2871さんの意見を含めて、若者達へ素晴らしい感性をありがとう。
胎児・赤ん坊で、生きるだけのエネルギーを持つ人間を平気で、殺す大人達がいる。
ようやく、生死を判断できる若者に育つと、殺しの方法を教える大人達がいる。
殺しも、その防御も知らない若者も幸せだが、犠牲になることも多い。
しかし、若者達には、満ち溢れる生きるエネルギーがある。
この若者達が一緒にならないと、この時代の暴力も、殺戮もなくならない。
大人達が、作り出す、殺戮のストーリーに立向かう、若者達が一体となって見えないと、大人達が、自分のしていることの間違いに気がつかない。
それは仲間を守ることだ。
大人が、どうして仲間を守れなくなったかは、言い難い。
それは伏せる。
ようやく、生きる事だけでなく、死を知ってしまった若者達へ、いつも、仲間を守る努力をしないと、自分も今の大人になることを何時か知るだろう。
そういう私も大人の一人である。
大人の誰もが、若者の力を借りないと、今の社会が変わらない事を知っている。
社会を変えるためには、今の社会が腐っていると感じる事が大切だ。
殺戮を平気で決める、起す大人社会をおかしいと感じる、若者が育たないと、次の社会はもっともっと酷くなる。
暴力はいけない。
しかし、暴力を認める気風はもっといけない。
暴力に立向かえるのは、仲間の数だ。
圧倒的多数は、暴力を防げる。
死ぬ事を知った若者達へ、死に抗するには、生きる仲間の絆しか有り得ない。
死を感じた仲間、孤独を感じた仲間、彼らを救い出すのは彼の仲間の生きるエネルギーだ。
目的も、孤独も、死も、自分の中で良い。
ぐっと耐えて、生きるのは、仲間との喜び、分かち合うことだ。
特に、より若い命との触れ合いを、私物化しないで、社会の宝として、守り切ることだ。
胎児、赤ん坊といえども、大人に殺す権利は無い。
ましてや、若者を戦場に出す権利など、大人には無い。
ましてや、大人に、若者が大人社会を非難することを奪う権利など無い。
‘命をもって償いたい’
という大人の言葉なぞ、信じるべきでは無い。
‘命をもって償う’ことなど有り得ない。
生きてこそ、償える。
”仲間を裏切らず”、”弱者を庇う”、生きることの苦しみこそ、”償い”の原点である。
志田糺