スイートピーさん、大変な経験をなさいましたね。
 私事ですが私が中学生の頃(80年代初頭)でも、やはりいじめはありました。しかしその頃は それが格好悪いものだという昔ながらの硬派な感覚が多くの生徒のなかにいくばくか残っておリ、弱いもの虐めよりも強いもの同士の勢力争いのほうにエネルギーをつぎ込んでいました。

  またその頃、教師たちは体罰が当たり前でしたから、体を張って生徒に当たり、虐めを見つけられたら容赦なくビンタが飛んできたものでした。(一部虐めを放置してその生徒が胃潰瘍になってしまい、責任問題になったケースもありました)。  そのころ教師は結構手をあげたものですが、そこにはむしろ我々に体を張って何かを伝えようとするある種の迫力がありました。今の一部の教師の、自分のエゴイズムのためだけの暴力とは異質だったように思います。  

  生徒のいじめに教師が加担するというモラルの低下が顕著になったのはあの有名な”葬式ごっこ”あたりからでしょう。教師と生徒の本来一線を隔するべき関係が曖昧になり、ついには集団心理のなかで自分の教師としての主張ができなくなるほど生徒たちに迎合してしまう・・
 そうして虐めが放置されるという図式です。 

 スイートピ−さんのご子息の担任教師については、その教師自身が虐めを先導したというのですから、もはや何をかいわんやです。ただ私は一見その教師が最初から最後まで主導して虐めていたように見えるけど、実際はもっと無責任なものだった、つまり自分が率先して作ったいじめの雰囲気にいつのまにか自分自身が取り込まれ、その集団心理状態のなかで人気取りをやり続けた結果かなあという気がします。子供というのは本質的にはずるいものですから(ちょっと極論かもしれませんが)教師に「こいつを虐めても良い」というようなお墨付きをもらえば、逆に教師に対して弱みを握るような状態になってしまうかもしれないと思うからです。いずれにしても、集団でゲームのように1人の生徒を虐めているうちに「教師が他の生徒と組んで1人の生徒を虐めたらその虐められた生徒はどれほど残酷な状況におかれるか」という小学生でも分かりそうなことが理解できぬくらい麻痺してしまったのは確かでしょう。 

 それにしても最近は虐めでも事件でも簡単に「そこまでやるか」というレベルまで行き着いてしまう。それもためらわずに行き着いてしまう。そのことが怖い。
              
         宮城県在住           H.TAKATA(会社員35歳)