このHPの趣旨がどのようなものかは存じません。ですが閲覧者としてみる場合、私は加害者がどう、被害者がどう、という見方はしてはいけないと感じました。あくまで息子をなくされた京子様の悲しみを察し、そこから今後の自分が生きる上で何を思うか、何が出来るかを考えること以外の何者でもないと私は感じました。
 ですから、京子様が皆様に求める意見というものも何か違うように感じてなりません。どちらかにに偏った意見が人に意味あるものを与えているとも思えません。
 それを大前提に書かせていただきます。私は大学生ですが、将来非行少年と向き合う仕事を目指してます。犯罪少年は少年のうちに反省する必要はあると考えますが、罪を償う必要は無いと考えます。彼等は少年です、未熟です。まだ、成長します。自分の犯した罪は分かっても、被害者の悲しみを察することはまだ出来ません。それを不満に思っていても誰もどうすることも出来ません。ですが、彼等もいづれ分かります。そして、その重みと一生付き合って生きます。大切なことは、罪を早期に償わせることではなく、その重みから逃げさせないことです。社会が彼等にプレッシャーをかけ続ければ彼等は間違いなく逃げ出してしまいます。罪という事実を持つ彼等は悪循環を自分で止めることが出来ません。とめることが出来るのは被害者であり社会です。

 私は現実的に考えます。被害者は最後まで辛いのです。ですから、周りの人がいかに痛みを和らげてあげられるかだと思います。警察や社会に悲しみや不安という痛みを訴えては最終的にも救われません。ですが、被害者は救われるべきです。以前の状態には絶対に戻らないので何が救いかは分かりませんが、周りの人の対応が一番大事だと思います。言葉では簡単ですが理解することは難しいことで、人は一人では生きていけません、逆に生きてるということは一人ではないということだと思います。被害者は新しい何かを探すことが大切だと思いました。しかし、そんなに強い人間はそんなにいないと思います。考え出せばきりが無いのですが、しかしやはり、先の現実的な考えに戻ってしまいます…。

 京子様
私は犯罪少年と接する場合、どのように接したらよいでしょうか?最近報道されていた刑務官のように、犯罪者を虐待死させたらあなたは喜びますか?たぶん私があなたに出来ることは無いでしょう。受験生が東京大へ合格するよりも非行少年が少年院に入る事の方が難しいそうです。失礼なたとえばかりで申し訳ありません。ですが、私は非行少年と接する場合、まず友達になって相手を知ろうと思います。そして、まずは罪がどうこう言う前に非行から足を洗えるようにすることが使命だと考えています。失礼な話だとは分かっていますが、それが出来れば後は彼等が成長するにあたって自然と罪を意識すると思っています。私の考えは、実務論ではないので甘いことは分かっています。ですが、いまの矯正・保護機関になくなって来ていることはこういうことではないかと私は勉強する中で思うようになりました。世の中は非行少年ばかりでは決してありません。時代を変える、京子様の生活を変える少年だっているはずです。難しいとは思いますが、少年に期待してください。犯行に出た少年だけの罪では無いと私は考えています。社会も悪いんです。それはつまり社会に出る少年達すべてが最終的には京子様を償ってると考えたら都合良すぎですが、少年も捨てたものではないという結論に達して戴くことは出来ないのでしょうか?友樹くんの未来は立派なものであったと私は信じて疑いません。
最後に、被害者の刑事司法機関による二次被害などは大きな問題であり、何とかしたいと私も考えています。絶望からは何も始まりません。期待していてください。