えみさんへ
若干26歳の若輩者に対し、真摯なレスポンスを有難うございます。
自分の知識と経験で説明できる範囲ですが、私の意見をお伝えします。
>具体的に教えて下さい
あなたの意見を読んで、まず私が感じた事は「そんなに偉そうに講釈するなら、とって
おきの答えがあるんだろう、それなら言ってみろ」という意図を感じました。
まず、一言。あなたは、自由、責任や義務という言葉の意味を正しく理解しています
か?
例えば、子供をもうけるのは個人の自由です、しかし、その子供が、社会の中でまっと
うな人間として将来生活できる様に育てるのは、責任を持って果たすべき、親の義務でし
ょう?社会的にも、法的にも。
躾も含めてきちんと育てる自信が無いなら、なぜ子をもうけるのですか?それこそ、生
まれてくる子供に対しても、社会に対しても、無責任な行動だと思いませんか?
思わないのでしたら、此処から先は読まなくて結構です。つまらない中傷をする人間に
ひっかかってしまったとお感じでしょうから、心の底から、本当にお詫びします。
もし、宜しければ、この先を読んでいただければ幸いです。
なにをすれば良いのかゥHごく簡単な事柄ばかりです。
・両親は、少なくとも子供の前では社会のルールや常識を守る事
> 説明は不要ですね。
・子供と大人の立場の違いを、明確な形でキチンと区別する事
> これが失敗すると、子供は自分が一家のボスだと錯覚したまま育つ事になります。つ
まり、年長者に従うという意識の無い人間として成長してしまいます。
・子供との交渉場面においては、その都度大人と子供の立場の違いをはっきり教える事
> 前の項目と似た様な理由ですが、例えば子供が物をねだった時に、”お金を出すのは
親である”などと毎回はっきり言う事で、立場の違いをキチンと学ばせる。
・自由などの権利は、責任と義務の上に成り立っていると日ごろから学ばせる
> 単純な事で構いません。”働かざるもの食うべからず”という諺になぞらえて、”宿
題が終わるまで晩御飯は出さない”とか。もちろん、なぜそうなるなのかという事を、子
供が納得するまで、話し合うのは当然ですよ。また、なるべくなら仮に破ったとしても致
命的な事態にならないルールから始めた方が良いのは当然ですね。
・ルールを守る事は絶対で、破った時には罰として必ず責任を負わされるとハッキリ教え
る
> 子供に不利なルールは保護者が子供のかわりに変えてあげればそれで十分。大人の保
護の元で生活している子供達には、子供が直接ルールを変えてよいという権利は元々あり
ません。ですから、社会的な知識や判断力の無い子供にはルールは遵守するものだと、ま
ずは教えるべきです。
・叱る時は、必ず論理的に意見を組み立て、親から子に対しての命令として言う
> ×「あのおじさんが怒るから止めましょうね〜」などと、第三者の意見と取れる言葉
では絶対に言わない。他人に叱ってもらう前に、まず自分の意見で叱る。
まずはこれくらいからでしょう。
もっと優しい、そのものズバリな解答を期待していましたか?しかし、残念ですが一切
の苦労なく躾られる方法などありません。しかし、躾の方法が全く思い浮かびもしない、
などと言う方には、最低限必要な要素に付いては説明出来ているとは思います。
私の意見に批判的な方からすれば、”厳しすぎる”、”子供の活動を制限し過ぎてい
る”とおっしゃる方も居られるかと思います。念の為に言っておきますが、区別と差別は
違います。正当な理由があり制限を設ける事は区別、正当な理由が無いのに制限を設ける
事が差別です。また、どんな理由があろうと、子供に身体的な危害を加えるのは虐待です
し、子供に暴言を投げつけるのも言葉の暴力という一種の虐待です。
しかし、正当な根拠に基づいて子供の行動を制限する事は、単に「躾」の過程において
子供がガマンすべきいわば体験実習ですし、正当な根拠があり、正しい言葉を選んだ上
で、厳しい言葉をぶつけるのは、「叱る」という立派な行為であり、むしろ自信を持って
実行すべき事です。
子供が幼いうちなら、いくら親子で衝突しても論争だけで済みます。しかし、一旦成長
した子供は、物理的な力に訴える事が可能になる為、多少の事ではまず言う事は聞きませ
ん。
表現は悪いですが、人間以外の動物でもわかるような最低限のルールだけは、判断能力
が無い、幼いうちから実地で叩き込んでおくしかありません。
具体性の無い表現が多く、申し訳ありませんが、以上が私の躾に対する考えです。
最後に、お暇があったら、お一人で(自分自身の判断が大切な事なので)スーパーなどの
人が集まる商店を色々めぐって人間ウォッチングをしてみて下さい。一見ほほえましく見
える子供連れの家族の光景でも、前記の様な、実は躾の上では大いに問題ある行動してい
る方、意外といますよ。まぁ、仮にそういった人がいなかったからといって、何もしない
でよい訳ではありませんがゥB
そういった些細な行動に潜む重大な問題に気づき、自分の問題として考える事が出来る
かどうかが、躾の第一歩です。
出来ないなら、残念ながら社会になじまない人間が育つ可能性を自分で増やしている事
になる事でしょう。
私の乱文・長文に最後までお付き合い頂きまして、心より感謝いたします