初めまして。別な少年犯罪のニュースを調べていた際に飯島様のサイトを拝見いたしました。
正直な話、大変失礼とは思いますが、この事件について私は認識がほとんどないというか、全国各地で起こっている少年犯罪のひとつという認識でおりました。しかし、こういったリンチ殺人のような事件が起こる度に憤怒の気持ちがあったことは事実です。
私は父の仕事の都合で小学校の終わりに浦和から新潟の片田舎に引っ越したのですが、中学校に上がってから、1年生の時に十数名の2年生にトイレで殴る蹴るの暴行を受け、怪我をしたことがありました。
その件に対して学校側がとった対応は「年齢的には少年法にあたらないので学校としては何もできない」というもので、そのまま放置される可能性さえありました。その上、授業中に私が友人と話をしていたら、教師が「おい、2年生に言いつけるぞ」などと発言する始末。
激怒した両親が学校に出向いても、当の本人は雲隠れしてしまい、両親はそんな無責任な学校に子供を預けておけないと、私を千葉の学校に転校させました。突然のことで、父の仕事の予定も狂ってしまい、我が家の生活は金銭的に全く先の見えないものになってしまいました。
話が前後しますが、私が転校する際、それまで何度掛け合ってもしらばっくれていた学校の校長や教頭、そしてあろうことか町会議員までが我が家に押しかけてきて「学校でリンチ事件があったことは口外しないでほしい。
観光地としてイメージダウンになってしまう」と、白々しく頭を下げてきたのです。
しかし、転校先の中学校に対する私の内申書は見るに耐えない酷いことばかり書いてあり、そのほとんどが事実に反する内容でした。結果的に転校前の学校で起きたことをすべて話したのですが、被害者であるはずの私を、法も学校も町も守ってはくれなかったことを痛感しました。 数年後に同じ中学校でいじめによる殺人事件が起き、学校側は事故死だと主張していますが、当時の状況を見ていた生徒の供述で事故とは認められませんでした。しかし、もしそのまま転校せずにいたらそこで死んでいたのは私かもしれません。
少年犯罪が加速的に増えている今、果たして少年法というものが本当に必要なものかどうか、疑問が募るばかりです。人権派と呼ばれる弁護士、人権団体、そしてマスコミまでもが加害者の人権ばかりを守り、被害者をまるで殺された方が悪いかのような発言、報道に対して、毎回のように怒りがこみ上げています。人を殺して、その人の生きる権利まで奪った殺人犯に人権などあってたまるか、という気持ちでいっぱいです。
加害者の人権だの何だのと言いながら、自分の大切な家族が殺された時、同じことを言えるのでしょうか。
私がリンチにあってからもう10年ちょっと経ちますが、母はその当時の話を今でもほとんどできないでいます。悔しさで胸がいっぱいになり、泣いてしまうからだと言います。そして、もしその時私の身に何かあったとしたら、加害者をすべて同じ目に遭わせて殺さないと死んでも死にきれないとまで言います。私の場合は怪我だけで済みましたが、飯島様の心中は同じ子を持つ親として、察するに余りあると思います。
どうか、息子さんを奪った殺人犯よりも健康で長生きして下さい。
彼らの死をせせら笑ってやって下さい。
長く稚拙な文章にお目通し頂いてありがとうございました。
また機会があったらメールで失礼することがあるかもしれませんが、その時は宜しくお願いします。
暑い日が続きますが、ご自愛下さい。失礼します。
PN. S