社会のせいではなく、加害者本人のせい。それは直接的なこと。
 
無垢な赤ん坊がそのまま凶悪犯罪者になると、思いますか?
 
なんの影響も無しに人殺しになると、思いますか?
 
社会という枡の中にいて、そこで色々な人と触れて犯罪者になったり被害者になったりするのだと思います。
 
単純に目先のことだけでなく、もっと広範なことを見て、色々な方面から対処しなければ犯罪に走る人間も被害の防止や被害に遭う原因(無差別事件以外の)や被害者(生きて居る被害者及びその周辺の人達)のケアもしきれない。
 
どんな凶悪犯だってはじめは無垢な赤ん坊。
 
そして、被害者は目に見えるその人だけではなく、表沙汰にならない事件の被害者や被害者と言われる人の周辺の人も、だと思う。
 
更に、被害者の人にも同じく思い描いてきた将来があって、非業の死や心の傷のせいでその夢が断たれる…そのことを小さいうちから童話や縦社会の外遊びで学ばせるべきだと思うの。そしてもう少し大きくなったら過去の事例を教えて考えさせる。
 
そうやって子供の賢固な理性の枠を作った上で自由な発想を伸ばして行けば多分、今の荒んだ学校社会は改善できると思う。
 
集団暴行の犯人達は被害者の生死の別無く厳罰に処されるべきだとは思うけどね。死刑と模範囚としての早期出所は無しで本当の無期懲役がいいです。
 
事後の落とし前―刑罰―と防止措置は別にして考えるべきだと私は思ってるんだ。
 
事件を起した人間を赤ん坊から作り直して善人にすることは無理だけど、これから育つ子供の教育は可能だから。
 
ここでちょっと虐待の話しに行きたいんだけれど、良いでしょうか?ついでに書いてしまいます。
 
虐待をする親ってその人自身追い詰められていたり被虐待経験があったりするじゃないですか。
 
そういう人の相談役とか、被虐待児や、親や上の兄弟が不良と言われているような要注意な家庭の子供には良識があって、その家庭に偏見を持たないで普通に接してくれる遊び仲間とその親とか、地域の力が必要だと思うんですね。
 
私の知っている話では親に顔にフォークを刺された…なんてことを学校で普通のことみたいにへらへらと語っていた同級生が盛り場でホストになって罪状はよくわからないのですが何度も繰り返し警察に捕まり少年院に入ったというものがあります。一方で家族が暴走族でも地域社会に大切にされて素直な好青年になったという人もいます。
 
やっぱり、自己責任は自己責任、犯罪防止の環境造りはそれで別…って意見、駄目かしら?結構真剣に時間をかけて考えたんですけど。
 
ちなみに、私にリンチや持ち物の破壊をしてきたグループの主犯兄弟の親は仕事もしていなのにPTA役員から逃げ、その逃げ口実に嘘までついていて学区内では有名な無責任・嘘吐きさんでした。(嘘の内容はばからしいので書きません。知りたい方は私へ直接お尋ねください。)ちなみにその主犯兄弟の弟は当時兄に毎日暴行を受けていました(生傷と自己申告)。
何でそんなに暴力沙汰のネタが豊富かって不思議に思う方が居られるかと思いますので、言い訳しておきます。
私の出身小学校では虐待もリンチも万引もたばこや飲酒、器物破損がかなり普通の話しで、みんな普通に話しており、明かな法律違反以外は日常のうちに殆ど流されていたのです。根性(我慢)と友達どうしの話しでの愚痴で乗りきっていた…というところでしょうか。
湾岸戦争やバブル期とその後の不況を子供時代に経験しているということも、TVの影響力や親とのコミュニケーションの時間、小遣いや買ってもらえる物の値段なんかを通して人格形成に少なからず影響しているんじゃないかな?と思ったりしています。…これは因果関係を上手に説明できないので突っ込まないでくださいマセm(_ _)mペコリ。
 
……若輩者の生意気をお許しください。反論は受けて立ちます。字数が多いと読み難いですか?……
鱸 一浪