はじめまして。まず、ご冥福をお祈りいたします。
さて、今回の事件についてですが、加害者側の人間は「この親にしてこの子あり」の典型でしょう。刑事罰は逃れていますが、殺人者です。自らの開き直りが証明しているのではないでしょうか。これらの人間に共通することは反省させるのは無理ということです。価値観が違うのですから無理です。時間が経てば皆忘れるだろうくらいにしか考えていないでしょう。極端なことを書きますと他人を殺す分には問題はないが、自分および身内が被害者になれば大騒ぎをするタイプです。反省はしませんが、彼らの周囲の人たちは態度を変えているはずです。誰も好んで人殺しなどとつきあいたくありませんから。時間とともに嫌でも疎外感を味わうことになります。彼らの親は少年法を盾にして責任逃れ(躾をしていないなど)をしています。共通する考え方は未成年だから何をしても許されるという勝手な解釈をしていることです。インターネットの普及で個人情報の漏洩が問題になっていますが、この中には犯罪情報も含まれます。昔は関係者が口をつぐめば隠し仰せたことが今では不可能になっています。
世の中に犯罪を忘れない人がいる限り、その情報を発信する以上いつかは暴露されることになります。殺人者という汚名は死ぬまで背負うことになるでしょう。これが社会の制裁というもので司法の裁きなどより恐ろしいものです。
最後に一言。少年犯罪が増加しています。少年であろうが罪を犯した者を罰することは当然です。しかし、その少年を育てたのは大人である親です。まず、大人が襟を正すべきなのではないでしょうか。子は親を映す鏡です。先人たちの残した格言は的を射ています。ここの意見でも若くても子供ではないというものがあります。頭から否定する気はありません。そのような人もいると思います。しかし、親(保護者)の保護の下18年程度しか生きていない者と社会の荒波にもまれ何十年も生きてきた人では知識も経験も雲泥の差があります。今は何でも情報が手に入りますからうわべだけは大人になったような気になります。これはゲームと同じでバーチャルなものです。
若いときの冒険は結構だと思いますが、一線を超えないよう気をつけて欲しいものです。うわべだけの知識と乏しい経験だけで物事を判断するのはリスクが大きすぎます。知識だけを詰め込んできた大卒者が入社しても実践では使えないのと同じです。
以上、たいそうなことを書いてみましたが、今までの自分の反省をふまえての意見です。
ぼんくら