私はアメリカにすんではや4年になります。あの“オクラホマの犯人”の処刑の日ずっとテレビに釘付けでした。そして遺族が犯人の処刑後“得られたものは少なかった”って思ったのは犯人に後悔の思い、悲しみ(遺族、被害者に対して)見られなかったからだと思います。それに私のほとんどのアメリカ人の友達は“死刑”に対して反対です。私もそうですが、遺族にとってはそれは正当?な犯罪者を罰する手段なんだと思います。j結局は被害者当人が罰を下すことはできません。そんなことをしたら殺した人間・犯罪者と同じ低い人間としてのレベルに成り下がってしまう。結局決めるのは なにも真実を知らない(調査して知り得るけれど、精神的なものなどは本人しか知り得ない、”殺す気はなかったなんてよく聞くけど、うそか本当かなんていうのはわからない。つらいことだけど)“第三者”がこれから加害者・被害者の人生を決めるのです。それが当たり前で....それがあるから成り立ってるんだとは思うけど...私のアメリカ人の友人の1人は、“処刑するならやつが殺した同じ方法で処罰したい、なんで注射なんかで‘楽’に殺せるんだ?”って言ってました。(彼の友達は20歳の時に銃で射殺されました。それはただギャングの遊びで、それの流れ弾にあったってしまったそうです。そして犯人は見つかっていません)非人道的に聞こえるけど、これは本当に被害に遭った人間にしか分からない感情であって、どうとるかは人それぞれ。だからあなたにも誰が非人道的だとかいえる権利はないと思います...こんなことあなたに言う権利は私にもないけれど...

 

智子