はじめまして。
先日、大学の法学の授業で「少年法改正」を取り上げました。
その際、多分「スーパーテレビ」と思うのですがその番組と、友樹くんのHPの文章を拝見しました。
 
私と貴方の息子さんは、同い年です。
平成11年、私は何をしていたのでしょうか?
今の今まで、私は彼を知らずに生きてきました。
きっとその当時、ニュースで大きく報道されたのでしょう
でも、私は目を向けなかった。
 
今、私の友達の中で何人の人が彼を知っているでしょうか
多分、知らない人が多いと思います。
 
今まで、少年が犯した殺人事件を知ったとき「あり得ることだ」と頭で思っていました。
友樹くんのことについては「あり得ないこと」だと無意識に心で感じました。
彼は私にとって、とても遠い人で、とても身近なひとのように思うのです。
生きていたにせよ、死んでいるにせよ、結局彼と私は、身体を交いして出会うことは無いのです。だから遠い人。
でも、彼が好きだった音楽が、私と一緒だった。それだけのことで、(でもそれ〔音楽〕は私にとってとても大切なこと)私は彼を身近に感じることができる。
もし彼が私と同じモノを好きでなかったら、多くの犯罪、事故、戦争と同じ様なものとして彼を見たでしょう。
 
結局、人は他人の事については、恐ろしいほど気にかけてない。
一番考えるべきの人間である私、私達、十代の『子供』が、無関心である。
それは、『問題』なのでしょうか?
 
私は、貴方の愛しい息子さんを「可哀想」だと思うべきなのでしょうか?
私と同い年の男の子を持つ母親が、私と近い年の『子供』に彼女の子供が殺されたことを哀れむべきなのでしょうか?
ただ 簡単にそう思うことは、私は偽善の様な気がして、
植え付けられた倫理の様な気がしてたまらなく嫌なんです。
それは私の本当の心では無いような気がして空しくなるんです。
私が何か貴方に対して思うことを貴方は望んでいますか?
友樹君は、望んでいないかもしれない。
見ず知らずの、私に哀悼の意を示してもらいたいでしょうか?
私は、私が貴方と、貴方の息子さんに対して同情する必要は全くないと思う。
むしろ、そんな事はできるはずが無くて。
 
そう思う前に、自分自身を哀れみたいと思う
毎日、流されて生きていて、何もかも目に入れない生活をしている自分を愚かだと思う
 
ただ、貴方に対して思う事が一つ、今あります。
私が死んで、私の母が涙してたら。
悲しんで、憎んで、ずっと泣いてたら。
とても辛いです。
貴方が言うように、友樹君が一番辛いと私は思う。
 
突然のメール、まとまりも、思いやりもない文章をお送りして申し訳ありません。
何かを伝えずにはいられなかったのです。
それでは、失礼します。
 
  佳代子