今年ももう直ぐお盆がきます。
私の所の菩提寺は曹洞宗です。
今年の春彼岸のことでした。
雨の中の墓参りを済ませ、本堂に戻って来ました。
本堂では、若和尚とその子供がサッカーをしていました。
その本堂にはこんな教えが掲示してありました。
『子供は親の思う通りにはなりません。親のしているようになります。』
その教えの通り、我が菩提寺の和尚の子供はどんな人として代を継ぐのでしょう。

我が故郷の町にもう1つお寺があります。
町の中にありながらしっとりとしたお寺でした。
知り合いによく自慢しました。
今は町を走る道路で分断されています。
何でそんなところに、何であんな古き良きお寺を分断する道路が必要なのでしょうか。

今の子供は、昔の子供だった大人のしているようにして育ったのです。
仲間を殺す、親を殺す、弱いものをいじめる、みんな大人を見て育った結果なのです。

学歴のみが目的で勉強させられ、点数のみが勉強の結果であり、
そのために仲間と遊ぶこともなく、学校の帰りは塾経由。
そんなに勉強した子供の学歴低下で騒いでいる大人。

迷っているのは子供です。
被害者の子供、加害者の子供。
どちらの子供も被害者です。大人という加害者の。

もっとゆっくり歩こうじゃないの。
平均寿命がいくら延びたところで、実質人生わずか50年。
そんなに長くなってないって。
文明の進歩で錯覚している大人。
自分という大人をゆっくり振り返ろう。

英語のことわざにいう。
「It's better travel hopefully than to arrive.」

若くから老後を考えて、仕事をし、子供を育てる発想を変えませんか。
どれだけ老後のための蓄えを残し、立派な家を建てるのではなくして
我が人生どれほどのものだったかを振り返られる大人になりたい。