はじめまして。皆様と同じように偶然こちらのHPを見つけまして拝見させていただいたK(ハンドルネームにてご容赦を。)といいます。
 
息子さんの事件は当時ニュースで見ました。
僕は10代の頃、凄くすさんだ生活をしていました。
喧嘩が生きがいだった日々です。
 
そんな僕がこの事件を知った時思ったことがあります。
(感情を逆撫でするような表現があるかもしれませんがご容赦ください。)
 
正直僕個人、今年26になるくらいの若造ですが「最近のガキはケンカもできないのか?」
これがまず第一印象でした。
現在も格闘技をやっている僕個人、最近の少年の殺人事件(主に喧嘩とは程遠いリンチによる)には親の教育が「嘘と美徳の集大成」の結果、喧嘩とは程遠いレベルでの暴力にうつってしょうがなかったからです。
 
僕らの頃は喧嘩をしても「互いを認め合う」という結果が生まれ、その結果から「互いの尊敬と友情」が生まれました。
しかし今回の事件の加害者たちにはそれはなく、前述の教育により甘えの暴力への憧れが多いような気がします。
 
僕は加害者たちと同じ世界の住人だったと思いますが唯一違うところは
「無抵抗な人間に集団でリンチをするバカではなかった」
 
もし僕が息子さんと同級生で友人であったなら助けたかった。
 
なんだか偽善と取られるかもしれませんが僕らの世代のやんちゃな人間はみなこう思うことでしょう。
 
息子さんの事とはまったく関係ないことを書いてしまってすみません。
最後にこれだけは・・・ということを書かせて頂きますので今しばらくお時間を。
 
僕が20歳の頃5つ上の友人が突然亡くなりました。
彼は僕が高校1年で学校を中退しアルバイトを始めてから付き合いだし、実の兄のようにしてもらった人で初めての地元以外の友人でした。
そのころすさんでいた僕に彼は別次元の人間に映ると同時に尊敬の対象でした。
 
16だった僕に「社会に出たなら立派な大人だ」と酒を教えてくれ、バイトを休むと家に来てくれては僕を気遣ってくれました。
 
彼の訃報は20歳の11月の朝に突然やってきました。
同じバイト仲間で同じく実の姉のように可愛がっていただいた方から電話が来ました。
 
僕はその時泣き叫びました。
 
彼は飲みに行った帰り友人を送るために車で走行中自爆事故を起こし電柱にぶつかり頭を打って病院に運ばれ5時間死と戦った末なくなったとの事で。
 
突然愛すべき人間が亡くなる恐怖、衝撃は今でもとても恐ろしいものです。
ただ若造の僕が彼の死で学んだことは「その人間の分まで一生懸命生きる」それだけが自分の誇りとなりました。
 
どうかお母さん、「守ってあげられなくてごめんね」ではなく「あなたの分まで共に生きていく」と息子さんに笑顔で言ってあげてください。
絶対に息子さんはすぐ側でご家族をいつまでも見守っているのですから。
  
ホームページを拝見して勢いで乱筆乱文メールしてしまいました事をご容赦ください。
これからもホームページ寄らせて頂きます。
 
お体にお気をつけくださいね^^