3月14日に行われた山口母子殺害事件の判決は一審と同じく「無期懲役」でした。加害者が全く反省していないにも関わらず、「更正する可能性がないとは言えない」というのが判決理由です。無期懲役といっても、当の加害者が友人に放言しているように「7年もしたら出られる」わけで、7年後、彼は名前と履歴を変えて再び私達のまわりを歩き回ることでしょう。再犯の可能性がないとも言えず、もしそうなったら裁判官は責任をとってくれるのでしょうか?
被害者家族の本村さんは、加害者が本当に反省するためにも「死刑判決」が必要だったと言っています。「死刑判決」を単に残酷とか非先進的と決めつける方もいますが、本村さんの弁を借りると、「死刑という判決を受けて初めて『命』の大切さ、そしてそれを奪うことの残虐性がわかるのではないか。その時やっと自分のしたことを正視し、真に反省できるのではないか」ということもあるのです。
しかし今回のような甘い判例は少年犯罪の温床になります。どんな少年犯罪を起こしても「少年犯罪者は極刑になることがないし、長くてもせいぜい7年」という前提ができあがってしまうのです。それを証拠に、友樹くんのあとにも数え切れないほどの少年犯罪が起こっています。大人が、社会が、法律が犯罪になめられる社会ではいけません。裁判官には、判例重視の言い訳を借りた「事勿れ主義判決」ではなく、個々の事件の真実を見つめた「誠意ある判決」を強く望みます。
ユウコ