飯島様へ
初めまして、ペンネーム ユッタンママといいます。
3歳8ヶ月の「友樹君」と同じ名前の男の子をもつ母親です。
随分前からこのHPを拝見しておりました。
私の経験と思いをお伝えしたくメールをお送りすることに致しました。
平成11年3月30日 午後1時44分 友樹君が天国に召される2ヶ月とちょっと前 私達夫婦に男の子が誕生しました。やっと授かった子供です。
その、産まれたばかりの我が子に私達夫婦は「友樹」と名づけました。
友達が沢山できますように・・・と願いを込めて。
何故なら、私には思い出したくない「いじめ」の過去があったからです。
小学校3年生から中学2年の冬頃まで、私に対しての「いじめ」は続きました。
「無視(クラス全員で)」「ランドセルの紐にはさみで切れ目を入る(とうとう切れました。母には転んだとウソをついて・・・)」「机の中には前日の給食で残ったパンをつめられる(夏は特に、匂いがすごかったです)」「上履きが無くなる(見つかりませんでした、しばらくの間靴下で)」等など・・・はじめは「何故?」「どうして?」と涙し悩む日々に疲れることもありましたが、いつしか「負けてたまるか」と涙を捨てました。
私には、悩みを打ち明ける友達がいませんでした。
そんな辛い学校生活でしたが、私は休まず通いました。(病欠は除く)
「いじめ」に屈するのがイヤだったからです。
でも、それがかえって「いじめ」を大きくしてしまったようです。
初めは女の子達だけだったのに、いつからか男の子もいじめに加わるようになりました。
何度か、足を引っ掛けられ机や壁にぶつかった事があります。日々、陰湿になっていきました。
私がいじめられていることに、母はまったく気が付いていませんでした。
何故なら、家に帰る間の通学路以外私は常に“笑顔”を絶やさなかったからです。
知られるのが怖かった。
ですから、母が知る由もなかったと思います。
このことを初めて母に言ったのは、私達の結婚式2日前のことです。
母が、私達(私には4歳半離れた妹がいます)のアルバムを出し思い出に
花をさかせている時「ポツン」と言い出したんです。
「小学校3,4年生のころのおまえの顔はどの写真も暗いねぇ〜」と・・・。
初めて、母の前で泣きました。
思い出すのも辛い「いじめ」の話を私は少しづつ話しはじめました。
話し終えると、ゆっくり母の口が開き「ごめんね、気が付いてあげられなくて辛かったでしょう」と泣きながら私の肩に手を乗せました。
辛かった、誰かに聞いてもらいたかった、素直に言葉が出てきました。
「いじめ」に小さいも大きいもないと思います。
心に負った傷は一生消えません。
消えない傷を作った人を私は許すことが出来ないんです。
もちろん今でもその気持ちはかわりません。
でも5年前の夏、友樹を授かったとき前向きに生きると決めたんです。
その頃から気持ちが少し軽くなった気がしました。
「いじめ」っていつからあって、いつなくなるんだろ?
私の子供が大きくなる頃には無くなっているのだろうか?と、気づけばそんなことばかり考えています。
私の子供には私が味わった辛い経験をさせたくありません、またする側になってほしくありません。
親にとって子供はかけがえのない宝です。
その宝を人の手によって奪われた悲しみはどれ程のものだったことでしょう。
ユウキ君の命を奪った少年達を許すことはできないでしょう。
私も人の親として彼らを許すことができません。
彼らはこれからを「生きる」ことが出来る。
でも、奪われた命が戻ることは決してないのです。
憎しみ、怒り、いろんなお気持ちが心の中でうまれたことでしょう。
でも、どうか今を大切に頑張って頂きたいと思います。
また、まだまだ寒さがこたえる季節ですのでお体には気をつけて講演活動頑張ってください。
影ながら応援しています。
私も飯島様に負けないようこれからの子育て、頑張っていこうと思います。
(長々お付き合い頂きありがとうございます。また、乱文になってしまい申し訳ございません。)
また、メール致します。
by ユッタンママ