はじめまして、こんにちは。葦椎癒瓜と名乗る者です。
突然のメール失礼致します。
1999年当時、私はまだ小学校6年生だったのですが幼心にも痛々しさを感じていたのを覚えています。
そして、両親がニュースを見ている時に「ホントかよ埼玉県警?」「最近警察の不祥事も聞くし…」とのような会話をしていた事も。
今回このような風にこの事件と「再会」した事にある種の繋がりを感じてしまいました。
私も「高校生」だということに、ですが。
現在、私は高校2年生です。
友樹さんがご存命でいらしたらのならば、もう二十歳で、次の一月には成人式を迎えられる事になりますね。
期待に胸膨らませた高校生活を、人生の宝物になるであろう時代を、あのような形で砕かれてしまったことが言葉では言い表せない程口惜しいです。
いま この手が時を越えて友樹さんの許へ届くのなら その手を掴んで助け出したい、って。
起きてしまった運命を変えられるなら、絶対変えてやりたい、って。
夢という目的を持って生き始めることに気が付いたのに、あんまりじゃないか。
命って、たった一つしかないんだよ!!
身近な人の死というものを感じる機会が、今の社会には無くなってきている気がします。
私の場合は中学生の頃に、叔母が亡くなってしまった事が切欠となっています。
ただ それは事件の被害者ではなく、自殺として他界してしまったのですが。
「ああ、こんなに綺麗な顔してるのに冷たいんだ。動かないんだ」
報せを聞いた時はまだ実感が湧いて無くて、お焼香をした時にもの凄い勢いで涙が溢れてきました。
会った時には元気だったんだよ、笑ってたんだよ…。
老衰でなくとも、人の命は潰えます。その人の心と身体を傷つけることによって、奪う事によって。
友樹さんを死に追いやった彼等はきっと、死に対してのイメージが希薄で、人が「死ぬ」ってことを考える事ができないんです。
想像することができないから。 自分が、自分の大切な人が死んでしまったら、って事を。
本当に想像する事ができてたのなら、友樹さんはきっとこの世界に今も笑っていたはずです。
この 悲しみに震える手で、出来る事はなんだろう?
悲しい事を繰り返さない為に 私ができることはなんだろう?
今、私は心理学という分野に興味があります。
大学進学も、それを専攻したいと思っています。
心理学を学び、その観点からこの様な事件を未然に防ぐ事に貢献できたら…と。
それが、私に出来る事かも知れない。
私は生きているから、いま、ここにいるから。
手を伸ばして。
私見をダラダラと述べてしまい、すみません。
ただ、…この気持ちが伝われば、これ幸いです。
そして、友樹さんのご冥福を心からお祈りします。
横浜から願いを込めて。