友樹君に対する理不尽な死に対して哀悼の意を表するとともに、警察の怠慢な捜査に対して怒りの念を感じざるをえません。

私はアマチュアバンドのドラマーを務めており、友樹君もドラマーを目指していたということを知りこのメールを書かせていただきました。私自身も10数年前の高校生ぐらいからドラムやロックに興味を持つようになり、友樹君も同じような未来の展望を抱いていたかと思うと、その希望を理不尽にも打ち砕いた加害少年たちに対して、もしかしたらドラム仲間になれたかもしれない同士として途方も無い怒りの感情を抑えることができません。

どこまで人は残虐になれるのでしょう?他人の未来を打ち砕く権利を誰が持つというのでしょうか?同じ少年でも被害者は実名報道されて、ある意味晒し者にされてしまうのに、加害者は将来に対する厚生の機会を与えられるということで、実名報道されずに、逆に保護される立場になります。こんな不公平が許されるのでしょうか?お母様にはこの世の全てが友樹君の見方をしてくれないかのように感じられることでしょう。しかしどうか絶望しないでください。法律や社会体制が味方をしてくれなくとも、私たち通常の市民の大多数は社会の不正や理不尽を肯定することはないと私は信じています。法律は絶対ではありません、それは単に社会を穏便に済ませるための規則及び罰則に過ぎません。最も力を有しているのは我々一人一人の心情であり、人間は合理性のみによってではなく、感情で歴史を動かしてきたことも多々あります。大切なことは共感しあえるもの同士が、沈黙せずに団結して声を挙げることです。

長々となってしまいましたが。同じドラマーを志すものとして、友樹君の無限の可能性に対して思いを馳せてしまいました。私のコメントを乗せていただけるのでしたら”EXISTENCE”(存在という意味です)と呼んでください。知っている人にはわかります。ネット上でこの名を見かけたらたいてい私です。些細なことですが、友樹君のドラムは2バス(いわゆる大太鼓が二つあること)ですね、これはハードロック・ヘヴィメタルが好んで使用するセットで、もし友樹君が御存命でしたらどれほどパワフルなドラマー生まれたことでしょう。ドラマーとしても何と貴重な人材を失ってしまったことでしょうか。

 2005/09/18

EXISTENCE