このHPを見てどんな風に感じるかは十人十色だと思います。
頑張れという言葉の意味も受け止め方も相手次第だと思います。
私は法律を勉強しているわけでもありませんし、加害者の少年の将来を冷静に考えるほどの余裕もありませんでした。
ただ、友樹くんのお母さんの立場に自分が立たされた時、かけがえのない存在が苦しみながら未来を断ち切られた時、自分の命に変えてでも守りたかった存在が集団暴力を受けて二度と会えなくなった現実・・その憎しみや悔しさ、やり場のない怒りを、ほんの何年かで変える事が出来るでしょうか?
今、私を含めほとんどの方たちが普通に生活をしていると思います。親、兄弟、恋人、友達、親戚・・みんな電話ひとつで当たり前のように声も聞ける。それが当たり前じゃなくなる。声を聞くことも、触れることも、ケンカすることも出来ない。
私の周りにも少年はたくさんいます。どんなに幼くても人や動物の命の尊さ、重さは分かってます。心から愛しく思ったり、暴力の限度も知っています。
少年だから何だって言うんでしょうか?一個人の問題ではないですか?一人なら100ある責任を死ぬまで100背負わなければならない。でも複数なら責任も、罪悪感も痛みも複数化されないですか?安心感ないですか?自分だけじゃない。誰々君もいる・・・加害者となった少年たちと真剣に向き合わなければならないのは、被害者の家族でもなく、警察でもなく、彼らの家族であり、親ではないでしょうか。
専門の機関や警察などのフォローもいるかもしれませんが、まずは他人の愛情ではなく、家族の愛なのでは?
友樹くんのご家族の方は今も気持ちの中で戦っているのだと思います。たくさんの人にこの場を借りてさまざまな理不尽さを伝えたいのではないですか。そして縁あってこのHPに来た私たちに意見を求めるのも当然の事だと思います。頑張って!という言葉は時としてとても無責任に聞こえるかもしれません。でもそれも友樹くんのお母さんの今現在の心境と、受け止め方次第だと思います。
このHPでは友樹くんのご家族をはじめ、ここに来たたくさんの人たちと意見交換をしてこの場を無駄にしないように心がけていきたいです。
そしてこのHPの存在を私の周りから広めていきたいと思います。
友樹くんのご家族の皆さん、心と体の休まるとき十分お休みくださいね。
P.N
ミラクル