
ろ大人にしろこのように一刀両断出来るほどステレオタイプでは有りません。蛇足ですが
、彼の考え方は「柔軟な子供」と「硬直した大人」を対立させ、一見筋の通ったような議
論を展開しつつ、その細部にかなり我田引水的な理屈が見られます。昔ベルリンの壁と共
に瓦解したあの思想とパターンが似ているように思えるのは考えすぎでしょうか。

 一つ彼に偉そうに忠告させて貰えば、「柔軟な頭」を持っている内は出来るだけ多くの
書物、考え方に色眼鏡を使わず接した方が良いということです。少なくとも多くの良識有
る大人達は様々な考え方・経験を知り得た上で今に到っているのだと言うことも頭の片隅
に置いて。昔振り上げた拳の降ろし所の無い大人も居られるようですが・・・

以上、駄文を重ねてきましたが、恐らく彼は間違いなく反発を覚えるでしょう。しかしこ
の駄文は彼に対する非難では有りません。強いて言えば彼にそう言わしめているバックグ
ラウンドに対してです。313.氏には反発を糧としてより幅の広い人物に成長してくれ
るよう、二児を持つ父親として祈念致しております。

                                                                            以上