こういった問題が起きると、すぐに悲惨な事件の原因として、映画、テレビ、漫画、ゲ
ームなどのメディアに非難の矛先を向ける方がいます。
しかし、私は言いたい、「それは違う」と。
そういった事を言う方は結局人権派の方たちと同じく、物事の本質を見ようという努力
を放棄してしまっていると言えます。
確かに、日本のそれらメディアに掲載される作品には暴力的な表現が使われる事もあり
ます。
では、単にそれらを禁止すれば良いのですか?
それでは、暴動でも起こった時には、どうやって皆にその事実を知らせるのですか?
報道目的なら、暴力の詳細をメディアに掲載したりしても構わないのですか?
しかし、報道したらその記事を参考に、事件を起こす人間は絶対に出てきますよ?
報道しないなら、メディアが一般人の危機対策を意図的に妨害した事になりますよ?
ちょっと例えがインネンっぽくなって申し訳ありませんが、それが現実です。
そしていまの日本人の最大の欠点は、”待っていれば自然に問題解決の手段が、どこか
らともなく降って湧いて来る”と思い込んでいる事ではないでしょうか?
先の”メディア原因説”だけでなく、”バブルで考え方が変わった”、”警察の怠
慢”、”教師の怠慢”、”政治家の怠慢”、どの意見も正しいように見えますが全て違い
ます。
バブルで考え方が変わる?バブル以前にも残酷な犯罪はいくらでもありました。
警察の怠慢?何でもかんでも警察に頼ったら、警察はオーバーワークで動けなくなりま
すよ?何でも頼れる警察にしようと警察官を増員してアクティブに活動させたら、かつて
の共産主義の国々のごとく、常に監視された警察国家になりますよ?
教師の怠慢?血の繋がった親ですら言う事を聞かない人間を、アカの他人、それも両手
を縛られたような、行動を制限された立場の人間がコントロールできると思いますか?
政治家の怠慢?つまらない地域貢献の見返りにその政治家を選んでいるのは誰ですか?
また、それを黙認しているのは誰ですか?
これらの理由は、ひとりひとりの人が本来果たすべき役割を果たしていない事に対す
る、単なる言い訳に過ぎません。
この手の少年事件に関して言えば、”親がキチンと躾する事を放棄してしまってい
る”、それだけです。
確かに、バイクを盗んだ行為に対し、殺害という方法で報復するのは明らかに行き過ぎ
でしょう。加害者とその親は断罪されてしかるべきです。
しかし、では何故窃盗と言う行為を予防できなかったのでしょうか?子供にそういった
行為をさせないよう、基本的な躾を施すのは、本来”責任を持って果たすべき親の義務”
でしょう?勘違いしている方が多いと思いますが教師や警察の役割ではありませんよ。
念の為に言っておきますが、たかが窃盗であろうと、”程度に差はあれ、犯罪は犯罪”
です。
確かに、命を奪った加害者側は、その重大な行為に対して謝罪、補償し、自身の罪を償
う必要はありますが、被害者側にしても、些細な事であれ、非がある以上はその点につい
ては同様に明確な形で謝罪、補償するのは当然です。
”窃盗行為に殺害で報復するのはやりすぎ”といったような意見は、一見正しく見え
て、言っている本人自身が”物事の本質を覆い隠し、正しいという事の価値を下げてい
る”と気づくべきです。
なぜなら、哀れな被害者だから、小さな罪だから、あえて被害者の非は見なかった事に
するが、加害者は大きな罪を犯したのだから厳しく追及する、という事は、一種のダブル
スタンダード(二重基準)です。
そこには、”機会平等、結果公平”という日本の制度に対する矛盾が含まれています
し、何より、”なぜ大した事無い犯罪ならば許してもらえるのか”と言う決定的な疑問を
含んでいます。
そもそもの原因は、こういった事件が起こるたびに、その時々で都合の良い”言い訳と
妥協”を積み重ねて、事件の本質からあえて目をそらし続けて来た結果、今のような混乱
した状態を生み出してしまった訳です。
何度も言いますが、子供の性格を決めるのは”親”です。
”自由や権利というのは、責任と義務のみかえりに得られるものである”
躾は、この一つの事を教える事で十分なのです。
この単純な事さえキチンと親が教える事が出来れば、こういった事件は減少するでしょ
うし、出来なければ、日本全土がスラム化するのはそう遠い話ではないでしょう。