スーパーテレビを拝見致しました。
友樹君の事件、私共家族は鮮明に覚えております。
と、申しますのも、私の妊娠が判明した日にテレビ報道されていて、偶然にも
私の弟が「ゆうき」という名前だからです。
あの時お腹に宿っていた子も2歳を過ぎ、今は保育園に通っております。
友樹君のお写真と重ね合わせてHPを拝見させていただきました。
私も主人もどうしても納得の出来ない事があります。
それは、『友樹君の死亡時間がはっきりされない点』です。
検死の結果を拝見させていただきました。
亡くなる迄殴り続けられ、そして亡くなった後にまで暴力をふるわれているのですね。
さぞかしい痛かったでしょう。辛かったでしょう。悔しかったでしょう。
そんな痛い思いをしながら亡くなったのに、検死で又痛い思いをされたのですね。
検死が何故行われるのか・・・。それは、『亡くなった人の声を聞くため』です。
少年達は駅に運ぶ時まで生きていたと証言していますが、それは嘘です。
お母様が書かれている通り、ゲートボール場で亡くなられていたのだと思います。
警察はどうして亡くなった時間は必要ないというのでしょうか?
人の命が消えるのです。時間が途絶えてしまうのです。1番重要なことではないですか。
少年達の意見だけを聞いて、検死の結果を重要視しない。
だったら、検死をする必要はないのですか?と警察に申し上げたい。
私の主人はいつも一生懸命に亡くなった人の声を聞いています。
『死人に口なしって事はないんだ。こうしてちゃんと語ってくれてる』っていつも言っています。
警察の態度には、憤りを感じます。もっと人の死について深く考えて欲しいと思います。
それと、7月1日のメールの中に下記のメールがありました。
>加害者の親族の皆様が心痛まれている事を忘れてマ
>スメディアに出たんですから
加害者の親族が心痛まれている?本当にそう思われるのでしょうか?
だったら、友樹君の命日に、お線香の1本でもあげるのでないですか?
今年になって音信不通なんて、どういうことなのでしょうか?
人として、おかしいと思われませんか?
私は、加害者の親族が心痛い思いをされているとは思えません。
私の周りの人たちも、皆な私と同じ意見でした。
被害者の家族、親族の方々の心の痛みは計り知れないものがあります。
こういう無神経なメールをわざわざ送る必要があるのでしょうか?
このメールを読んで、人として、寂しさを感じずにはいられません。
私がテレビを見て1番驚いたのは、人を殺しておきながら、加害者の少年達は友樹君の家と、同じ町、近くの町に住んでいるということです。
友樹君は15年2ヶ月しか、生きる事が出来ずに、時間を奪われたのに、加害者の少年達には時間が残されています。
生きている残された時間、何を考えて生きていくのでしょうか?
人としての心があるのなら、残されているのなら、一生をかけて罪を償って欲しい。
自分達がした事の重大さを・・・。
最後になりますが、お母様、どうかお体ご自愛くださいませ。
又、こちらのHPに来させていただこうと思っております。
長々と自分の思いの丈をメールしてしまい、申し訳ありませんでした。
友樹君のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 M・M