まずは、ご冥福をお祈りいたします。
千葉県民です。
涙なくしてこのサイトを見ることはできませんでした。
まず、少年法は改正すべきだと思います。
14,5歳にもなってことの善悪を判断できないような人間はいません。
人を殺してよいのか悪いのか、判断できない人間がいるとしたら、それは
人間ではないのですから。
少年法の厳罰化に反対される方は、「罰則を厳しくしたところで犯罪は防げない」「少年たちの更正が妨げられる」といったことを理由に挙げます。
とんでもない話です。その犯罪者である少年たちの側にたったあまりに独善的な考え方はとうてい許容できません。彼らは犯罪者少年のことを考えている立派な大人である、と自らに酔っているところがあるのではないでしょうか。問題は、彼らを野放しにしているところにあるのです。自らの犯した罪の重さを彼らの頭の中にたたきつける必要があります。「因果応報」、「自業自得」、人を殺した人間は、それ相応の報いを受ける。これは人間社会に生きる以上、当然のことです。そのことを彼らに理解させないことの方が問題なのです。彼らが人として生きていく上にも、マイナスにしかならないでしょう。
ゆうきくんの事件でも明らかなように、少年や子供を性善説の観点からのみ捉えることはできません。子供は時に、悪魔にもなるのです。子供=天使ではないのです。これは、事件として表に出た話だけでなく、日常の学校でのイジメなどをみても、十分に肯定されることだと思います。そういった、時に悪魔にもなりうる子供たちに、私たちはまっとうな人生を歩ませる必要があります。そのためには、「社会的な制裁」ということを欠かすことはできません。「こういうことをすると、あんたは一生まともな生活はできないのよ」と、子供たちに教え込む必要があるのです。少年事件の報道等をみても、TVのコメンテーターと呼ばれる人々は実に気楽な意見ばかり述べています。曰く「こういう社会だから・・・」「大人がしっかりしていないから・・・」
途方もない、無責任な方々ばかりです。今ほど飽食でものに不自由しない時代はない。まじめにこつこつ生きている人が大勢いる中で、ようは犯罪に走る少年たちの資質が劣悪であり、それを矯正=躾できなかった親の問題なのです。躾は矯正であり強制でもあります。社会のルールを知らしめるためには、「一生まともな生活ができない」「お母さんたちも村八分になる」「だから、そんなことはやめなさい」といった論理での説得も十分にあり得ることです。社会的な制裁が科せられる、ということは、犯罪抑止にもつながります。にもかかわらず、メディアの少年犯罪事件報道は、被害者の実名は出すにもかかわらず、一切加害者=犯罪者である憎むべき少年たちは表に出てこない。また、TVのコメンテーターは前述の如く無責任きわまりない話に終始し、結局、無為無策、事件の風化だけが意図的に行われているような気がしてなりません。時代がかった言い方かもしれませんが、その種の犯罪者を出せば、一族郎党いっさいの社会的権利が奪われるのだ、くらいの社会的な制裁、村八分的な雰囲気が我が国にあれば、少年犯罪の未然防止にも効果を発揮するでしょう。犯罪者は決して許されない、たとえそれが20未満であっても、それだけで許されることは決してないんだ、徹底的な制裁を受けるのだ、ということを我が国社会は示す必要があります。真面目な人間だけが損をし、殺される愚かな社会にならないためにも。
その意味からは、少年法を改正するだけではなく、私たち1人1人が被害者とともに加害者を徹底的に追及する、ぐらいの気持ちを共有する必要があるでしょう。いつ何時、自分の子供が被害に遭うかわからないのですから。
人を殺した人間は、それなりの報いを受けなければならない。刑罰は単なる矯正刑であってはならないのです。応報刑でもなければなりません。司法がその役割を果たせないのなら、社会がその役目を負う必要があるでしょう。必要なのは、少年法を改正することはもちろん、私たち1人1人が犯罪者たちと厳しく向き合う姿勢を示すことだと思います。