初めまして、
 
昨日子供の学校の生徒が、母親に(たぶん)殺されるというショッキングな事件がありました。
その関連ページより、このHPに行き当たりました。
 
一人息子は、今小学校3年生です。
なにかの事件をテレビで見ていたときに、夫がふと、「もしも息子に何かあったら、自分だったら、殺人犯になってもいいから犯人を同じ目に遭わせてやる」 とつぶやいていたことを思い出しました。
 
これが愛する者を奪われた者の持つ一番正直な気持ちではないでしょうか?
 
母子の愛からなる・・・
人間にとってこれは当たり前のことではないのでしょうか?
母親が、家族が真実を追究しようという気持ちを持たない世の中を想像すると 背筋がぞっとします。
 
大きくなって行くに連れて、どんどん親の手の届かないところへ行く子供を、不安なく送り出せる世の中でなくては、安心して子離れができない・・
というのが正直な気持ちです。
 
コンビニの前を通るときに、少年達がたむろしていると、息子は怖いと行って、握った手に力を入れてきます。
 
しかしそんな息子の口から、
今日マジ切れした・・
あいつ、むかつく・・
今日は○○をみんなでシメた
などの言葉が日常茶飯事に聞かれます。
 
いけない言葉なんだよと言えば、彼は家族の前ではそのような言葉遣いでは話してきませんが、友達同士の会話を聞いていると、当たり前のようにそんな言葉が使われているのです。
 
今、成人するまでの道のりが非常に遠く感じます。
子供にどう接していけばいいのか。
 
今は言葉遣いで悩むぐらいでしょう・・
しかし、それすらもみんなが言っている事なのに と彼は不服に感じているでしょうし、人と同じでないものは徹底的に排除してゆく今の傾向を見ていると、どこまでの規制をするべきなのか、大人になる課程として、どこまでを許していけばいいのか、 
そしてどうすれば我が子を守っていけるのか、どうすれば人と違っても、正しいことを正しいと思ってもらえるように育てられるのか・・
 
これからの課題です。
 
事件が、風化しないことを望みます。
こんな事件は二度と起きてほしくはないけれど、犠牲となった尊い命のおかげで、改めて考えることができるのですから。
被害者にはもちろんなってほしくはないけれど、加害者にもなってほしくはない。
 
そんな気持ちを親がもって、小さいときから 接していけばきっと凶悪犯罪に荷担する子供が減っていくと信じて・・
 
これから、息子に、母親という一番信用できるはずだった者の手によって、終わりを告げられた友人のことと共に、命についてを話していきたいと思っています。
 
誰であれ、命を奪うという行為は許されないことなのです。
 
東京 K,Y