先月、メールさせて頂きましたともみです。お久しぶりです。ちょっとの間、お母さんの日記が更新されていなかったので心配しました。お体の方は大丈夫でしょうか?あまり無理をしないでくださいね。お母さんが体調を崩して悲しむのは友樹君をはじめ、このページに出入りしているみんな、お母さんに関わる人すべてです。もし気持ちが重く沈んでしまったら、どうぞ、誰でもいいので伝えてくださいね。

最近、埼玉でまた少年犯罪が起こってしまいましたね。被害者は15歳だそうです。まだ遺体が発見されて犯人が見つかっていない時点の記事が新聞のかたすみに載っていて、見出しにすぐ目が止まりました。そして詳しく読んでみると、暴行の痕があり、放置されていたとのこと。失礼かもしれませんが、私の頭にすぐに友樹君の事件が思い浮かびました。なぜ暴力をふるうのか、私には理解できません。自分は人の子、自分が暴行を加えている人も人の子。なのに、なぜ同じ「人間」の気持ちを解れないのでしょうか。たった1度の罪でも自分の心にも、被害者に関わる人の心にも、深い深いキズができてしまうのに・・・。そのキズは、たとえ償ったとしても、自分がその命をまっとうするまで癒えることはないでしょう。暴力に、決して利点はないと思います。どこかで聞いたような言葉かもしれない。けど、「手は、人をキズつけるためじゃなく、人を助けたり、自分がくじけそうな時に必死に体を支えたり、家族や恋人や・・・大切な人を守るためにある」と私は思います。大事な手を、血・苦しみ・憎しみで汚してはいけない!

話は少しそれるかもしれませんが・・・私は正直に言うと、去年まで軽いいやがらせというか・・・嫌な目にあっていました。暴力をふるわれたわけではない、仲間はずれにされていたわけでもありませんが・・・。クラスに友達がいたし、中学時代の友達もたくさんいました。一部の男子に、顔の事で時々わざと大声でののしられました。街に遊びに行った時も、トイレで全く知らない人に侮辱されました。クラスの友達も、一緒に街に遊びに行った友達もたぶん私のことを言っていると知っていたけど、聞こえないフリをして普通に接してくれました。両親に言ったら、矯正や整形まで真剣に考えてくれて、学校に行けない時はよく休ませてくれて気分転換に家族で遊びにつれてってくれました。唯一全部を話した友達も一緒に泣いてくれました。言われたのは時々で、今のクラスは嫌な人はいないし、何とか今は進路のこともあって大丈夫ですが・・・。けど廊下を通るとき、悪口を言っていた人たちのクラスの前を、顔を上げて通ることはできずにいます。授業中はほおずえをついて顔を隠すのがクセになってしまったし、髪も肩以上に切る事が怖くて、たぶん初対面の人は暗い印象をもつでしょう。陰口を言った人を、ずっと許せないし、怖いし、高校生活の楽しい事の大半が、台無しになった気がします。これは全部がその人たちに責任があるとは言えないかもしれませんが・・・。とにかく、自分は面白半分でも、他人のキズの深さは予想できない。ということ・・・? 結局何を言いたいのか解りませんが、きっと私は、私の事を知らない誰かに話したかったのだと思います。乱雑な文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。