飯島 京子様
 
 お忙しいことと思います。日記拝見しました。
 友樹くんの死が社会化されて、京子さんのエネルギーで大きくその存在が顕在化され人々の中にさまざまな問題提起となって広がって行くのが見えるようです。
 
 友樹君の学校のことも、突然で思わしくない対応が返ってきて、さぞかしむなしい思いをなさったと思いますが、決して行動を起こされる前と同じではないと思います。必ず、大きな波紋が起きているはずです。学校を変えるには大変なエネルギーと時間がかかります。弛みなく問題提起して働きかけていかなければならないと思います。NPOでも取り組んでいかれると思いますが、法改正は法改正として、教育環境や大人の環境の改善が平行して必要だと思います。個人で動かそうとすれば、そのたびごと病気になってしまいます。
 
 私は、子供たちの心の問題と向き合うものとして、また、子供を失ったものとしての悲しみの共感からここをたずねています。ご意見の掲示板に散見されるように、 憎しみから運動が加速し、友樹君、京子さんのためによい結果が出るのであれば、それを少しも否定するものではありません。しかし、被害者でない者は、だれしも少しずれた立場にあろうかと思います。
 
 子供を亡くした親の悲しみについて、私は、経験の無い人に「わかる」などと言ってほしくないから、京子さんの憎しみについて、わかるなどとは言えません。これは悲しみというもう一つの異端の心を知るものとしてのけじめのつもりです。
 
 友樹君のための活動が、こうした非当事者を巻き込むことによって、憎しみを超えた大きな広がりとなりますように・・。京子さんはすでにその歩みを始められていることですが。
 
 テロリストに誘拐され殺害された米ウオルストリート・ジャーナル紙のパール記者の妻、マリアンヌさんの言葉(イスラマバード発)を、友樹君の死に重ねて読みました。
 
「(テロリストは)最も残酷で卑劣な方法で夫を殺した」
「報復は容易だろうが、テロをはびこらせた私達自身の責任を率直に問い掛けるほうが大事だ」
「パパはテロをなくすために、報復ではなく、愛や共感、友情を求めたのだと、(7ヶ月のおなかの子に)語ってあげられる」
                                           飯田 啓子