こんにちは。
今私は黒沼克史著「少年に我が子を殺された親たち」を読んでいました。
それでネットで関連サイトでここにきました。
人の人権を奪った人間に人権があるのでしょうか?
人の人権を奪った時点で自分の人権を放棄したと考えるべき。
命には命を人権には人権を・・・。
償う?更生する?・・・・命があってこそ出来ること。
人の命を奪った人間は将来がある・・・いいよね!!おかしいよね!
彼らの家には笑い声が聞こえるんだよね・・・いいよね!おかしいよね!
命を奪われた人間はもう何も・・何も出来ないのに。。。
なのに世間の人間は犯人の人権を主張する。変だね!間違ってるよね!
偽善者ぶるな!と言ってやりたい。それとも頭が悪いのか??
それとも同じ立場になってみないと分からない???
それだけじゃない。残された家族はその時から時間は止まり
一生を悲しみと言う大きな荷物を背負って生きなければならない。
笑う事さえ罪のように感じ、美味しい物を食べる事さえ
もはや何も出来なくなった子供、兄弟姉妹を思うと罪のように感じる。
残された家族はもはや、普通の平安は無い。
犯人よ!お前は命を奪っただけじゃ無い事を認識しているのだろうか?
私は自分の子供をこのような形で奪われたなら狂ってしまうかも知れない。
いいえ、親にとってその悪夢のような日から生きていくことに意味の無くなった
自分の人生に何の未練も魅力も無いのだから
笑っている「奴」の命を奪いに行くかも知れない。
それで無いと公平じゃあないよね!!
少年法に守られた犯人はただその時が「成人に達していなかった」というだけで
ながーーーい人生を送れるんだから・・・・。
抜け殻のような残りの人生を「奴」の命と引き換えに捨てよう。
親とはそんなもの。親の悲しさは親になったことの無い「奴」には分からない。
京子さんの心の悲鳴が聞こえてくるような気がします。
愛する我が子に会いたくても会えないもどかしさ。
生きている我が子が成長して遠くに行っただけでも血反吐が出るほど
悲しいのに・・・寂しいのに・・・。
京子さん、頑張りすぎないでくださいね。
たとえ何年経っても悲しいのは悲しいのだから。。。
誰にも気兼ねせず泣きたい時は泣けば良い。叫びたい時は叫べば良い。
ペンネーム「迷い猫」