飯島様
NPO法人アビュイの立上とその後の活躍のご様子手に取るように感じています。
もちろん、私は、この活動に遠くからの支援こそすれ、直接支援できる立場ではありませんが、この素晴らしい活動に心から、支援の気持ちを送ります。
そして、そのことがどれほど、求められている真実に接近しているかも感じ入る一人です。やはり、少年院の関係者は被害者、加害者を同時に見たことはない。
警察も、法関係者も同じように思えます。この被害者、加害者の間にある真実飯島さんは本当に知りたい内容ではなかったと思う次第ですが、如何でしょうか。
そして、社会はそれを受け止める仕組みにはなっていない。その仕組みにメスを入れることが出来たのは、やはり、ゆうき君の死であり、飯島さんの勇気であったりと感じます。アビュイの活動でもあるようです。
まだ、地域や学校、家族における被害者、加害者の関係についても、皆さんの意見もそうですが、まだ、何も知らされていないようです。もちろん、私たちは、積極的にそれを知る勇気が必要ですが、少年院の関係者が言ったように「重い」問題と心得ます。マスメディアはこの「重い」問題を「軽く」するすることで、事件を風化させます。その風化を拒否できるのは、被害者であり、加害者であることも事実です。NPOアビュイの努力は明らかにその扉を開いたと感じます。

しかし、まだ、人々は、少年法や法整備の方へ関心が移ります。それは、明らかに「重い」問題を「軽い」問題へと摩り替えるやり方です。少年法が本当に少年達を犯罪へ追いやったのか、少年法改正が日本の海外派遣に一役買っているのではと前にも述べました。そして、その改正は日本をイラクやアフガンへの軍事覇権への道を開きました。戦争はもう嫌ということと旧少年法は同じ次元です。少年犯罪の多発が、あたかも少年法によるかのような錯覚は決してよくありません。
ゆうき君の事件もそのようには結びついてはいません。
しかし、日本の戦争放棄、平和宣言が少なくとも日本からの外国軍事覇権を避けるのに一役買いました。それは、外国の子供たちへの支援の中心にいることの証明です。しかし、戦争への参加は、少年兵の道を開くどころか、戦場での子供たちの無数の死を意味します。どこの国も、どこの親も少年の死は悲しく、悲惨です。ゆうき君の死がこれ以上の親の悲しみはないといえるまで、まで、飯島さんを追いやった。この悲しみがどんな理由があるにせよ、許してはならない、反戦の気持ちに通じると思います。
それは少年犯罪だからではなく、戦争であろうが、強盗殺人であろうが、決して許してはならない、人々の心であることを思います。
話がゆうき君の死とずれはしないかと、心配しながらも、私の率直な感情を述べました。失礼の段はご容赦願ます。
志田糺