吉村さんの意見に刺激されて、ゆうき君の死を痛みながらも、もう一つの真実を見たような気がします。盗んだバイクがどの種のものだったのか、そのグループがどのようなグループだったのか。日常的に、この種のグループへの地域の目がどうであったのか。ゆうき君の行為は本当に止めれなかったのか。通常、こうした子供の行為には、親御さんは、発見できないものです。そのためには、地域の人々や、学校の先生などの注意力が必要です。そして、ゆうき君があのような行為の中で、育った時に、果たして、親御さんが期待できる子供に成長していただろうか。あのように易しい目をした子供であったゆうき君であったとしても、その環境の中で、どのように育つかは、余程、周囲がしっかりと監視していかないと少年の成長は予測がつかないように思えます。
私の田舎もそうした田舎です。やはり組長にもなり、恨みを受けたのか、若死にした同級生もいます。未だに、組で殺人を狙う同級生もいます。彼らが中学生の時には、大人しく、易しい仲間でした。何故か、知らぬ間にヤクザとしては出世していったようです。
日本の国では、こうした悪の巣窟が沢山あります。そこでは、殺人を経験することが出世の道となります。
軍隊や戦場とはこれを大きくしたところで、殺人教育を少年に強制します。
逆に少年でないとこの教育は徹底できないものです。
だから、少年年齢を下げ、敢えて、弱年齢時代に軍隊生活、戦場生活を経験させる仕組みが必要です。もちろん、外国ではそれが常識ですが。
日本では、この国家的殺人教育を少年法が守ってきました。
しかし、少年法の改正は、この枠を外してしまったことは事実です。
イラク戦争で、少年兵がイラクの市民を叩いている姿があります。
アメリカの少年兵はイラクやアフガンで、どれだけの人々を殺したでしょうか。
もちろん、アフリカでは、少年兵が、殺した敵の数を自慢そうに語っています。
少年達は、その環境の中で、人殺しでも、何でもやります。
日本の社会は、第2次大戦敗北の中で、この種の少年の環境を作らない、少年には、特別な環境が必要であるとの、恒久平和の精神が少年法の制定精神です。
日本では、少年が軍隊生活を送ることが出来ない環境の中で、一部の少年達が、ヤクザやチンピラ、不良グループ、暴走族、あらゆる形態の悪の世界に入っていく環境が用意されてきました。
それでも、アメリカやその他の国のように、国家が少年をして、戦場に送り、殺人者に仕立てるという行為はありませんでした。
日本では、親御さん、地域の人々、学校などで、少年達を守ることが出来れば、少年達は悪の世界に入らないですむのです。
しかし、現在の政治家達はこの日本の姿に満足していないようです。
この間の少年法の改正はこの世界的な遅れを取り外すための政治家の仕組んだ罠ですが、次には教育法の改正、憲法改正も視野に入れた日本国家の再生が予想されます。
すなわち、国家が少年達を殺人者に仕立てる土俵が出来つつあります。
そのことで、日本の国を守れるとは思いませんが、そのことで、日本の国が守れると称する人々は、少年達が、戦争を経験することを期待しているのです。
飯島さんの「生命を守る闘い」、「被害者を守る闘い」は、多くの人々に勇気を与え、感銘を与えてきました。この闘いは飯島さんの経験からすれば最大の課題です。
しかし、飯島さんの経験で、得た教訓は第2のゆうき君を出してはならないということです。
私は、飯島さんが悲しみにもめげずに、現在の行動を続けられていることが、ゆうき君を失った地域への圧力となり、その地域の改善、その地域の学校、警察の少年に対する注意を、かってない規模で、喚起したと思っています。
そのことで、ここにこられる人々の勇気にもまり、また、その人々の地域での活動の活力ともなって、行くと思います。
最近、少年法改正の意見も増えたようです。ゆうき君の死の真実に迫る投稿にもバッシングが多いようです。この場が公開であるように、それぞれの意見が、現実の姿を知る(判断する)には、必要な材料です。そうでないと、ゆうき君が「無残にも殺されてしまった」という現実に立向かうには、片手落ちになることを怖れます。
志田糺。