まだまだ繰り返されるのかもしれませんが、御意見板が、誹謗中傷は論外としても、多くの未成年の方たちが、思い思いの意見を書きこむことのできる自由なムードになってきたことを、飯島さんのためにうれしいことだと思います。
 
 過激な大人達の、乱暴な攻撃が返ってくる御意見板では、心や神経の弱い人たちは、傷つくのが怖くて発言できないのでは、と心配することがしばしばでした。それでなくても成人たちは気づかないで無言の年少の読者たちを傷つけていることが多いと思います。
 
 学校についての発言でも、偏差値のランクがどうとか、不良がいるとか、そのようなことは年度年度のデータの問題であって、それによって、そこに在籍する生徒一人一人の価値が聊かも左右されるものではないと思います。3年見ないと浦島太郎、と言われるほど学校は目まぐるしく変わっていきます。
 
 塾の経験から言えば、学力などと言うものは、本人が必要を感じたときに頑張れば、いくらでも伸ばせます。どこの学校に在籍するかなど問題ではありません。そのようなことを言えば、偏差値のための学習ばかり奨励して、その意味で質を揃えているような排他的な学校には、それはそれで問題がたくさんあります。
 
 少年への攻撃でないとしても、「いい年をして学生などしているから」というような発言も
いわれのない誹謗だと思います。何歳で学生をしようと、そんなことは人間の価値となんの関わりもありません。読者の中には、いろいろな年齢で学生をされている方がいらっしゃると思います。
 
 私も、娘の死後13年目に、彼女が最期に在籍した学校で、福祉の勉強をしてきました。自営の塾を続け、月刊誌の原稿を書き続けながらの通学でしたから、真夜中から夜明けに論文を書き続けるハードな生活でしたが、20代の時の学生生活より、はるかに実りのある学生生活だったと思います。
 
 人の人生や人生観は言葉の端で蹴飛ばせるほど軽いものではありません。これからの人たちが勇気をもっていろいろなことに立ち向かえるように、議論をするときにも多くの心が影響を受けろことを視野に入れて、言葉を選んでほしいものだと思います。
                                                                                   飯田 啓子