まず、安らかに眠るゆうき君のご冥福をお祈りいたします。
先日、テレビで、飯島君の事件を知りました。ゆうき君のお母さんは、事件から三年たった今もなお、真実を求め彷徨っているようで見ている私も胸が痛くなりました。
さらに番組で紹介していたホームページを見て、事件の詳細を知るとともに、この事件の詳細を載せたゆうき君のお母様のつらい気持ちを思うとことばも思い浮かびません。
少年犯罪は、よくマスコミなどで拝見しますが、やはり今の社会をみても、少年法と時代とのズレを感じてなりません。以前未成年で殺人を犯し、死刑囚」となった方が、殺人を犯したのは、自分が無知だったから。というのを、新聞で読みました。でも今は、義務教育もあり、ほとんどの人が高校へも進学する中、さらに情報も簡単に入りやすいいま、少年だからといって過保護にその将来性を守るのには疑問に感じます。特に、人を殺すというのはやはり正当防衛でもないかぎり、刑事罰が与えられても仕方がないと思う。たとえ少年でも。
そしてその刑事罰も裁判官だけで決めるのでなく陪審制を取り入れるべきだと思います。
なぜなら、その罪を犯した人(少年も含めて)を受け入れていくのは社会のなかの私たち自身なのですから(私はよく、裁判官が更正の余地があると、寛大な判決を出すたび、じゃあ
裁判官あんたの隣に被告がひっ越してきても変わらずうけいれることができるのか?と、思います。)
ゆうき君の事件の犯人の一人であるAは、ゆうき君のお母さんに遭うと、うそをついている、といわれるのがいやだからもう会いたくない。とAの母親に言ったそうですが、事件からたった三年しか経ってないのに、たとえゆうき君のおかさんになにをいわれてもゆうきくんのおかあさんが会って真実を知りたいというなら、会わないといけないと思います。それが償いです。日記を書いてもってくるように言われたのならもって行かないといけないし、本人たちが行こうとしなくてもそんな子供に育てた親が本人たちに縄をつけてでも履行しないといけない義務です。
最後に罪を犯した彼らもたとえこの世では少年法で守られてもあの世ではエンマ様には通用しないとおもいます。何せあの世には少年法はありませんから。
ゆうき君の事件は民事ではどうなっているのでしょうか?犯人の親たちとゆうき君の家族でどう話し合いをつけたのでしょうか。
 
   keiko