毎日が大変そうですね。でも、悩めることも、こうしてメールで見知らぬ人達に心のうちを伝えられるのも、とてもすばらしいことだと思います。私の娘は、「こんな真っ暗な19歳なんて」と、親にだけは告げながら、最期までまわりにはとびっきり明るい顔で、心の闇を知られないまま死んでいきました。たくさんの友人に恵まれましたけれど、いわれのない自殺願望については、友人の心を気遣ってか、どうせわからないと思ってか、語ることができないままでした。
大人はみんな高校へ行ったほうがよいと思っているわけではないと思います。
私自身も、何十年も音信不通で、離れていても、会えばきっと分かり合える友人たちがいなかったら、学校で学習した教科や単位のためだけだったら、高校3年間は、行っても行かなくてもよかったかな、と思います。
あなたの現実が、メールからだけでは十分把握しきれませんが、人間関係が、死にたくなったり、殺したくなるほど大変な場所に、我慢しているようにとは、すすめないと思います。
私は、長年学習塾をしています。嬉々として入学した学校で、いじめに会い、私立の女子校でも、トイレや帰途で、わけもなくリンチにあい、2年間、相談をかけ続けてきたけれど、学校も陰でされることに打つ手を知らない、というケースがありました。その人は、我慢しきれなくて、3年目に公立の共学校へ転校したのですが、学校を変わったら、友達がたくさんできて、楽しくて楽しくて、人が変わったようでした。
いじめとは状況が違いますが、今も、学校が合わないから、編入試験を受けたいと、塾へきている高校2年生もいます。他の学校へ変わることができるなら、挑戦してみるのも一つですし、どうしても人間不信がぬけなければ、単位制や通信制の学校へ変わることも、また1年多くなりますが定時制へ変わることもできると思います。
私立の進学校でどうしても学校になじめなくて、定時制に変わったら、先生も仲間もすばらしくて、とてもよい高校生活が送れて、大学も本当に自分に必要な道を考えて選べたという人もいました。
周りに改善を期待しても、なかなか難しい場合、今いる場所を抜けるのは構わないと思いますが、次にどこへ身を置くのか、よく考えて行動してほしいと思います。
一人で立ち止まって考えたいのであれば、不登校も、私は決して悪いことではないと思います。過去にも、今も、不登校の人たちともお付き合いをしてきていますが、ある時期を過ぎると、すばらしいエネルギーを発揮し始めます。
今も、中1から不登校の中3生が、学校へは行かれなくて、7月から塾へ来ていますが、学校へ通っている人の1年分のテキストを大体、1ヶ月で仕上げてしまっています。3ヶ月を過ぎて、英語などは高校の教科書に入っています。これは、不登校ならではのエネルギーだと思います。だらだらと学校へ行って、させられる学習ばかりである間は、なかなか気持ちが飛び立ちません。ただ、高校は単位を取らないと卒業できませんから、中学の不登校のようにはいかないとは思いますが・・。
将来、何によって自立したいのか、一番したいことが見えてくると、まわりの人のことは
あまり気にならなくなります。好きなことに没頭できるとよいと思います。それが見つからないうちは、図書館へ行って、読みたい本を片端からよんでみるのも、好きな教科を徹底的に先取り学習してみるのもよいと思います。興味があればボランティアで、年齢の違う人たちと交じり合うのもよいと思います。
私自身は、高校3年間、大人の混声合唱団で、定期演奏会にも付き合っていましたし、大人の同人誌で詩を書いたりして、高校普通課程3年間の無味乾燥さを、年齢の違う大人の集団に参加することで解消していました。同じ年齢で輪切りにされることによって、よい面と、つまらない面と両面あると思います。
熱中できることが見つかるとよいですね。 目いっぱい生きても短い人生です。誰のためでもないあなたの人生だと思いますが、少し人のために生きられるようになると、人生はあっという間です。大いに悩んで、したいことを実行してみてください。
飯田 啓子