こんばんは。夜分遅くにHPを拝見させてもらいました。私は20歳の大学生です。
ペンネームで申し訳ありませんが、八雲と呼んでください。
昨晩(8月7日)、テレビで飯島さんのマスコミによる被害などを報じているのを見て、HPを見たいと思いました。
友樹君の死に、とてもショックを受けました。
私は小学校4年の時にいじめにあいました。いじめの本人は私と同じクラスの女の子でしたが、力が強く、意見が通らなければ、先生にでも、誰にでも反抗する子でした。私は、そのとき初めて他人から受ける暴行の、肉体的、精神的な痛みを知りました。友樹君の痛みに比べれば、まったくかに刺された程度のものでしょうが、私は彼の痛みがよく分かります。
数年前、私の住んでいるところの近所でも高校一年生が暴行を受けて死亡するという事件がありました。友達の弟がその子と同級生で、ショックを受けている、と悩みも打ち明けられました。彼は私が住んでいる町ではなく、近くの市にある高校にいっていました。
私の住んでいる町には、それほど不良と言うのは見かけません。時々見かけますが。成人式で久しぶりに見た同窓生にも、ちらほらそんな感じのがいました。中でも一人は太っていて貫禄があるのに、さらに髪とひげを伸ばしてまるでどこぞの教祖でした。
世界にはいろんな人がいることはみんな知っていて、それを個性だと言うけれど、果たして悪くなって、人をもてあそんで殺すことも、個性と言えるのでしょうか。誰かが必ず悲しんでいるのは、世界の常なんでしょうか。私はアメリカに留学していたことがありました。友達の父親が、町の郊外でロープで縛られた上に、トラックで引きずりまわして殺されたと聞かされたとき、なんともいえない気持ちになりました。その友達は、とても良い人で、授業中、英語がうまく話せない私のペアになってくれたりしました。犯人はつかまっていないそうです。世の中って、本当に変ですね。なぜか、悪い人がいつも得をするんです。良いことをしている人は、なかなか報われず、そして、より良い人は、それを試練として取り組む。
私は、加害者が心を入れ替えて2度とそういう悲しむ人がいないように防止するというのは、本当にドラマの中だけではないかという気がします。いつも、被害者が何かに力を入れている気がします。それも、マスコミが広めるからでしょうか。でも、本当にそういう気がします。だって、加害者がそんなことをするといったら、やはり珍しくて、マスコミが取り上げるはずですし。
うだうだとわけのわからないことを書いてしまいました。最後まで読んでくれて、ありがとうございました。飯島さんも、たいへんだとは思いますが、がんばってください。
八雲