お帰りなさいと、もっと早い時間に送ろうと思っていたのですが、PCの前に来るのがこの時間になってしまいました。
遠くまで、本当にお疲れ様でした。
つい、書き出す文字が止まってしまいます。
思いは巡るのですが、なんと表現したらいいのか整理がつきません。
でも帰りの車を運転しながら考えたことは、やはり人間は、自らの言葉を使ってしか心を伝えることはできないということでした。
辛いという心情も、申し訳無いという詫びも、また私達のような立場から当事者の皆さんへお伝えすべき思いも、心を表現する方法は、やはり言葉でしかないのですよね。
突っ立っていただけでは、心は届かない。
自分の言葉にして話さなければ、思いは伝わらないのだから、被害者である皆さんのこれほどの叫びに
加害者も正面で答えなければいけません。
起こしたことの責任の重さを抱えながら生きるべきです。
同じ事実に関わっていながら、忘れてしまえる人間と、忘れることの出来ない人間がいる。
償いの方法が辛うじてあるならば、やはりそれは、繰り返し誠意を語ることではないかと思います。
心が心を癒し、何時の日か飯島さんがおっしゃるように、加害者の更正を認める事が出来るならば、心の痛みも形を変えてくれるかもしれませんね。
力不足で申し訳ありませんが、何かの折にはお役に立ちたいと思っています。
来県の際は使ってください。
上手くなったというのは大変不適切な表現ですが、前回のとき以上に、お二人ともお話がよく伝わってきました。
言葉の一つ一つが染み込んできました。
"バラのような手"と仰った会員さんの言葉も、刺さるように残っています。
きっと生徒たちの心にも、言葉が刻まれていると思います。
お若いながらも頑張っている、かずえさんの、明るい笑顔をいつか見られたらいいなと、心から願います。
皆さんから、ささやかな幸せがとても大切なことを教えていただいてます。
持続したままの苦しみが少しずつでも途切れて、再び穏やかな時間が増えていくことを祈ります。
次の講演のためにも、休養には心がけてくださいね。
心に辛い春ですが、自然にとっては新たな芽生えがあって、心を和ませてくれる季節であることも、忘れないでくださいね。
ゆっくりとお休みください。
またお目にかかれる日がありますように。
keiko