飯島 京子様
 
長崎、お疲れ様でした。
生命のメッセージ展、まだ行けなくています。
 
神戸連続児童殺傷事件から6年目で、今日、被害者、土師淳君のお父さんをインタビューした記事が出ましたが、被害当事者の方の心の大変さが、ひしひしと伝わってきます。『すみません』というのが、謝罪ではない。『会いたい。話したい』といわれても受け入れられない。話題に上がることもないが、彼(加害者)や彼の両親のことは一生忘れられない」と、複雑な思いを語られていて、読むものも複雑な思いにさせられました。
 
被害当事者の気持ちも、立場によって、加害者の態度によって、さまざまだと、以前、京子さんがおっしゃっていましたが、本当は、加害者に会いたくなどないし、どんな言葉にしろ、謝罪の言葉など受け入れられないのではないかと思います。でも、百歩譲って、せめて罪を悔い改めてほしい、せめて自分をゼロにして真実を伝えてほしい、という思いで、加害者に語られているのだと、私は読んでいます。
 
京子さんの言葉は、被害者でなければ語れない被害当事者の真実がこめられているから、そのままで私達の心に届くのだと思います。感情も含めて、そのままでなければ届かないと思います。まだ、何も動けなくても当たり前の、この短い年月で、事件を足で調べ、記録し、訴訟を起こし、HPを立ち上げ、誹謗中傷どのような意見も開示し、さらにNPOを立ち上げられた、そのエネルギーは、大変なものだと思います。エネルギーでは、つわものを自認する私も、ずっと脱帽しています。
 
頑張っている人に、「頑張って」 とは言えませんが、疲れが出ないよう、言葉にふりまわされないよう、気持ちをコントロールしていかれますように。祈ってます。(飯田啓子)