わたしにもわからないことがあります。「俺たちの年齢では何をしてもたいした罪にはならない」という言葉。その『何』が指すものは、婦女暴行、殺人などの凶悪犯罪・・・。
人を騙したら心が痛んだり、嘘を吐いたら気持ち悪くなるように、罰を与えられても与えられなくても関係なく、悪いことはできないものだと思うのです。不可抗力に因る事故でも被害者を出してしまったら、もう自分の人生はそこで終わりだと思うものではないかと思うのです。自分のせいで人を死なせてしまったら、その事実に耐えられず自殺する人もいます。
なのに、人を殺すなら今(の年齢)のうちとか、今なら何年で出れるとか、頭にあるのは与えられる罰の重さばかりで、人ひとりの人生を奪ったという《取り返しのつかない事実》には無意識なんです。
自分は何も失わないと思っているんです。事実、彼らの家族は守ってくれるし、恋人や友人たちはそんなことでは離れていかないのでしょう。何年かは不自由で退屈な生活を強いられるだろうけど、またすぐにでも前と同じ環境に、ホントに戻れてしまうのでしょう。でも精神面で、もう二度と前の自分には戻れないだろうと思わないのが不思議なんです。
ゴミを道端に捨てた時、ツキンと胸が痛むような子供に育てよと、どなただったか、教育者が言われていたのを思い出します。与えられる罰は関係ないのです。罪の意識を持てるかどうかなのです。
罰に懲りることと罪を悔いることは別だと思います。厳罰化されて犯罪が減っても、それは命の尊さがわかったから犯罪が減ったのとは違う。
アンソウルでした。