最近のここでの議論の登場は、私には正常と思える意見のぶつかりと思うのであって、表現の善悪はあるとしても、ゆうきく君の死を無駄にしないためにも、二度とこうした事件を起こさないためにも、大切な展開であると思います。
それは、飯島さんの並々ならぬ決意の結果の賜物と感謝します。
被害者への同情の意見も多いですが、同情されてよく思う人もいれば、悪く思う人も人もいる。むしろ、同情は自分の立場を率直に表現できる人であって、共鳴ができるものです。
加害者をなじる人、殺したい人も多くあって、被害経験のない私などは困惑することもありますが、それも自分の立場を純粋に語ってくれていて、共鳴します。
被害者責任を述べる人、比較的冷静に事件を見つめることができる人であって、ここでは、同情や、被害感情が体制を占める中では、相当に勇気がいることでもあります。この種の意見は、ここでは少数派であっても、世間ではこの種の意見は多い。私も、この事件は冷静に見ていかないと大きな誤りに陥ると見ています。
この種の客観性に反発する人も多いのですが、真実は多方面から接近しないと見つからないもので、たとえ、集団的、意図的殺人であっても、同情とは別に、その原因を探る努力をしないとこの種の事件は続きます。唯一、被害者、加害者の中にしか、真実は存在しないのですから。

警察も、地域も、学校も、余りにゆうき君を守るには悪い条件が重なって、本来は、少々の悪ふざけでも、大人になる一里塚の筈が、殺人鬼の罠にはまってしまって、余りに可愛そうな事態になっている。
この殺人鬼の存在は決して許せないが、この地域、この学校、警察では、この殺人鬼を排除する手立てはあるのか、私の課題です。
この地域で、頑張っていられる飯島さんの頑張りは、筆に尽くしがたいが、アミューイや被害者の会やこのホームページなどが支援の1つであると思います。むしろ、飯島さんの努力が、全国のこの種の闘いの支援になっているようにも思えるし、その努力が、早く実を結ぶよう、期待します。
その実とは何か。
やはり、ゆうき君が殺された地域、学校、警察が、この事件に再度、真っ向から、ぶつかってほしい。
志田糺