ホームページを簡単に拝見させていただいた率直な感想ですが、バイクの盗難に関しては、単純に命と天秤にかけるべき問題ではなく、盗難するということよりも、むしろそれに纏わる人間関係のいざこざを生むリスクの方が問題だと思います。
バイクは物ですから、弁償することはいくらでもできます。しかし、やはり盗まれた相手にも感情というものはあります。バイクの盗難という形よりも、人間トラブルの原因になった、と考えるほうが妥当ではないでしょうか。また、2回目は盗難していないという話でしたが、グループで行動していれば巻き込まれる可能性は十分にありました。
失礼ながら申し上げると、私の感覚では、3人の友達はもはや友達ではありません。一緒にバイクを盗み、しかも15歳前後なら無免許でしょう。そして問題が起こっても助けてくれようとしない。こんなのが本当の友達なのでしょうか。私はそうは思いません。若いころの友人は重要だと思います。本当の友人なら、盗難を止めさせ、トラブルがあっても警察に通報してくれるでしょう。恐らくは、友人達が正常の感覚の持ち主ならこのような事件に巻き込まれることはまず無かったはずです。逆に言えば、簡単にバイクを盗難してくる人間と仲間であるなら、ここまで大きな事件にならないにしても、少なくとも何らかのトラブルが起こることは時間の問題だったのではないでしょうか?
実際には親が友人を管理することなど出来ませんね。問題を起こす友人を避けるにはもう遠くに引っ越すしかありません。ただ、2回目に盗難された友樹君もバイクに乗っていたということは罪の意識はなかったのでしょうか?私はこの点が何より不可解です。聞きたいのですが、1回目の盗難の時にどのような対処をされたのでしょうか?第三者の勝手な想像だとお思いかもしれませんが、親はそれを悪いことと反省させる努力をすべきです。例えそれが無理であっても。その努力を最大限するべきです。
>>私は、「友樹は黒いスクターは盗んでないのに、どうしてN.君が簡単に友樹の名前を出したのか?納得出来ませんでした。
私は率直に言って、盗んだバイクに盗品と知りつつ乗っていたのだから、盗んでいないという認識はとても甘く、自分勝手な解釈だと思いました。それは社会通念上は”盗んだ事”と何ら変わりない行為です。そこら変のことは正しく話し合われ、また正しく伝わっていたのでしょうか。逆の立場で、例えば自分のバイクが盗まれ、犯人の少年が”乗っていたけど自分は盗んでいなかった”という言い訳したとしたら、それを納得して聞く気になりますか?素直に”悪いことをした”と反省するほうがずっと正直だとは感じませんか?
厳しく叱ることも必要だと思うし、また叱るだけではダメです。例えばバイクを盗むほど好きなのであれば、条件付きで買い与えることだって可能かもしれません。バイクを持ってたらバイクの盗難なんてしないでしょうから。
リンチに関しては常識を逸脱しています。常識を逸脱している事を法律や常識で語れる筈はありません。世の中には悪い人がいます。原因はあるでしょうが、とにかく犯罪は尽きる事がありません。それでは、どうすればいいかというと、犯罪が無くならない以上、出来ることといえば、トラブルの元となることをしない、させない、という事を徹底するしかありません。相手は狂っています。狂っていますが、せめてトラブルを減らす事は出来たのではないかと思ってしまいます。
気の利いたことを言えなくてごめんなさい。
ペンネーム Ken