飯田啓子さん、若干26歳の若輩者に対し、真摯なレスポンスを有難うございます。 
 特に指摘されていると思われる点について、回答致します。
 
>どこまでどうすれば自分のしつけはたしかだといえるのでしょうか。
 「どこまでも、出来る限りの全ての方法で」、それだけしょう。
 人間社会に「たった一つのとっておきの答え」など無いし、仮に理想的な答えが見つか
ったとしても、それをうち破る人間は必ず出てきます。社会は常に移り変わるものなら、
それにあわせて常に努力しつづけ、社会が障害になるなら、それ以上のしたたかさで乗り
越えればいい。それだけです。
 それは、人間が一生を送る上で、苦労して乗り越えねばならない様々な障害のうちの一
つでしかありませんし、残念ながら近道もカンニングも出来ない事です。

>親がない子は誰が責任を取るのですか。
 常識的に考えれば、親御さんの居ない子弟は社会が受け止める。当たり前の事です。確
かにそういった事を私は書きませんでしたが、それはあまりにも当たり前すぎて、わざわ
ざ言わなくてもわかる事だから、あえてその事について言及しなかっただけです。

>子供が悪ければ、学校も地域も政治も行政も企業も、もちろん親も同罪だと思います。
 確かに、親だけでどうにもならない事は、社会が負担する方が良いに決まっているでし
ょう。では、その体制に甘える人間が出てくる可能性については?
 もちろん、私にも社会がある程度は苦労を負担すべきという考えはあります。しかし、
常識や危機意識が欠如し、欧米人のような宗教に根ざした厳格な倫理観も持たない(たか
が、携帯電話のマナーすらまともに理解出来ない国民ですよ?)、現代の日本人に無条件
でそういった逃げ道を与えたら、自ら努力する事を放棄する人間がかなり出て、別の意味
での問題になるだろうゥlえ、あえてそういった方法は書かなかっただけです。
 現実に、失業保険や老人向けの保険や介護制度を見れば、制度の主旨や各人の果たすべ
き役割、義務や責任などを官民両方が明確にしない事で、善意だけが空回りして大なり小
なり不具合が出ているという実例がある訳ですから、地域や社会の負担については、中途
半端な善意だけで、厳格なルールを制定をしないなら、大変な事態を引き起こす事でしょ
う。
 
 一応、言っておきますが、政治家が悪いのでは有りません。そういった、程度の低い、
いい加減な政治家を選出し、黙認または頼りにし、真剣に考える事を放棄している大多数
の国民のせいですよ。
 勘違いしている方が多いと思いますが、民主主義の国のメリットというのは、社会が何
でも面倒を見てくれる事ではありません。社会が何でも面倒を見てくれるのは、社会主義
や共産主義の国での話です。本当に大切な事は、一見小さな事でありますが、国民が自分
の意思表示する手段(それは義務でもある)を与えられ、結果に対する責任を負う事と引き
換えに、投票という意思表示の権利とその権利の行使を保証されている事、それが最大の
メリットですよ。
 その事実をキチンと理解し、自分や近しい人の在り方や将来を真剣に考える国民が多け
れば、先日の選挙のような、民主主義の国とは思えないような、いい加減な選挙戦が展開
される事はありえませんからね。

>自分は自分の子だけ確り育てているなどと、うそぶいてはいられないはずです。
 私は、正当な理由なく他人がどうなってもいいという主旨の意見は書いていないはずで
すが。
 単純に考えて、自分の子供すらまともに躾られない人間が、他人の子供をキチンと躾る
事が出来るとは思いません。もちろん、不運にも事件や事故などに遭遇して、人生観その
ものが変わってしまった方は別ですが。
 また、逆に言えば、各個人が少なくとも自分の子供だけはキチンと躾るように努めれ
ば、社会がセーフティネットを用意する為の負担もずっと少なくてすみ、本当に助けが必
要な人間が手厚い保護をより確実に受ける事が可能になるでしょう。


 私は、最近の犯罪少年は人間として最低限の事すら躾られていない事から、社会に対す
る最低限の義務と責任すら果たしていない親が主な原因であると考え、また社会に不満を
言う前に、一人ひとりが社会における一個の人間としての立場、役割、権利、責任、義務
を正しく理解する事の方がまず重要ではないか、という自分の考えを元に、ここの管理人
さんが許す範囲で、最大限にシビアな意見を投稿しただけです。それは、甘い見通しを立
てて後で右往左往する位なら、始めから納得できる限界まで厳しい見通しの方が、より確
実性が高いという単純な理由でもあります。
 同情的な意見が多いこのホームページの中では、あまりにも度がすぎて刺激が強すぎる
意見だという事は十分理解しています。しかし、もう二つだけ、あえて最後に言っておき
ます。

 まず、他人に反論を向ける際に、軽率に故人の名前を引用して意見を語らないで下さ
い。なぜなら故人が自分で言っている意見ではないし、さらに反論を返したいと思っても
故人に意見は返せないからです。

 そして最後にゥ
 一生において、メリットだけを享受する事は出来ないし、デメリットやリスクを全く感
じず日々の生活を送れる事などありえません。運悪く、デメリットばかり蒙る事もありま
す。しかし、それは、囲いの中で飼われている動物を除いた全ての生物に共通している事
であり、残念ながら、人間の力ではどうしようも無い事です。ある種の真理とも言えるで
しょう。
 しかし、その大前提に対して、自分はどれだけ真摯に向き合えるのか?「そんな事を言
われてもわからない」「おまえはどうなんだ」などという意見を平気で返す思考停止した
人は論外として、普通の感覚の持ち主なら、多かれ少なかれ何か思う事はあるはずです。
自分や近しい人の将来に対する、漠然とした不安や恐怖などは、当然感じる事でしょう。
それは正常な感覚です。
 しかし、何度も言いますが、「たった一つのとびっきりの答え」など、最初から存在し
ないのです。それなら勇気を奮い立たせ、社会のルールの範囲内で、一人ひとりが自分の
納得できる答えを設定し、リスクを恐れず自分自身の力でぶつかっていくしかありませ
ん。その上で、運も含めて敗北したなら、それは社会に頼ってもいいでしょう。
 しかし、どうしても、そういった”苦い真実”から目をそむけたいなら、それはそれで
も構いません。この意見は単なる私の勝手な信念でしかありませんし、本来、個人の自由
に属する事柄ですから。
 ただし、どんなやり方を選択するにしても、万が一、不満足な結果しか得られなくて
も、自分自身の行動の結果だという事実だけは理解し、納得できる覚悟だけは必要だと言
っておきます。


 以上、この様な駄文に最後までお付き合いしていただきまして、心より感謝いたしま
す。
 なお、私の投稿はこれで最後です。多少文章を端折っている部分もありますが、私自身
の意見は概ね語る事が出来ましたから。なお、私の投稿に対する反論、質問は不要です。
 もし、ご意見がおありでしたら、他人の文章を借りず、故人の名前も管理者の名前も借
りず、必要な知識をご自分で調べて、自分自身のご意見を投稿していただければ、それで
十分だと思います。
 それこそが、こういった場で前向きな意見を蓄積する、唯一の手段だと思いますので。