飯島さん こんばんは。
ありがたいことに、
私にはどん底だと思うような悲しみも
自分の身を壊すほどの苦しみも
失ってしまった人を想う時の涙も
経験としてありません。
でも、そんな経験がこれから起こるかもしれません。
たぶん、起きたことが自然の決まりとして納得できるものならば
何時か時間が癒し、人々の和の中に忘れていけるでしょう。
でも理不尽な思いの悲しみならば、そうはいきません。
自分自身が生きる術をなくすほどの状況になると想像します。
苦しみの中で、”せめて何か”という必死の思いで
自分や亡くなった人の生きる証を形にしたいと思うでしょう。
諦めることの出来ない人の存在は、自分の中にずっと残っていくのですから。
飯島さん、
今なさっている活動のどれもが
私にとっては自分自身の気持ちを確認できることに繋がっています。
自分はもちろん、他人様にも
そんな非道な苦しみは決して与えてはならないと。
命を奪うなど言語道断、傷をつけることも持ってのほか
まして見えない傷を相手の心につけるなんて許されません。
人間ですから間違いも失敗もありますが、自分の愚かさに気がつかないことほど
哀れなことはありません。
私は考えて生きる機会を頂いてることに感謝しています。