はじめまして。私は大学3年の、刑法を学ぶいち学生です。
少年法には前々から疑問を感じていたため、一人暮らしのアパートでネットをつないですぐ、このHPを見つけました。私はまだ子供で、我が子を失った悲しみや悔しさなどとても「お察しします」などと言えるほどには成長していないので、友樹さんのお母様のお気持ちを本当の意味で理解することはできないと感じ、あえて慰めや同情の言葉は言わないでおきます。
このHPを見て、さらに「御意見」にあるたくさんの方たちのメールを読んでまず感じたことは、なぜ、裁判所や家庭裁判所など、少年犯罪に関わっている方たちの、少年法に対する生きた意見がないのか疑問に思いました。
ちょうど今日の刑法のゼミで、少年法について少し理解を深めたところです。日本における少年法は、平成13年4.1施行の改正によって厳罰化しましたね。主な改正点は同法20条における刑事罰対象年齢を「16歳以上」から「14歳以上」に引き下げた点と、「16歳以上で殺人など重大犯罪を犯した場合は、原則として身柄を家裁から検察に戻し、成人と同様に刑事裁判を受けさせる」ということでした。また、被害者への配慮から、「被害者による記録の閲覧」(5条の2)、「被害者の申し出による意見の聴取」〈9条の2)、「被害者に対する通知」〈31条の2)など改正されています。
この改正は、神戸の少年による殺人事件など、少年犯罪の低年齢化を考慮したものであるそうです。でも実際に犯罪が起こってから改正したのでは、それ以前の犯罪は裁くことができないし、まったくもって理不尽だと感じているのが本音です。
私個人の意見では、少年法厳罰化はやって当たり前と感じたのですが、ゼミ担当の教授の意見は少し違っていました。
少年法の厳罰化をしたところで、少年犯罪抑止力は期待できない。なぜなら、重大犯罪を犯して、16歳以上であれば原則逆送では、その少年は更正できないまままた社会に復帰する。そして、犯罪を繰り返す。
1978年のニューヨーク少年犯罪法施行にあたって、確かにアメリカの少年犯罪検挙率は横ばいになっています。しかし、その2、3年後の成人犯罪検挙率がどんどん増加しているのです。
つまり、17、18歳で犯罪を犯した人たちが、成人になる2,3年後にまた犯罪を繰り返しているということです。
この現状を見て、教授は少年法厳罰化はよろこばしくないとおっしゃっているのでしょう。法律家にとっては、まず第一に犯罪を防ぐこと、次に再犯を防ぐことが重要です。少年法を厳罰化するかしないか、議論する場面において考慮されるのは被害者の方々のお気持ちではなく、どうやったら犯罪が少なくなるか、なのです。
警察の方々も一緒です。彼らの仕事は被害者救済ではなく、犯罪を予防し、再犯を防ぐことなのです。こういった立場の違いのせいで、彼らの行動に対して憤りを感じるのかもしれませんが、彼らは彼らの仕事をきちんとやっていると自覚しているのですからどうしようもないことです。
ただし、警察の対応については私も少し疑問を感じました。真実は真実として扱わなければならないはずなのに、どうやらうやむやにしようとしている、かすかな作為が感じ取れます。警察の立場上、少年犯罪の予防、再犯防止のためになるべく加害者を守ろうとする姿勢はよく分かりますが、それと真実をうやむやにすることを正当化しようとすることはまた別問題です。
また、死をもって償うということも、私は賛成できません。なぜなら、死んでしまえば苦しみはそれで終わってしまうからです。
加害者は、他人から見ればのほほんと気楽に生活しているようですが、人をひとり、自分たちの手によって死に至らしめたという記憶は一生消えないはずなのです。その記憶に苦しめられながらも、日々なんとかその苦しみから逃れるように、楽しいことを求めて生きているのかもしれません。
もちろん、それだけでは遺族のかたの気持ちは癒されないし、目に見える形での相手の苦しみを求めるかもしれません。私でも、愛する人の命をを理不尽な暴力で奪われたら、その相手の苦しむ様を見てやりたい、報復してやりたいと思う。でも、一番そう思っているのは殺されてしまった本人であろうし、代わりに自分が仕返ししたところでそれは結局私自身の自己満足であって、殺された本人の満足ではありえません。罪を犯した少年たちが服役していても、死んでしまっている人にはそれを生きて実感することはどうしたってできないのです。
殺人とは、殺した者と殺された者のみの関係であって、遺族の方たちは殺されてしまったその人の代わりに告発しているのです。