フライデーの友樹君の記事を読みました。前回、私は青木君の事件についての記事をたまたま仕事で立ち寄った銀行での待ち時間に読む機会があり、その感想を述べさせていただきましたが同じシリーズだったのですね。
                                                    
 山形マット死事件の無罪判決といい、神戸での大学院生へのリンチ殺人(こちらは成人だが)といい、衝動的殺人がますます簡単に、気軽に行える恐ろしい環境になりつつあります。取り締まる警察も教育現場も、さらに法の番人たる裁判所もおよそ真剣さが足りないのですから、はっきりいって恐ろしいです。我々も、またその子供たちも、いつ何時無法の輩に蹂躙され、命奪われるかわかりません。
 
 たび重なる少年たちの殺人とそれに対するあまりにも軽い法の裁き・・・。これを知識として繰り返し繰り返し聞かされたら、多くの少年は”殺人”を取り返しのつかないことと考えなくなり、歯止めが効かなくなります。そして少年ならば誰でも経験するであろう情緒の不安定な瞬間、カっとなった瞬間、ムシャクシャした瞬間、すべてが凄惨な殺人のきっかけとなります。人に暴力を振るっている瞬間に、「・・・ま、いいか。このまま死んでたとえ捕まってもどうせ4、5年すりゃ出て来れるだろう」などとふと考えたとしたら、おそらく本当に死んでしまう程の凄惨な暴力をためらわずにふるうこととなるでしょう。それはその少年にとってどんなに不幸なことか。警察も、裁判所もこういった悪影響について真剣に考えていません。

 傷害致死というあいまいな表現などは今のけじめのない司法の象徴のようなものです。明確な殺意があっても本人が否定すれば、傷害致死になり、罪が軽くなる。このけじめの無さはいったいどこから来るのだろう?金属バットで頭を殴っても傷害致死になる・・・常識で考えたらそんなもので頭をかち割ったら100%死ぬことくらい誰でも理解できます。私には単にオタクっぽい法律家が”法の適用”というテクニックを得意げに振りかざした理論にしか聞こえません。何をもって殺人といい、何を持って傷害致死というのか、はっきり言って未だにわからない。
  
 法曹関係者に言いたい。少年法しかり、裁判所の判決しかり、もういい加減にけじめをつけていただきたい。きちんと良心を示していただきたい。でないと法を当てにしない人たちが増え、社会はますます混乱してしまいますよ!!
             宮城県在住        H.TAKATA